てをつなぎ

こどもがまだ歩き始めの頃は、転ばないように、まっすぐ歩けるように、手をつないでいた。
気持ちのバランスでいったらおそらく私が9、こどもは1くらいだろうか。少し足と腰をかがめて、小さな手を、優しく(たぶんね)ひいた。

3歳くらいのときかな?
てをつなごう?と言ってもやんわりと拒否する時期があって、その少しあとから、気持ちのバランスが変わった。ようにおもった。
私が5、こどもが5。
シーソーならまっすぐ水平。

手をつないでいるときの、強さ、絡めた指と指の間のかんじ、腕の振り方、歩幅のとりかた、わたしを見上げる目線。
それらをイーブンに感じるときが増えた。ひっぱってるでも、ひっぱられるでもない。

そして、こどもが4歳の頃。

眠る時間の少し前。わたしはとっても悲しいことがあって、白い毛布にくるまれながら涙を流していた。

ひっくひっく。大泣き。

いつも泣くときは隠さないから、「大人になっても人って結構弱くて、悲しい悔しい嬉しい時は涙を流すもんなんだ」と、わたしのこどもは思ってる。とおもう。

そう、それで、泣きじゃくるわたしのそばに来て。こどもはわたしの隣に座って、「ないてもいいんだよ。ままもかなしいときって、あるよね。てをつなご。あったかいからいいきもちだよ。」そんなことを言って、少し大きくなった、でもまだまだちびっこな両手でわたしの左手のひらをはさんだ。


こどもは眠かったんだろう、たしかにその手はとてもあたたかで。たしかに、とても気持ちのいいもので。たしか月は弓張月。

その夜、そのとき。こどもはたぶん10の気持ちでわたしの手をつないでいた。

それから、そとで手をつなぐときも気持ちのバランスがわたし8、こども2でなんとなく親らしい?ときもあれば。
こども9、わたし1でつないでもらっている状態のときもある。

すれちがう人から見れば、手をつないでるふつーの親子。

でも、二人のあいだは日々変わっていく。

みえるものも、みえないものも。

かわって行くことの強さよ。
変わらずにいることの儚さよ。





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