行きつけのカフェが閉店して強まった「無くなってからでは遅い」の気持ち
先日、ずっとひいきにしていた近くのカフェが閉店してしまった。
そのカフェのオーナーは、初めて訪れた時から声をかけてくれて、私のことをチエちゃんと親しげに呼んでくれた。
毎回雑談をするくらいの仲。お店に行けばいつでも会えるので、連絡先は知らなかった。でもその間柄が何だかとても好きだった。
コロナの状況をうかがいながら、私が運営しているCulture Cruiseのカフェカテゴリーで取材をして、記事を書かせていただくことにもなっていた。
久々にカフェの記事を更新できるとワクワクしていた。
しかしそれを実現できないまま、「気力の限界に達して閉店を決意した」と閉店する1ヶ月前に報告を受けた。
何とか続けられないかと聞いてみたのだけれど、オーナーの決意は固まっているようだった。
「小さいままでいい」のは自分のことしか考えていないから
ずっとあり続けると思っていたものが、突然消えてしまう寂しさ。
その小さなカフェで、Culture Cruiseの記事もnoteも、どれだけ綴ってきたか分からない。
苦しさの矛先を向けるところがなくて、心の中をぐるぐると回って、涙となって初めて外に現れた感情は、想像以上に重かった。
想像以上に、そのカフェにもオーナーにも、私は支えられていたのだ。
「それなのに、なぜ自分は」と後悔の念に駆られた。
「もっと利用してあげられていたら」「もっと早く取材していたら」
…何かが変わっただろうか。それとも、私ごときが変えられる現実なんてなかっただろうか。
「もし自分がインフルエンサーだったら」とか、思考は果てしなく広がっていった。
「自分はちっぽけなままでいい」「現状維持でいい」と思うのは、自分のことしか考えていないからかもしれない。
宇宙にも行ける前澤友作さんだったら、きっと周りの人を助けてあげられる。
私個人はともかくとして、Culture Cruiseくらいは、誰かを救えるくらいの存在には育ててあげたいと思った。
もう誰のために考えているのか分からない。
思い出のライブハウスが消えていく寂しさ
「無くなってからでは遅い」のは、物にも人間関係にも当てはまると思う。
思い出の詰まったライブハウスが閉店するたびに、「もう少し早く知らせてくれたら、みんなの力で何とかできたかもしれない」と考えてしまう。
閉店は避けられなかったとしても、事後報告されるのはやはりショックが大きい。そして、後から知った時にはもう何もしてあげることができない。
「大変な状況なので、協力してください」と声をあげるのも、経営をする上で大切な選択肢の一つだと思う。
それで回復してくれれば、近くの人や、誰かの思い出を守れるかもしれない。奮わなかったとしても、誰も攻める必要はない。
「無くなってからでは遅すぎる」
より強くなったその思いは、決して他人事でもないのだ。
Culture Cruiseでこんなツイートをすることは、今までならきっとなかった。
さらに、新たな試みも始めた。
すぐに結果が出ることではないし、うまくいくかは分からないけれど、Culture Cruiseも大変なのは事実である。
「助けてください」とまでは言わなくても、大変であることを隠す必要はないと思ったし、今更かっこつけたところで別に最初からかっこよくもなかった。
どんな結末になるとしても「やれるだけのことはやった。」あとで振り返った時にそう思えるように、今だからできるトライ&エラーを発信しようと思う。
閉店を決めたカフェのオーナーは、辛くて毎日悩んでいたはずなのに、最後までそれを見せなかった。
その姿勢を心から尊敬するし、決断したことも尊重している。
でも心のどこかで「私は助けてあげられるほどの存在ではなかったのだな」と落胆する自分がいる。
こんな時まで、自分がいかにちっぽけで、自分のことしか考えていない人間であるかを痛感する。
乗り越えたあとは美談になるのに、現在進行形で大変な時には、大変さを見せてはいけない。そんな風潮がその人をより苦しめていると感じる。
頑張る人も、素直に打ち明ける人も尊重する。「私だって大変」と思うのなら、その人も我慢せずそう言えばいい。特に今はそう思います。
まずは、6年目のCulture Cruiseを、誰かのためのプラットフォームにしてあげられるよう、少しずつ舵を切っていきたいと思います。
そのためにCulture Cruiseを大きくしようとする試みや変化も、どうか温かく見守っていただけたら幸いです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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