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#39 ばあちゃんの涙-CEO窪井

こんにちは、株式会社ctow 窪井です。突然ですが、私は人生の中に仕事が含まれると思っています。仕事と人生は切り離せない。人生を考えることは、仕事を考えることにもなる。ということで今日は、人生について考えた話を日記にしたいと思います。

運転免許を返納した85歳になるおばあちゃん

私には85歳になるおばあちゃんがいます。おばあちゃんは女で一つで私の母とおじさんを育てたようです。そんなおばあちゃんが昨日、運転免許を返納したようです。理由は、かかりつけのお医者さんからそろそろ免許を返納した方が良いよいと言われたから、だそうです。

私のおばあちゃんは、島根県で暮らしているのですが、おじさんがいる福岡県まで、ついこの間まで1人で車を運転して会いに行ったりしていました。女で1人で育てたという過去があるため、良い意味で自分に自信を持っています。というよりは、子供たちを育てるために、自信を持つしか選択肢がなかったのかな、とも想像します。夫婦くではなかったようです。おばあちゃんはいつも明るくて、孫である僕たちに執着することもなく、「やりたいように生きれば良いよ」といスタンスで接してくれていました。

先日、1年以上ぶりにおばあちゃんに会い起業して挑戦しているという話をしました。するとおばあちゃんは私にこう言いました。

「もっと苦労しなさい」

可愛い孫が、不安定な世界に飛び込み挑戦することが心配で、いつでも戻ってきていいからね、など優しい言葉をかける場合もあると思います。しかし、おばちゃんはもっと挑戦して失敗をしなさい、という言葉をかけてくれました。まるで苦労した先に成長や人生の豊かさがあることを知っているかのようでした。同時に、自分の可能性を信じてくれているような、そんな気持ちになりました。

もう運転はやめた方がいいね・・・

そんなおばあちゃんは、半年ほど前に体調を崩し病院に通うようになりました。状態も回復してきて、先日会った際は、いつも通りのパワフルなおばちゃんでした。そして数日前、定期検査の結果を聞きに病院に行ったところ、心臓に少し問題が発覚したようです。具体的に何かの病気というよりは年齢的な衰えといった感じでしょうか。そして、お医者さんからこう言われたようです。

「もう運転はやめましょう」

おばあちゃん自身もいつか言われるだろうなと想像していたはずです。でも、元気になってきたし、もうちょっと運転できるだろう。そして、運転して友達や子供たちのもとへ向って、お茶をしたり掃除を手伝ったりしたいと思っていたと思います。ですが、運転ができないと行動が制限される。行動こそが生きがいだったおばちゃんにとって、「免許の返納」が意味することは大きかったと思います。

お医者さんの言葉に普段は強いおばあちゃんも、涙を流したようです。

なぜ涙が流れたんだろうと想像しました。前を向くしかない人生でツッパしてきた85年間。まだいけるまだいける、そう思っていたけれど、老化には抗えず、行動が制限される。免許返納という物理的に車が運転できなくなる事実に、決定付けられる行動の制限。「あそこ行きたかったな」「あれしたかったな」「まだ元気だと思っていたけどな」色んな感情が混ざった涙だったのかなと想像しました。近づいていくる人生の終わりを感じた涙だったのかな。今周りにいてくれる大切な人との別れを感じた涙だったのかな。それとも早く旅立った旦那と、天国で出会える日が近づいていることを喜んだ涙だったのか。

私はまだ、命に終わりがあることを心の底から実感はできていません。なので、おばあちゃんがどういう気持ちだったのか、正確に想像することもできません。

ただ、おばちゃんの涙を知ってこう思いました。

「今を生きよう」

私は今31歳ですが、いつ人生が終わるかもわからない。そして今はまだ理解できていないけど、確実なのは、私の人生も必ず終わること。そう思うと生きている今を、悔いなく生きていきたいと思いました。

人生の終わりが近づく中で流したおばあちゃんの涙で、今を生きることの大切さを学びました。孫の人生を前向きにできる涙を流すことのできる僕のおばあちゃんは、やっぱりすごいなと思いました。