1980年10月 Hey Hey We're...
モンキーズ(THE MONKEES)
デイビー・ジョーンズ(Vo)
ピーター・トーク(B)
マイク・ネスミス(G)
ミッキー・ドレンツ(Dr)
(※写真右から)
1980年、中3の秋。山口百恵が芸能界を引退、巨人軍の長嶋監督が解任された10月、たのきん人気に負けじと、空前のモンキーズ・ブームが始まった。
コダックフィルムのテレビコマーシャルで、オールディーズがCMソングに採用され、ママス&パパスの「夢のカリフォルニア(CALIFORNIA DREAMIN')」、ジャン&ディーンの「サーフ・シティ(SURF CITY)」などがテレビから流れ、「夢のカリフォルニア」は、オリコンのチャートをかなりの位置まで上昇した。
同じく第二弾としてモンキーズの「デイドリーム(DAYDREAM BELIEVER)」もCMに使われリバイバル、ほぼ同時期に、TBSテレビで「ザ・モンキーズ・ショー」の再放送が始まり、コミカルでキュートなモンキーズが、女子中高生を中心に大人気に。男の私にとっても曲がポップで覚えやすく、見ていて楽しかった。
「ザ・モンキーズ・ショー」は、確か夕方の放送だったと思う。ドラマ「大都会」(パートⅠ、Ⅱ、Ⅲ)、「太陽にほえろ」、「ゆうひが丘の総理大臣」、「俺たちは天使だ」などなど、16時からの日テレを中心に、この時期の夕方は再放送の宝庫だったよなぁ。
話がズレたが、この「ザ・モンキーズ・ショー」、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で放送されていた記憶だったのだが、調べてみたら、TBSの方が先で(月~金 17:30だった)、TBSの再放送が全回終了した後、ブームに乗り、東京12チャンネルで再び放送されたようだ。ちなみにTBSでの再放送が終了した際には、局に抗議が殺到したという話もある。中には涙声や怒声もあったとかなかったとか。
モンキーズ・ブームはこれだけで終わらず、東京12チャンネルでは、「おはようスタジオ」(通称“おはスタ”)でもよく特集をやっていて、マイク・ネスミス以外のメンバーもそれぞれ来日、ボーカルのデイビー・ジョーンズ(当時35歳)はコンサートも開催したりとさらに人気に火を点けた。この“おはスタ”には、記録的な数のスタジオ観覧申し込みがあったらしい。
その後も、過去の作品の再編集、再発売はもちろん、日本未公開だった1968年の映画が上映されたり、82年の「素敵な女の子(DO IT IN THE NAME OF LOVE)」再リリースまで、年を跨いだ一大ムーヴメントになった。
母国アメリカでも、グループ結成20周年にあたる1986年に、MTVで「ザ・モンキーズ・ショー」が再放送されたことがきっかけにリバイバル・ブームが発生し、マイク・ネスミスを除く3人で再結成されたことがあった。
アルバムからは、MICKY DOLENZ & PETER TORK OF THE MONKEES名義で「THAT WAS THEN, THIS IS NOW」(全米20位、全英68位)、THE MONKEES名義で「HEART AND SOUL」(全米87位)がランクイン。さらに往年のヒットソング「DAYDREAM BELIEVER」のリミックス(全米79位)もリリースされている。
二度のブームに登場していないマイク・ネスミスと他のメンバーは不仲な訳ではなく、所属プロダクションの契約上の問題で、マイクは、イベントなどの時にはコメントやビデオメッセージを贈っていたそうだ。
記憶がちょっと断片的だったが、中3の時、私のクラスにも、透明下敷きに切り抜きを入れた女子や、卒業記念のサイン帳や卒業文集のプロフィールに「好きなタレント:デイビー・ジョーンズ」とか「将来の夢:ビーター・トークのお嫁さん」と書いてた女子も。高校に入ってからも、クラスに何人か根強いモンキーズファンの女子がいたなぁ。男子もさかのぼって過去の作品を聞いたりと楽しめるブームだったよね。
2000年代に入ってからも、日本のBS、CS等で時々再放送されているようだが、今でもある程度の人気が出るのではないかと思うのは私だけだろうか。