【短編小説】ぼくのうしろにはきみが立っている③
夕食を終えて、自室へ戻ってきた。新たな問題について話し合おうとする。
「明日から仕事なんだけど… ついてくるって事だよな…?」
すでにぼくは天を仰いでいた。人間はこんなにもたくさん上を向いているものだろうか。ため息をつく事もこんなに多いのはぼくだけじゃないだろうか。
『今日のお風呂の事を考えると、そうなりますね』
かなは腕を組み、顔を傾けて答える。腹の立つほどの清々しい笑顔だ。だけど、よく考えてみたら誰かに見られるわけじゃない。迷惑をかけるわけでもない。今のところ、何かデメリットがあるとすると、ぼくが独り言を言い出すという変態行為ぐらいだ。これさえなんとかできれば、などと、とてつもなく前向きになっている自分に気がついた。ひとつ聞きたい事を聞こうと考えながら、デスクにあった煙草から1本を取り出して火をつける。その煙がかなを薄く感じさせる。
「いつまでおれの背後霊でいるんだ?」
なぜ、ぼくに、いつまでぼくに取り憑いているのかが知りたかった。一体どういうことなのか理解したかった。煙草をくわえて煙を口いっぱいに吸い込む。
『んー、60年くらいかなぁ?』
バカバカしくなったまま、煙草の煙と深い深いため息を吐き出した。もう考える能力すら喪失しそうだ。ぼくはこの1週間で本当に違う世界に来てしまったかのようだ。
「いいか。絶対におれの仕事のジャマをするなよ」
『どうやってジャマするわけ?触れる事もできないのに』
初めて笑顔じゃなかった、そんなかなの表情を見た気がした。そりゃ、2mくらいしか離れられないならついてくるしかないだろうし、迷惑なのは彼女の方か、なんて幽霊ファーストな思考も出てきた事が、ぼくを非現実的な世界へと誘ってくれる。
「まぁ、そうだよな」
そう言う以外、思いつかなかった。こうなってしまったら質問も非現実的なものになる。
「さっき、風呂の時、ついてきたわけじゃないんだろ?離れた時、どうなったの?」
煙草を吸いながら、質問しているこっちの方がバカバカしくなったが、この際だから気になった事は全部聞いてみようと思った。
『あたしもね、陽ちゃんがいなくなって部屋で待ってるつもりだったの。ところが、気づいたら陽ちゃんのうしろにいたの。うちのインターホン、鳴らしたでしょ?あの時もそう。インターホンを鳴らした時にはもううしろにいたの』
これは新しい事実だ。だから、あの時呟いた言葉がかなには聞こえていたのか。という事は、背後霊化したのはかなの家に行った時からなんだな、と妙な納得をして煙草を消した。その時、携帯が鳴りメールが届いた事を知らせる着信音が自室に響いた。
「健太だ」
『健太?うわー、懐かしーい!』
健太、とは、大学の時につるんでいた仲間のうちの1人でぼくやかなとも親しかった。メールの内容としては、かなが亡くなった事で思い出でも語りに、ぼくたち仲間で飲みにでも行かないか、というものだった。
「思い出を語りにって… 本人も連れてくって事だよな…」
と言いながらかなの方を見る。もう説明するまでもないくらい爛々と目が輝いている。天井を見上げながらため息をつく。だんだんと新しい技が生み出されていくようだ。
「行くの…?」
と力なく聞いてみたが、答えは想像通りだった。
『行く行くー!』
ぼくは健太へ参加するという内容の返信をした。少し間が空いたがメールの返信が返ってきた。返信のメールには参加するメンバーと日付、場所が記載されていた。
「明日?まぁ、いいけど… 健太、進一、美香、優子だってさ」
大学時代の仲間に会うなんて想像もしてなかったけど、まだ連絡が来た事自体はうれしかったし、かなの事でこんなに人が集まってくれる事もうれしかった。かなも会いたかった女友達が来る事を知って、ずいぶん嬉しそうにしてた。ため息ばかりだったぼくも笑顔になれた。
