マタニティマークがはずれたら、ふと寂しくなった
マタニティマークの効能
妊娠中のママには、マタニティマークが配られる。
身につけている間、
それはお守りでもあり
印籠のようでもあった。
公共交通で席を譲られたり
街で「何ヶ月ですか?」と知らない人に話しかけられたり
世界が少しフレンドリーになったり
優しくなったりした。
マークを外したら寂しくなった
息子が生まれ、少し落ち着いた頃
育休中の夫に子を預けて
少しだけ散歩にでようとした時のこと。
カバンにつけっぱなしだったマークをみて
「あ、もうこれはつけなくていいんだ」
そう思うと
ヒュウっと、胸に風が吹いた。
家に帰れば可愛い私の赤ちゃんがいるのに、
お腹の中にはいないことが少し寂しいような。
そして、
今もし私が誰かに拐われたり(そんなこと絶対無いが)
事件にあったり、
ナンパされたり(は?)
仮にしたとして。
「この人はお母さんなんだ」ということが
見た目からは全くわからないということ。
それがめちゃくちゃ不安になったのである。
ベイビーインカーがあるならインハウスも
車につける初心者マークのような類に
ベイビーインカーというマークがある。
出産前、ウキウキとベビーグッズを買うノリで
気に入ったデザインを買っておいて、つけている。
でも「これってなんの意味があるんだろうね」と家族とよく笑う。
それがあるんだったら
ベイビーインハウス的なマークだって欲しいなあと
新米母は思ってみたりしたのである。
子育て初心者マークともいうべきか。
愛着という目に見えない印
冒頭の散歩から1年以上、息子はもうすぐ1歳半になる。
母は自宅で仕事をし、息子は保育園へ。
息子は園で元気いっぱい遊び、歌いながら自転車の背に乗り帰る日々。
イラストレーター母ちゃんは自営という不安定なデイズにヒリヒリしつつ
ワンオペライフで大忙しである。
お迎えに行くと、
今日もきっと、息子は私を見つけた瞬間のキラキラ笑顔で
体当たりで胸に飛び込んでくる。
この1年半で培った「愛着」という目に見えないもので
お腹にいる時よりも何億倍も、
絆は深まっている自信がある。
子育ては永遠に初心者マーク?
母として自信がでてきた今、
子と離れる機会はグッと増えたのに
マークをつけたいとはあまり思わない。
でも同時に思うのは毎日が
「こんなの初めて!」の連続だなあということ。
生まれた瞬間、呼吸し、出した声
それから、音が聞こえ、目が見えてくる…
それから始まった「はじめて」の瞬間は
今では、はじめて発する言葉や、その意味、
落ち葉の感触、土の手触り、音楽など。
どんどん立体的に、広範囲になってきている。
そんな息子の「はじめて!」に遭遇するたびに
新鮮に感動できる子育ては、とても楽しい。
「でもきっと…」
1人、ふと考える。
これからのはじめて!は決して楽しいことだけじゃないんだろうな。
けがとか、悩み、人間関係や進路だとか。
「はじめて!」は複雑になっていくのだろう。
だから、心の初心者マークは、永遠につけ続けていたいなあ
なんて思ってみたりする。
それがあってもなくても、子育ても生活もただそこにあって、
まだまだずーっと、続くのである。