ぐんぐん、漕ぐ漕ぐ。
暑い中、むすめが自転車の練習をしている。
お世辞にも、まったく乗れてるとは言えない、フラフラだ。
「補助輪なしでも乗れる」という自信が本人もまだ湧かないご様子で。
後ろから少し押す、「やっぱりだめ!」
また後ろから少し押す、「とめてとめてー!」
ご近所迷惑な音量でストップの指示をだしてくる。
乗れる立場から見ると、なんとももどかしい。
「ママついてるから!だいじょうぶ!」
「コツをつかめばのれるよ!きもちいーよー!」
「ぐんぐん漕いだ方がフラフラしなくて恐くないよ!」
そんな言葉をかけながら日々練習だ。
大騒ぎの自転車練習も終わり。夕食も歯磨きもパタパタと終わり。夜、むすめの眠る額をなぞりながら、ふとおもいだした。
そういえば少し前まで、むすめは夜寝る前にトイレに行っても、朝にはおねしょをしてしょんぼりしていた。自分から「夜オムツをしたい・・・」と言ってきてしばらくはオムツを使っていた。でも、何日かに一度はやっぱりオムツが濡れる。
うーん。こればっかりはな。成長を待たないといけないかな。と思っていた。
本人は、「あたしまだ、こどもだし、おねしょしてもしかたないよねっ」と明るくいいつつも、クラスメイトがパンツで寝ていることを聞きかじるたびに、小さな眉間にちいさなしわを寄せていた。
大雨が続いた6月の梅雨真っ只中。オムツの在庫を切らした。正直、外に出たくないほどのザーザー降り。しかも気づいたのが夕食直前。私のめんどくさいメーターはMAXだ。「よし!今日からおむつなし!」独断で勝手に決めた。むすめも「うん!できる!」と答えてくれて、そこからは、2日に1回から3日、4日に1回・・・とだんだん減っていき、あっという間におねしょの日々は終わりを告げた。
目指す姿があるのなら、力不足でも時期尚早でも、まずその状態に身を置くこと。やってみてはじめて、スタートだ。それから失敗して、しょんぼりして、諦めそうになって、またやってみて、そしたら、その目指していた姿が当たり前になっているのだろう。
「書いて、撮っていられれば本当に幸せ」とずっと思いながら、そればかりには没頭できない場所を自分で選んでいたわたしの2年間。
自転車にフラフラと乗るむすめの背中にかける声が、そのままわたしに跳ね返る。
「ママついてるから!だいじょうぶ!」
「コツをつかめばのれるよ!きもちいーよー!」
「ぐんぐん漕いだ方がフラフラしなくて恐くないよ!」
2年前のわたしにはできなかった選択が今はできる。それがうれしい。
「書いて、撮っていられれば本当に幸せ」という場所の、だいぶご近所まできた。とおもう。
不安も寂しさもごめんねもありがとうも、正直あるんだけど。
その先にはわたしが思い描くことができないほど、想いどおりの景色があると信じて。
モヤモヤはぜんぶひっくるめて自転車のカゴにぎゅーっと詰めて、ぐんぐんペダルを漕いでみたいとおもいます。
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