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YOASOBIから届いた物語

YOASOBIが2021年12月4日、5日に行なったライブから、5日の配信を通して感じたことを綴りました。

オリジナルの全文は、私が運営しているCulture Cruiseというサイトに掲載しました。

noteに書くべきか悩んだのですが、私にとっては大切に育ててきたサイトなので、そろそろCulture Cruiseでも書いてあげたいと思いました。

自分のサイトに対して「書いてあげたい」というのもおかしな表現なのですが。

そして今回選ばれた公式レポーターのおふたりへのリスペクトをもってライブレポートを拝読しつつ(素晴らしい内容でした!本当にお疲れさまでした)、私は配信を通して感じたことをまとめる、ということに留めたいとも思いました。

とはいえnoteさんも大切な場所だし、もうどうしていいのか分からないけれど、全部を大切にすることってできないのだろうか。

その方法を探りたくて、ここではオリジナルから引用+note向けに再編集という形を取ってみたいと思います。

noteで書き続けたYOASOBIのこと

「小説を音楽にするユニット」YOASOBIのAyaseさんは山口県出身、ikuraさんは東京都出身ということで、山口生まれ東京育ちの自分としては勝手に親近感を抱いていた。

YOASOBIはnoteと連携を取り、ライブごとにレポートを募集しているので、私もnoteの方でチャレンジしている。

書くのも楽しいし、公式さんにも皆さんにも、時間を割いて読んでいただけるだけで本当に感謝です。

でもいざ自分で読み返すと、それ以上の何かを掴めるような文章ではない。自分でそれが分かってしまうので、尚のこと不甲斐ない。

今回実施された公式レポーター認定試験の企画を知ったのは解答期限の30分前で、とにかく時間がなかったので過去の記事を引用する方法で乗り切った。ふう〜。

いや乗り切れてないじゃん。公式レポーターには選ばれてないんだから。

よく読むと書き直したい文章ばかりで恥ずかしい。「それは私がライターだから」とか何を言っている? 鼻につく!

YOASOBIを前にすると、弱さをさらけ出してしまう。いつもお見苦しいnoteばかりですみません。

一度きりの「はじめまして」

一度しか味わえない「はじめまして」の空間

もうみんなだいぶ聴き込んでいるのに、だいぶ愛しているのに。パンデミックに押し流された年月によって、はじめましてがこの日になったことは、待ち焦がれた感慨をさらに深くさせたかもしれない。

ikuraさんの歌声は緊張からか、少し震えているように感じた。不思議なもので、ikuraさんはその震えでさえも、ヴォーカルに切ない魅力を加え、楽曲に儚いエッセンスを与えてしまう。

そのヴォーカルは急速に音楽シーンに浸透していき、今や欠かせない存在となったことを痛感する。

初日は「怪物」をYouTubeでも無料で配信してくれた。

ライブで歌われることを想定せずに作ったのではないかと思ってしまうような曲で、BPM170の超高速なビートには感情を乗せる隙間もないほど、捲し立てるような譜割りとリリックの嵐。カッティングで鋭く刻むようなヴォーカル。

感情を乗せる隙間がないところが、かえってただならぬ不穏さを増し、曲をおもしろくさせている。

思えばこの「感情が乗るか乗らないかの絶妙なライン」は、この曲に限らず、YOASOBIの特長でもあると感じる。一曲の中でも、痛いほど気持ちが伝わる部分もあれば、淡々と語るように、ストーリーを先導するように歌われていることもある。

優しくも芯の強さを感じるヴォーカルと音の鳴り、うねるようなコードに流動的なメロディが重なる美しさ。いつしかその音に絶大な信頼を寄せ、安心感すら覚えるようになった。

音楽を通してこんな関係性が築けることも、たった2年余りでその境地に達していることも、本当に奇跡のように感じる。

そして始まったばかりだけど「時間が過ぎるのが名残惜しい」と話すAyaseさん。

そうか、演者はその日に照準を合わせて準備をしているわけだから、ライブ当日は開演前だろうと「終わってしまう最後の日」なんだよな。

2日間合わせて4時間にも満たないステージに、半年かけて準備を重ねたという。全力であの時間に向かっていた気持ちが伝わってきた。

Ayaseさんの「アンコールをいただいてしまった」という表現も気に入ってしまった。やはりAyaseさんの真面目で丁寧な音づくりに導かれて、YOASOBIの優しさが形成されているのだと思った。

バンドメンバーにも「余裕がある時はお客さんとコミュニケーションを取ってほしい」と告げていたそうだが、ご自身も手拍子で会場を盛り上げていた。コンポーザーという立場であれば、周りに任せてしまっても良いようなものだけれど。

バンドメンバーも同じように客席をよく見ていて、本当に丁寧な心遣いのできる方々だなと思った。特にKey. ミソハギザクロさんの常に観客に気を配るパフォーマンスには胸を打たれた。

息もぴったりで、6人組のバンドのライブを見ているような感覚だった。

預けられた物語

以前のnoteにはこのように綴った。

物語を紡ぐ人は、主役の座は受け手に譲りながらも、なお物語の中心を生きなければならない。誰よりも丁寧に、心の機微を感じ取って、日々を生き抜かなければならない。ただ言葉をなぞって結ぶだけでは、紡いでいくことなど到底できないのだ。

「あすも白い朝日を迎える。YOASOBIを身に纏って」

すでに言葉で描写された物語を、また別の形で紡ぐのがYOASOBIのスタイルで、時に語り手や橋渡しのように感じることもある。それはYOASOBIを聴いた時だけに訪れる独特の感情だ。

物語を預けられることへの、責任とプレッシャーがあると思う。でも私がこの日目にしたもの、耳にしたものの中心にあるのは、YOASOBIのオリジナルストーリーだった。まさに物語の中心を生きている2人がいたのだ。

そこに楽曲のストーリーたちがそっと寄り添い、その場にいる人のストーリーたちが包み込むかのような。

「愛しかない空間」だとikuraさんがおっしゃっていたのは、きっとそんな空気で満たされていたからではないかと思った。みんな、日々物語を生きている主人公なのだ。

この日はその中のたった1ページに過ぎないのかもしれないけれど、かといって絶対にそれだけではなかった。「音楽って最高」という思いを遥かに超越する何か。

YOASOBIはその小さく芽生えた“何か”を、丁寧に摘み取って物語にしてくれる。

存在そのものが大きなコンテンツであるかのような、創造性にあふれた空間だった。泣けるほど丁寧だった。

確かに感じる体温の優しさと、新しい音楽や芸術の在り方を提示するクリエイティビティ。

『NICE TO MEET YOU』と刻まれた封筒の中には、YOASOBIから贈られたこれまでとこれからの物語がつまっていた。


最後までお読みいただきありがとうございました!


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長谷川チエ / Culture Cruise
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