誕生日を祝う気にならない

そういうことがある。
精神的に病んでいるとか宗教上の理由とかではなく、ただ単純に「あ、誕生日なんや、ふーん」と思うことが最近増えてきた。

職場で上司が「今日誕生日やねん」とプロジェクトメンバーに話していた。
還暦をじき迎える世間話程度しかしないような、おじさんの誕生日を何故祝う必要があるのか。
「そうなんですね」とだけ言うのも憚られるので、考え事をしているフリをして乗り切った。

根底には
「誰にでもあるものを何故わざわざ祝うのか(しかも毎年)」という理由がある。
だが、友人家族などは別だ、この話は端的に「人に拠る」の一言で済むが続ける。

「誕生日=祝う」
という暗黙の了解のような、そうしなければいけないような風潮が苦手要素と成っている。
先制攻撃された時の「おめでとう待ち」ほど不快なものはない。そう言いたい人には言うから、そのジャブをやめろ。

更には自分自身その日に固執してないのも理由の一つだと思う。
小さい頃はプレゼントが貰えて、普段は行かないような外食に連れて行ってくれていた。
その非日常が待ち遠しかった。

今は誕生日が何も嬉しくない。
数字の上で老いを実感してしまう。
「成長」という捉え方も人によってはあると思うが、それは誕生日である必要がない。

しかし、祝われること自体は凄く嬉しいことである。プレゼントを頂くこともあり、本当にありがたい。
わざわざ自分から「今日誕生日です」と言うことはないが、その分覚えてもらっている人から祝われると喜びも一入である。
おめでとうと言われて誰も悪い気はしないだろうし、私も例外ではない。



誕生日は4/11である

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