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「ワシは悪人になれなかったんや・・」
今回の記事は、僕の祖父が亡くなったときにお通夜の場で交わした、高齢のおじさんとの会話について。同じ日本人同士であっても、年代による「異文化」によって会話がつながらないことってやっぱりあるんだなあ・・・と思った僕の経験を書いてみよう。
前回の記事で書いたように、僕の祖父は明治生まれの厳しい人だった。祖父は大往生の年齢まで生き切り、晩年まで背筋をシャンと伸ばし矍鑠(かくしゃく)としている、立派な年のとり方だった。
その祖父が亡くなってお葬式を執り行ったとき。今から30年近く前で、まだ僕が20代の頃。社会人になって間もなくの時期だった。
祖父母は当時として標準的な子だくさん家族だったので、葬儀では僕の父はもちろん、おじさんやおばさんと配偶者、さらに孫たちも含めてたくさんの親戚が集まった。
特に一番上のおばさんのご夫婦は、当時で80才を超える年齢。仮にいまお二人ともご存命だったなら100才を優に超える時代を生きた人たちだった。
みなさん、住んでいる場所がかなり散らばっている。加えてご高齢ということもあって、この頃には冠婚葬祭の時にしか顔を合わせる機会がなくなっていた。一番上のおばさんご夫婦とは、僕がその前にいつ会ったのだったか、もはや全く思い出せないくらいだった。
おじさんとの会話
さて、親戚みんなでお通夜の食事をし、お酒も飲んで。みんなひざ詰めで近況を話し合った。
おじさん
「そうか、そうか、あんたとはしばらく会わへん間に、もう社会人になってたんやなぁ」
僕
「はい、今は会社に就職して、働いてます」
僕はおじさんに自分自身の近況を説明した。
そのおじさんについて僕はあんまり詳しく知らないけれど、お仕事はずっと学校の先生だったと聞いていた。最後は校長まで務めてから引退したらしい。
僕
「僕も教員免許を取りまして、教師になる資格は持っているんですね。で、教師になるか会社に就職するかで悩んだんですけど、仮に教師になるにしても、まずは一般的な社会人を経験しようと思いまして。教師って社会人になる人たちを育成する仕事だから、まずは一般的な社会を知りたいなって」
そんな話を聞いて、おじさんはご自身の人生に想いを馳せた様子。続いて自分自身について語り始めた。
おじさん
「ワシはずっと先生をやってきたんやけどな。まあ、ずーっと先生っていう人生が良かったのかどうか・・・。それ以外の人生を生きたことがあったら比べることもできるんやけど。もし違う人生やったら、どんな人生になってたんやろうなぁ。今となっては、なんとも分からんもんや」
おじさんは問わず語りに、遠い目をして訥々(とつとつ)と胸の内を言葉にしていた。
おじさん
「まぁ、せやねんやけどな。ワシは結局、悪人になれんかったってことなんやと思うんや」
ん?「悪人」?
悪人という言葉の意味するところがこれから語られるのかと思って、話を遮らずに語るに任せていた。
おじさん
「やっぱりいま考えても、ワシは先生の人生以外は自分で選べんかったやろうなぁ。やっぱりワシはな、悪人にはなれんかったんや・・・」
それで話は終わり。僕はその話の展開がよく理解できなかった。おじさんの中では何かのロジックが繋がっている様子なんだけど、その繋がりが理解できずにポカンとしていた。
父親に聞いてみた
そんなこんなで祖父の一連の葬儀が終わって、落ち着いてから、件のおじさんの発言の意味を父親に聞いてみた。
僕
「あのさ、お通夜の時におじさんが言ってあの言葉。『ワシは悪人にはなれなかったんや』って何度も繰り返していたやん。あれってどういう意味で言ってたか分かる?」
僕のその質問に対して明確な答えが返ってくるとは思っていなかったんだけど、父親は意外とスパッとした答えを用意していた。
父親
「ああ、あれか。あれはな、時代背景があるんや。むかしは官尊民卑って言葉があってな。あのおじさんの年代の人たちは『官は尊くて、民は卑しい』って意識があるねん。公務員は偉くて尊い仕事をしている。一方で民間企業は卑怯で悪いことをしないと生きていけない、って意識があったんや。だから民間で働くんやったら、悪人にならんとあかん、っていう前提があって言ったことやと思うで。まあ、あの当時の時代背景の感覚やな」
