無という無限の力/2007.09.14
そこに存在しないものに無限を感じる。
私が書いたものにあえて15年以上経って
感じることがあります。
ブログがとても流行った時代。
もちろんSNSなんかほとんど無かった時代。
だからこそ細やかな主張もブログに記す。
あの時はちょうどそんな記録の中でふと
湧き上がった感情でした。
事実として無い内容をさも存在するかのように
記している行為について。
今はSNSがそれを加速させています。
うわさや都市伝説なんかはその域を
出なければ特に問題はないけど
やっぱり「客観的な事実」があるのに
事実を「ねじ曲げ」て記す行為は
ダメですな。
特に誰か特定できる人物に向けて
書かれている時。
SNSはすでにモラル無き領域に入っている。
それはタイムラインと削除という行為で
肯定されるかのように。
でも、その分、一旦オンラインに公表して
しまうと実に永遠に一つの事実として
漂い続けます。
それを流した本人は「無」と思っていても。
以前、メディアという仕事をさせてもらっていた
時に感じたことを改めて思いだしました。
その中で「沈黙は金なり」という格言の凄さが
再び心の中で大きくなり始めています
無とは自分の心に留めておくモノ。
それを安易にブログやSNSを通じて広めてしまう
リスクが現代にはあります