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#35 私の生い立ち②-CEO窪井

こんにちは、株式会社ctow 窪井です。今日は前回に引き続き私の生い立ちを日記にします。生まれてから小学生時代までをまとめた「私の生い立ち①」は、以下からご覧ください。

「あれ!社会って正しいわけじゃないんだ!!!!」

両親の職業が教員なので、私に対して「先生の子供だから優秀」というイメージを抱く社会に、幼少期から違和感を感じていました。先生の子供でなくても優秀な人もいるし、先生の子供でも優秀でない人もいる。「先生の子供」であるかどうかは全く関係ない。両親の職業や、有名な社長の子供、仮に貧しい家庭で育ったとしても、そこで生まれた子供の性格は本人次第。肩書ではなく、1人の人間としてどのような性格なのか?に着目しなければ、物事の本質は見極められない。「社会ってなんか変だな〜」と、ぼんやりとそのようなことを感じながら生きていました。

入学した中学校では、母が先生として働いていた

そんな私ですが、周囲が抱く勝手なイメージを強く感じる出来事が起こります。なんと、私が入学した中学校には、私の母が音楽の先生として働いていたんです!中学1年生の時、入学した私が廊下を歩いていると3年生の先輩から「あ!窪井先生の子供だ!」と言われました。その言葉を聞くと、学校生活をとても窮屈に感じました。

「先生の子供だ!」

(なんか真面目そう!)
(礼儀正しい先生の子供だから礼儀正しいのかな?)
(へー確かに顔似てるかも!)

「先生の子供だ!」というその言葉の裏柄に、(言葉にしていない心の声)を想像してしまい窮屈に感じていました。幼少期、両親が忙しかったためにおばあちゃんに育てられ、ひたすらに友達と遊び、好きなことだけをして自由に生きてきた私はこう思いました。

「なんか勝手にイメージつくられている?!?!」

真面目な自分をイメージされていると思うと、そう振る舞うことを求められているの?と想像しました。また、自分自身は自分が真面目でも、不真面目でも、優秀、優秀でないなど、考えたことがなかったので、そのレッテルに、自由を奪われたような気がして窮屈でした。

結果私はヤンチャをするようになります。今思えば、周囲が抱くイメージへの反発だったと思います。普通に真面目に生きていたら、「先生の子供だから真面目」というイメージ通りになる。なんで周囲のイメージ通りに生きないといけないんだよと思っていました。不真面目になりたい!なんて思ったことはなく、とにかく誰かの型にハマって生きることが嫌でした。

気にせず関わってくれた友達

私は相変わらず友達は多く、常に男友達とふざけて過ごしていました。「先生の子供だよな!」といじってくる友達もいましたが楽しければオッケーという感じでした。

そんな中でも、一度も「先生の子供」というイメージはゼロで接してくれた友達が数名いました。振り返ると貴重な存在だったとなと思います。その友達は、小学3年生の時に仲良くなり、家も近く毎日一緒に野球やサッカーをして遊んでいた友達でした。そして同じ中学校に入学し、同じく陸上部に入部。登下校も一緒でした。

彼にとっては、私がどのようなバックグラウンドがあるかはどうでも良く、ただ一緒にいることが楽しい、というだけだったと思います。同じく私もそうでした。

当時は、彼の存在を特別に思ったことは一度もありませんでしたが、人生を振り返ると、自分自身を保つ上で貴重だったなと感じます。周囲の人全員から「先生の子供」と見られ、そのイメージ通りに振る舞っていたら、自分を見失っていたと思います。彼を筆頭に、私を1人の人間として見てくれた友達がいたから、今の自分があるんだなと気が付きました。

次回は、高校生活について書きます。
③へ続く。