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オリンピック予選会の責任を背負った瞬間

オリンピックは
人生を大きく左右する瞬間が存在します

私はレースメカニックとしての経験がありますが、
オリンピックの本番にはまだ縁がありません。
選手としてでも、メカニックとしてでも。

しかし、人生で一度だけその縁に恵まれました。
オリンピック「出場選手を決定する」予選会の
運営を担当する機会が訪れたから。

それも突如として。
もちろん、これを達成するためには一人では
足りませんでした。
これが私の人生で初めてかつ最後の仕事と
なりました。
でも受けた時は
その「重要性」を理解していなかったのです。

それまでに地方の大会での経験がありましたが、
今回はオリンピック。
ここに寄せられる視線は異なりました。
参加者の数ではなく、その「意義」だから。

オリンピックの代表選手は「男女各1名」。
私の役割は、誰が見ても公平に選手を
選ぶための準備」をすること。
しかも、これから初めての正式競技となる
MTB(マウンテンバイク競技)。
誰もが「未知の領域」。
だかこそできたのかもしれません。

準備は開催地での会場視察から始まりました。
この場所は世界基準のレースをおこなう
ふさわしいと確信しました。
しかし、その時点ではスタッフの確保も
まだ未完了。
その後、地元のテレビ局から突如として
テレビ中継」の話が持ち上がりました。

これは「恐ろしいこと」でした。
完全に自分の「能力を超えている」ように
感じました。
しかし、こういう瞬間に考えることがあります。

仕事は自分の能力を超えた挑戦を受けること

あえて受けるのです。
その時に臆せずに受け入れることが、
後悔を「避ける鍵」となることを知りました。
それだけが、私の心に残りました。

最善の準備をしても、失敗はあるかもしれません。
それは十分な準備ができていないのではなく、
予測不可能な事態に対処する必要があるからです。
ラッキーな出来事を見つけたり、あきらめることなく
前進することが必要でした。

当日、レースが終わりました。
二人の代表選手は無事に本番のオリンピックに出場。
私の仕事は、多くの地元の方々の協力がなければ
不可能でした。

しかし、あの瞬間に仕事を断っていたら。
どんな結果になったか、考えることすらできません。
能力はいつも不可能から育ちます

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