陰陽座「相剋」と『犬神家の一族』~ひとつの個人的な考え
※本記事では、横溝正史『犬神家の一族』について主要部分のネタばらしを行っています。ネタばらしを避けたい方はブラウザバックをおすすめします。また、『犬神家の一族』は読んだことがないけれど、陰陽座「相剋」の内容とどう関係しているのかな、と気になる方は読まれてもいいのかもしれません。ネタばらしなんてまったく気にならないよ、という方はこのままお読みください。多少なりとも気になる方は、慎重に考えてからのほうがよいでしょう。『犬神家の一族』は読んだし、「相剋」も好きという方は、自分の考えと照らし合わせてみて、「ここは違うんじゃない?」とか「もっといい考えがあるんじゃない?」など、自分なりに「相剋」の歌詞について考えたときの叩き台にしていただければ幸いです。勝手な個人の考えですので、話半分に読んでいただければよいかと思います。
・はじめに
歌詞を全引用するのは気が引けますので、私なりの考えだけつらつらと書いていきます。なにかのご参考になれば幸いです。
気になった方は、上記のYouTubeのリンクから楽曲を聞いてみてください。また、歌詞について知りたい方は、検索して歌詞を読んでみていただければ幸いです。
以下、歌詞に対する考えを一番Aメロから順番に書いていきます。
あくまで個人の解釈ですので、あまり真に受けないようご注意を……。
・考えについて
・補足
歌詞と楽曲を作った瞬火さんの解釈として面白いなというか、さすがだなと思うことは、若き日の犬神佐兵衛翁が野々宮大弐やその妻である晴世と出会ったこと、そして彼らの普通ではない関係性こそが、松子夫人が起こした悲劇と同様に取り上げられる価値があるということ。すなわち、それこそが「犬神家の一族」事件の真の発端であり、瞬火さんはそこを歌詞で示しているということです。
『犬神家の一族』の肝として、松子夫人の起こした事件は佐兵衛翁の「操り」だったのではないか、という点があります。
真に愛する孫である珠世にせめて財産を残したい、あるいは幸せに生きてほしいという佐兵衛翁の願いが、いびつな形で表出し、「操り」という形で事件になってしまったということなのだと思いますが……。
この楽曲は、横溝正史の『犬神家の一族』を端的に、美しく表現した素晴らしいものだと思います。
また、この楽曲と同じシングルに入っていた「慟哭」という曲は、松子夫人の最期の心情を、彼女と佐清・珠世との関係性をからめてバラード調で歌い上げた素晴らしい曲です。
こちらは、考えを述べるまでもなく、『犬神家の一族』を読まれた方にはスッと心に入ってくる曲でしょう。
関係ないですけど、「相剋」のイントロの一部分が、アニメ版「聖闘士星矢」のOP曲「ペガサス幻想(ファンタジー)」のイントロとなんとなく似ている気がする、と感じるのは私だけでしょうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?