他愛もない話をしながら、明日の仕事の準備に取り掛かる。1週間も休めば行く気もなかなか起きない上に、もう1人ついてくるなんて初めての経験だ。そんな事を考えていたら億劫になりそうだったけれど、もう仕方ないと思ってみると、意外といける気もしてきた。
23時も過ぎた頃、明日の事も考えながらそろそろ寝ようかと思ったところでまた質問を思いつく。
「幽霊は寝るのか?」
『さぁ? 幽霊初日だから』
これは興味深い。果たして幽霊は寝るのか。ぼくは意外とこの状況を楽しんできているのかもしれない。かなも笑顔で接してくれているし、生きていた時はこんなに笑うやつだったかな、なんてそんな事を考えるようになっていた。
「明日、朝起きなかったら置いていくからな」
部屋の電気を常夜灯に切り替え、布団をめくりながらベッドに横になる。先ほどの続きだけれども、長い間、幼なじみみたいな関係でついこの間まで仲良くしてたかなの何を知っていたのだろう、とふと思いふけってしまった。かなが仕事の愚痴を言ってた事もあったが同僚と女子会なんてしてるとは思わなかったし、仕事が休みの日は何をしてたんだろう、とか。彼氏とかいたのかな、いや、いたならぼくにも伝えてただろう。でも、高校や大学で彼氏がいたなんて話は聞いたことがなかったな、などいろんな事を考えていたが、ひとつ思い出した。そういえば、健太はかなの事が好きだったはず。ぼくは急にニヤけだした。
「そういえばさ!」
バッと振り向き、かなの方を見た。床に体育座りをしながら座ってる幽霊がいる。声にならない驚きとともにぼくは布団から起き上がった。もはやホラー映画だ。
『あの… あたし、どうやって寝たらいいのかなぁ』
こっちが聞きたい。寝るものなのか寝ないものなのかもわからないし、でも、確かにぼくはいつも通り布団に入っただけで、かなの事は考えてなかった。かと言って、布団なんかないぞ、と思ったその時だった。
『陽ちゃん、ベッドに入れて?』
衝撃だった。幽霊とはいえ、女だぞ。いやいや、そんな積極的な女じゃなかっただろう。これは本物のかななのか、ぼくが知ってるかなではないのではないか、いや、今はそんな事考えてる場合じゃないのか。とりあえず、ベッドの左半分を開けるようにうしろに後退りしてみる。
『ありがと』
かなはそう言って、ベッドの左側に横になる。部屋が真っ暗ではないがために笑顔が確認できる。近い。近すぎる。自らの心臓の鼓動が聞こえる。別にこれが初体験なわけじゃない。でも、こんなにドキドキするのはきっとかなだからだ。ぼくも観念したかのように横になって布団をかけようとする。その時に気づいた。かなの足元にある布団がすり抜けている。本当にものに触れる事ができないのか。なんだか不憫に思いながら布団をかけてやると、やっぱりかなをすり抜ける。少し悲しかった。
『あれ、布団かけてくれるなんてけっこう優しいじゃん』
幽霊が微笑む。
『触れられないだけで、壁とかすり抜けられるわけじゃないからね?』
笑顔でそう言うが、ギャグに聞こえるほど余裕はなかった。かなは、彼女はやはり幽霊なのだ、と再確認した。それと同時に、少し現実に帰ってきたような気がする。かなに背を向けてぼくも横になる。
『あと…』
かなの左手がぼくの体を包むように伸びてきた。ぼくはドキッとししながら、その腕の行き先を見つめていた。
『触れられないから、えっちな事考えてもダメだからね?』
そう言ってそのまま彼女の手が体の中を通り過ぎ、ぼくの胸の前あたりでパタっとおさまった。とても切なく、愛しく感じたまま、ぼくの左手を、胸の前にある透き通る手に重ねた。
