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助産師

「自宅・助産院出産のできる場所、できる条件がますます限られてきている中で、少しでもこの選択肢が未来に続くように、また全てのお母さんが信頼する助産師に寄り添われて産むことができる未来へと、願いを込めながらこの本の製作をしております。」

昨夜お久しぶりの方からメッセージが届いた。選択肢として残したいという想いに共感してこのプロジェクトを応援したいと思った。

決して、自然分娩や自宅分娩の方が素晴らしいとか理想である、などという騒々しいイデオロギーがそこにあるわけではないと感じた。

我が家も2人とも自然分娩だった。朝比奈助産院ではなく、彦根にある助産院norikoさんにお世話になりました。助産師さんは、出産前から、そして出産後も心身ともに私たちを支えてくださりました。
それは病院で産んだとしてもそうなのかもしれないけれど、助産院という場所はまるで家のようで、安心してその場に居ることができた。ぼくなんかの場合だと、病院は居心地が悪い。

男であるぼくは直接的に出産に関われるわけではないけれど、助産師さんと一緒になって新しい生命が迎えられるようにいました。田畑もかじり出していた頃なので、母は大地 父は空、なんて言葉がふっと浮かんだりしたものです。

男なんてやれることは強がることだけかもしれない。強がっていることを悟られないよう強がる、どっしり構えようとするというか。除菌シートを助産師さんに渡して、痛がる妻をさすって、力みやすいよう掴まる場所となるくらい。柱か何かのようにガッと掴まれる。そこが首なら、絞まって産まれるが先か、逝くのが先か黙って辛抱するだけです。祈りの行為です。
お産っていう行為は祈りだった。決して当たり前ではない尊い出来事をありがたみ、無事を祈る。産まれたその子の生命の育ちを祈る。

生まれたその日から川の字で寝ている
その不思議さと有り難さ
したくてもできない人もいる

コロナ社会になってから、自然分娩・自宅出産をすることが難しくなっていると聞きました。
それがとても残念でなりません。

中国では人口子宮の研究も始まっているし、イーロン・マスクもその技術を推奨している。TS細胞の研究は日本でもされているのだから中国だけの話ではない。人口的に作られた子宮で生命を作り、管理された場所で専門家が育てる。衛生的で持続可能的でもある技術の勝利、ということなのらしいのだけど、ぼくにはマッドサイエンティストが描くディストピアにしか思えない。そもそも子供をつくる、という言葉が受け付けられない。京大の宮沢孝幸教授が言うように親という概念も大きく変わる。なるほど、リバタリアンには好都合か。とそんなことはさて置いといて。

いまですら自宅で出産できると知らない人もいる
そもそも自宅分娩という選択肢がない人。
学校では昔のやり方という習い方だろうし、お産といえばメディアでは病院に運ばれるようなシーンしか見たことがないから、選択肢にはいってこないのも無理はないと思う。

で、助産師さんという立場を守るには、今現在踏ん張り時。
なにせ日本社会はゼロリスク願望が色濃い。
自宅出産を選択した時に受ける周囲からの重圧。周囲は良かれと思ってのアドバイスなのだけれど。

ともあれこの本が、
こういう選択肢もあるよ、すごくよかったよ、と
そんな声として届けばいいなと思う。


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