エンジョイフットボールの“エンジョイ”とは?
先日、「エンジョイフットボールの“エンジョイ"とは?」といったテーマでTwitterスペースをパラキート松本さんが開いていたので参加してみました。
ソーシャルフットボール(精神障害者サッカー)の大会にチームとして参加したことで、以上テーマについて考える機会があったとのことでした。
「競技によっても捉え方が違うのでは?」といった意見や「大会規模によっても意識が変わってくる」や「エンジョイした先に勝利がある」などの意見もありました。
自分はこう感じたということだけこちらに書きたいと思います。
「個々のマインドとしてのエンジョイと、イベントの看板としてのエンジョイを分けた上で、看板としてのエンジョイは競技普及のための共通言語」
と考えています。
噛み砕くと。
そもそも「フットボールとはエンジョイするものである」というのが基盤にあると思っています。
プロ、アマ問わずサッカーをしている動機のどこかに楽しむという要素が入っているのではないでしょうか。嫌々やらされるという場面がないとは言えないけれど、継続的にやっている人にはやはりエンジョイの要素はどこかにあるのでは。
プロや競技者は厳しい環境に身を置いている人も多くいます。評価や重圧という要素があることで感じづらくなるけれど、やはり基盤にエンジョイがないと続けることができないと思うんです。
ゴールが決まった瞬間、スルーパスが通った瞬間をエンジョイする人もいれば、勝ち負けや辛いトレーニングの過程をエンジョイする人もいる。プレーでなくても応援をエンジョイする人もいれば、大会運営をエンジョイする人もいます。
これが「個々のマインドとしてのエンジョイ」であって、様々な感じ方や関わり方があって自然なものだと思います。
そして「エンジョイフットボール」というタイトルがついた大会、個サルのクラス分けで用いられる「エンジョイ」など看板ワードとしての「エンジョイ」には共通認識を持たせる役割がありますよね。
初心者や競技としては自信がない人も「エンジョイ」と書かれていれば参加しやすいし、上級者に対しては「初心者にも楽しんでもらうマインドで参加してね」と暗に伝えることができるワードだと思います。
だからゴリゴリのラフプレーなんかがあるとその場にいる人たちにとって不協和音となり、どこかその人に対して不快感をもつのではないでしょうか。
ラフプレーをした本人にとってはその人なりのエンジョイかもしれません。しかし、共通認識とのズレの方に意識がいき不快感を持つのではないのかと思います。
競技としてサッカーをより豊かなものにしていくには「サッカーって楽しい」「サッカーを始めてみたい」とたくさんの人に感じてもらわなくてはいけません。マイナースポーツに関わる人は身に染みるほど感じていることです。
競技普及の入口として「エンジョイ」というワードが多く使われていると思います。
サッカーを愛する人には初心者や子どもに対してポジティブな気持ちで参加してもらおうというホスト的なマインドでいてほしいと思うし、それができない人とは気が合わないと個人的には感じます。
皆さんはエンジョイフットボールの「エンジョイ」をどう捉えますか?
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