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ほとんどの持つ意味/2007.12.27

そうそう。この「ほとんど」の意味。
ゼロじゃないけどゼロに近い状態との時に
ゼロと認知することの違和感。
これは自転車学を伝える時に何度も感じました

自転車の組立技術は日進月歩。
だからこそ既にほとんど使わない技術や
知識もあります。

使わないという作業はたまたまな場合も
あります。

この自転車には使わないから

技術は過去から引き続かれています。
だからいきなりその技術の考え方が無くなっている
わけじゃない。

それは全てはないけどその要素は必ずあります。
だからいきなりそのほとんど使わない技術を見えなくする
蓋をしてしまう危険性を感じています。

私も全ての技術のルーツを知っているわけではありません。
それでも学ぶ中で時にはじっくり考察することがあります。
時にはそうやって考える中で気づきがあります。

だからこそ、この「ほとんど」の意味には
とても注意をしています。

このブログ執筆時も受講生から
ほとんど使わない技術」だから学んでも無駄と
言い切られました。

反論をするよりもどういう説明が必要だったのか。
その受講生はそう信じているならそれはそれで
仕方ないし不必要な説明(時には反論に聞こえるので)は
せずにではこの組立技術の中で各パーツの構造が
わからないとどうなるかを簡単に説明してみました。

ラッキーにもその説明には気づきが合ったようです。
もちろん、私にもそういう時代がありました。
必要なことだけ教えてくれればいい。

不必要なことからもヒントやアイディアが
出てきます
だからこそこの「ほとんど」いう解釈にはいつも
気をつけています

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