僕は昔の日本にそんな世界観があったとは知らず、でもなんとなくそういう時代があったことも想像できて、なるほど、そういう世界観から出てき言葉だったのか、と腹に落ちた。
ただ、現代となっては基本的には必ずしも「官が尊くて、民が卑しい」という時代でもないだろう。昔はそういう世界観があったことは確かで、そして現代でも地方にいくほど多かれ少なかれ残っている感覚だとは思う。それは同じ国の中に存在する「異文化」であり、うちの父親はその「通訳」の役割を果たしてくれた、ということだった。
あと、その時に感じたんだけど、おじさんの思考回路はおじさん自身のこころが形づくらせた面もあったのではと想像している。
というのも、おじさんは教師一筋の人生を既に生きた人。その事実を上書きして別の人生を生きなおすことはできない。人にとって、人生の終盤になってから人生に疑問を投げかけるような考えを受け入れることは、困難過ぎる。何かの理由でもって自分の人生は正しかった、良かった、と思いたいのが人というものの性質だろう。誰だってそういう一面を持っている。
とにかくおじさんとのそんな会話があって、祖父の葬儀はより印象的な経験になった。
読経
ちなみに、祖父の葬儀ではもう一つ印象的な体験があった。
葬儀の会場は、家からそれほど遠くないセレモニーホール。もともと日本の伝統社会としては、各家庭には檀家になっている「お寺さん」があって、そのお寺さんで葬儀をあげるのが通例だった。実際に僕がそれまで参列したお葬式というものは、田舎の広大なお寺の中にある広い座敷で執り行うものしか知らなかった
でも都市化に伴い、新しくできた街には密接な関係のお寺さんがいないことも珍しくなくなり、実際に祖父のお葬式の際もセレモニーホールで執りおこなった。
セレモニーホールではお寺の葬儀とは異なって、いろいろな様式が現代的になっている。
たとえば、座り方。僕としては、葬儀といえば畳敷きのお寺で正座をしながら読経して、お焼香のときに参列者は慣れない正座から立ち上がれずにヨタヨタする、という風景を想像していたんだけれど・・、セレモニーホールでは椅子が用意されていて、座ったまま読経に参加する。したがってお焼香へ向かいながらタタラを踏んでしまうこともない。
「椅子に座って読経だなんて・・・」
僕はその現代的な形式に驚いた。
さらに驚いたことが。お坊さんの読経の声をマイクで拾って、スピーカーで流している。読経といえば、お坊さんの永い年月にわたって使い込まれた地声でうたいあげるものだと思っていたのに。
「読経にもスピーカーを使う時代になったんやね・・」
僕はそんなことを考えながら、スピーカーを眺めた。そのスピーカーは、いぶし銀のお坊さんの声をそれはそれは迫力満点の見事な音で拡声してくれている。素晴らしい音質だ。
よく見ると、そのスピーカーにはブランド名が付けられている。僕は目を凝らして見てみた。
僕
「B・・・O・・S・・・、最後はEかな?」
そう、そのスピーカーはアメリカのブランド、BOSE社のものだった。
僕
「洒落たスピーカーやなぁ・・」
とか考えながら、うん?と何かがひっかかった。
僕
「BOSE・・・、ボーズ、坊主の声をボーズのスピーカーで!」
と気づくと同時に、僕の頭の中では、
「YO ! BOSEが上手にボーズの読経を・・」
という早口言葉がラップ調で流れはじめてしまった。
いちばん笑ってはいけない場面に、こんなネタが仕込まれていたとは。このセレモニーホールでは、いったい何人の人たちがこのワナに苦しめられたことだろうか。
まとめ
ということで少し話は逸れたが、むかしの「官は尊くて、民は卑しい」という当時の「常識」は、時代とともにいくらか変わっていった。また、お坊さんの読経もいつしかBOSEのスピーカーで拡声する時代に変わっていった。
というように、常識や当たり前というものは時代とともに変わっていくもの。その違いを経験することは、たとえ同じ国の中であっても自分にとっての「常識」や「当たり前」を改めて考えなおして、本質はなんだろうかと考えを巡らす良い機会。よりユニバーサルな人間に近づくために役立つ「異文化体験」なのだろう。
by 世界の人に聞いてみた