今日もまた暖かく眩しい朝日がぼくを照らす。目覚まし時計が鳴る数分前に起きたようだ。体を起こし布団をどける。まぶたは重い。ベッドの左端に手をかけて重たい体を起こし、デスクにある煙草に手を伸ばす。火をつけたあと、最初のひと吸いを天井に向かって吐き出す。
『今、完全にあたしの事、踏みつぶしてたよ』
朝日が照らしたのはぼくだけではなかったようだ。彼女の笑顔を本当に美しく照らす。そして、再度、現実に戻る。
「…夢じゃなかったんだな…」
煙草を吸いながら天井をただひたすらに見ながら、そう答える。今日、ぼくは幽霊を連れて会社に行き、その後、幽霊を連れて飲み会に行く。この現実を一瞬で振り返り、理解した。
「寝れたのか?」
興味のあった事を確認する。
『寝れたね』
笑顔で答える幽霊。吸い終わった煙草を消し、着ていたジャージを脱いでスーツに着替える。パンツ1枚になったがもう抵抗すらなかった。ネクタイを締め、カバンを持つ。
「行こうか」
まるで新婚の夫婦であるかのように当たり前に、かつ堂々とかなに声をかけた。
『ふーん』
ニヤニヤしながらぼくについてくる。せっかく覚悟を決めて格好つけたつもりだったんだけれど、イマイチなリアクションだった。リビングへの階段を降りながら母親にいってきます、を言う。これも久しぶりに言ったから、ある意味、覚悟が必要だった。
玄関を出た瞬間、太陽が眩しい。1週間ぶりの道中が晴れていた事はよかった。昨日までの自分が嘘であるかのように今日を一歩ずつ進んでいく。
『いってらっしゃーい』
今日はぼくの右側を歩きながら笑顔でそう話しかけてくる。うしろにいる必要はないのだから横でもいいのか。何より、話しかける時、常にうしろを向いていたくないから、ぼくにはちょうどよかった。かなにとっても、幽霊2日目。どんな気持ちなんだろう、そんな事を考えていた。
幸いにも田舎なため、バス1本で職場まで行ける。その停留所までは約10分程。かなは何かの鼻歌を歌いながらぼくの横を歩いてる。
『そーそー、実はね』
かなが話しかけてくる。
「ん」
ぼくも軽く右側を向く。
『飛べるの』
そう言ってニコニコしながら彼女はぼくの周りをくるくる回り始めた。いよいよ幽霊らしさが増してきたな、と思ったが、昨日の出来事全てが非日常すぎて、驚かなくなってた自分に頼もしさを感じていた。
「そうか!だから、ソファーに腰掛けたり、ベッドに寝たりできるのか」
ぼくはハッと思いついたかのように彼女の方を見たが、かなは目を丸くしながら、ぼくの少し前で浮きながら進行方向へ進み出した。
『そうなんだけど…』
あれ、何か変な事でも言っただろうか。それとも、変な事を言った事すらわからない世界にまで足を踏み込んでしまったのか。
『…そんな事考えながら、あたしの事見てるの?』
いや、そうではなかったけれど不思議に思ってたのは事実だった。ものに触れないのにソファーに腰掛ける。布団はすり抜けるのに、ベッドはすり抜けない。念のため、カバンで彼女の顔を隠してみる。やはり隠れる。だが、かなにカバンをぶつけようとすると通過するのだろう。彼女はふくれっ面でぼくを見てる。
「かなの事を知っておきたいんだよ。昨日、寝る時にさ、おれ、かなと長くいるのにおまえの事、知らない事多いなって思って」
彼女は一瞬、言葉で言い表せない表情をしたが、すぐにフッと笑い出して前を向き始めて、鼻歌を歌い始めた。それに対してとくにコメントはなかった。
停留所までに交わした言葉はこれだけで、会社に到着する。外靴から事務所用の靴に履き替えて、ぼくとかなの今日1日が始まる。
【④へ続く】
※この物語はフィクションであり、登場する人物名・地域・団体名は関係ありません。
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