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「名も無き教師の壮絶人生」
インターネット上で、一人の教師が配信した映像が大きな話題を呼んでいる。
「口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう・・・」
「心は人の痛みがわかるために使おう・・・」
その映像は全国の学校で上映され、多くの子供達の心を打ち続けている。
そこには、名も無き教師の壮絶な人生が秘められていた。
神奈川県伊勢原市立山王中学校、ここで体育を教える腰塚勇人さんは自他ともに認める熱血教師、人呼んで『鬼の腰塚』。
だらしない格好や遅刻をする生徒は許さない。
授業ももちろん全力投球。
勇人さんの担任するクラスは間もなく3年生、その熱血ぶりは一層エスカレート。
だがこれが、『鬼の腰塚』最後の説教となる。
1か月後、勇人さんは長野のスキー場を訪れていた。
そこで悲劇は起こってしまった。
スピードが出過ぎ、バランスを失った勇人さんはこぶに乗り上げ、後頭部から凍ったゲレンデに叩き付けられたのだ。
4時間の及ぶ手術の末、何とか命は取り留めたものの、首から下はまるで人形のように全く動かなかった。
下された診断は四肢麻痺。
7つある頸椎の3、4番目の神経が損傷していたのである。
それは一生寝たきりになることを意味していた。
数日後、二人の教師仲間が見舞いに訪れた。
学年主任の奥田捷子さんと教頭の小林繁さんだった。
一番の心残りは、一年生の時から受け持ってきた生徒達を卒業まで見届けられないこと。
それは勇人さんにとって、麻痺よりも辛い現実だった。
勇人さんは生きる希望を完全に失い、舌を噛み、死ぬことを決意した。
だが、深い絶望の中、体は「生きたい」そう叫んでいた。
しかし、生き方がわからなかった。
そんなある日、勇人さんの体に変化が!なんと麻痺している左足の指がかすかに動いた!!
回復は絶望的と言われていたのだが、その後、体を起こせるまでになったのだ。
しかし、動かせるのは左足と左手のみ、それもほんのわずかに動くだけ。
右の手足にいたっては動く気配すらなかった。
再び教師として復帰する、それは叶わぬ夢だった。
そんな時、学年主任の奥田先生が、あるものを持ってきた。
それは、勇人さんをはげまそうと神奈川にいる生徒達が書いた手紙だった。
時には鬼のごとく接するのも全ては子供達のため、その想いは生徒達の心にしっかりと届いていた。
この手紙を見た勇人さんは復帰を決意する。
だが、新学期まで後わずかしかない・・車椅子すら動かせない勇人さんに当然、担任など務まるはずはなかった。
しかし学年主任の奥田先生も教頭に勇人さんの復帰を懇願していた。
小林教頭は悩んだ、常識から考えれば到底あり得ない。
その後、厳しいリハビリに耐える勇人さんを見て、小林教頭は勇人さんを復帰させることを決意した。
だが、勇人さんを復帰させるにはいくつもの高いハードルを越えなかればならなかった。
第一に、学校を管轄する教育委員会の許可が必要だったのだが、「身体を自由に動かせないなら無理」だと全く取り合ってもらえなかった。
さらに、PTAの反応も・・やはり厳しいものだった。
何の進展もないまま4月を迎え、3年生は新学期のスタートを切ってしまったのである。
そんな時、奥田先生が『3年1組 担任:腰塚勇人』と書かれたクラス名簿を持ってきたのだ。
実は、腰塚先生に戻ってきてもらうため、生徒達自ら不安がる親達を説得してくれたのだ。
一方、小林教頭は、何度断られても教育委員会に足を運んだ。
そして、たった一人の教師を担任として復帰させるため、全校を上げてバックアップするという異例の提案を教育委員会に打診したのだ。
生徒達の熱意は遂に教育委員会をも動かした。
こうして勇人さんは復帰出来るその日に合わせて、3年1組の担任になることになった。
勇人さんは、前にも増してリハビリに励んだ。身体は今だにわずかに手足が動くだけ。
車椅子が動かせるようにならなければ、復帰などできないのは分かっていた。
リハビリは想像を絶する痛みを伴った。
だが、勇人さんには決して諦められない理由があった。
クラスの皆が作ってくれた勇人さんのイラスト付きの寄せ書き。
大きなフキ出しで「完全復活」と書かれたよこには仁王立ちする勇人さんの姿が。
そして、過酷なリハビリと共にもう1つ、欠かさず続けたことがあった。
毎朝8:30、ホームルームと同じ時間にクラス全員の名前を呼びこと。
来るべきその日のために。
そして、壮絶なリハビリを続けた結果、勇人さんの身体に奇跡が起こった!!なんと勇人さんは自力で歩けるまでに回復。
復帰への思いは、医師にも説明出来ない奇跡を起こしたのである。
やがて7月が訪れた頃、勇人さんは学校に復帰したのだ!
鬼と呼ばれるほどに厳しかった。
時にはやりすぎだと言われた。
だが生徒達は、分かってくれていた・・鬼の顔に隠された本当の想いを。
生徒の前では決して見せたことのなかった涙が止めどなく溢れた。
自分を支えてくれたたくさんの人たちの思いに答えるために勇人さんは、不可能と言われた完全復活を成し遂げたのだ。
そして2003年3月、教師として復帰した勇人さんは、3年1組の担任として39人の進路指導にあたり、生徒達全員を無事卒業させた。
式が終わると、勇人さんは生徒達にある授業を行った。
教師としてではなく、一人の人間として伝えたいメッセージがあったのだ。
それは、死さえ考えた孤独と絶望の中で思い知らされたこと。
人は一人で生きているのではない、周りに生かされている。
だからこそ、人は人のために生きなければならない。
そして心に5つの誓いをたてた。
「口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう・・・」
「耳は人との言葉を最後まで聞いてあげるために使おう・・・」
「目は人の良い所を見るために使おう・・・」
「手足は人を助けるために使おう・・・」
「心は人の痛みがわかるために使おう・・・」
この誓いこそ、勇人さんが卒業する子供達に伝えたかった言葉、命の授業だった。
勇人さんは山王中学校で8年間務め上げた後、養護学校の教員を経て現在、新たな活動を始めている。
自らの経験を通して学んだことを伝えようと、全国の学校を廻り、『命の授業』を行っているのだ。
- 腰塚勇人(こしづかはやと)プロフィール -
https://inochi-jyugyo.com/
1965年 神奈川県生まれ。元・体育教師・養護教員。
スキーでの大事故をきっかけに、全身マヒの体に。
その後、懸命のリハビリにより社会復帰できるまでに回復し、
事故をきっかけに人生も人生観も大きく変化。
2010年3月で教職を辞し、現在は「命の授業」の講演を通して命の大切さを訴えている。
2010年5月 ダイヤモンド社より「命の授業」出版。
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奇跡だけど努力の結果ですね
お互いが必要とし
お互いを認め合い
相手を想いあう
人として最も幸せな世界を創りあげられていますね
5つの誓い
「口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう・・・」
「耳は人との言葉を最後まで聞いてあげるために使おう・・・」
「目は人の良い所を見るために使おう・・・」
「手足は人を助けるために使おう・・・」
「心は人の痛みがわかるために使おう・・・」
本当に素晴らしい気づきです
私たちのからだはこのように心がけて
使いきるなら幸せの連鎖が起こりますね
生きる姿が人を導いていく
敬意をこめて 心に刻みます