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占拠と選挙、明と暗

本日1月20日はアメリカの大統領就任式。思い浮かぶのが1981年1月20日、レーガン大統領の就任式。その同日「イランアメリカ大使館人質事件(1979年11月4日勃発)」の人質が444日ぶりに解放されている。
宗教指導者ホメイニ師に率いられた革命が成功し、パーレビ国王がアメリカに亡命した(イラン革命)、革命政府はパーレビ国王の身柄の引き渡しを要求したがアメリカが拒否、それに憤激した革命派の学生がアメリカ大使館を占拠、大使館員52名が人質となった事件だ。

アメリカ政府は報復をほのめかしながら交渉に当たったが難航、その後の救出作戦も失敗し8名が死亡するなど苦境に陥っていたが、この1月20日、アメリカ政府とイラン政府はメヘラーバード国際空港での人質の引き渡しを行い、人質たちはアメリカ政府が用意した特別機でテヘランを出発、同日午後に西ドイツのヴィースバーデンの米・空軍基地を経由して、アメリカへ帰国の途に。帰国後、人質たちは国を挙げての大歓迎を受けた。この時にチャートを上昇していたこの曲をかけて迎えたそうだ(1月17日付ビルボード14位)。

そんなこともあって、KOOL & THE GANGの「CELEBRATION」は、1月31日付のビルボードチャートの3位に急上昇、翌週にはバンド初の1位に輝いた。

帰国した人質たちはアメリカ政府により病院に検査入院した後、自宅に戻ったそうだが、事件解決の裏にはこんなエピソードがあったそう。
1980年11月4日に行われたアメリカの大統領選挙で、現職のジミー・カーターが共和党のロナルド・レーガンに敗北、カーター大統領を敵視していたイランが仲介国と人質の返還でアメリカと合意、レーガンが大統領に就任した1981年1月20日に人質が解放されたのだという。占拠していた学生たちのモチベーションの低下という説もあるし、タイミングの良さと、後に発覚することとなる疑惑(レーガン政権がイランへの武器売却代金をニカラグアの反共ゲリラ「コントラ」の援助に流用していた)もあって、『レーガン陣営とイラン政府との間の裏取引したのでは』という陰謀論も出たようだ。

1981年1月20日 退任するカーター氏

米・歴代大統領で唯一100歳を超えたカーター氏も昨年暮れに亡くなった。時は流れてゆくが、新年のお祝いムードとこのエピソードもあって、KOOL & THE GANGの「CELEBRATION」は、今でもこの季節に思い出す曲なのだ。

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