【短編小説】ぼくのうしろにはきみが立っている⑤
一緒にいたこの2日間の中で見た事がないほどの真剣さを見せるかな。それが何か、重い雰囲気を作っているというか、時間を長く感じさせる。ぼくは煙草を吸いながら平静を装う。
『あのねっ』
ついにかなが口を開く。
『絶対に驚かないで聞いてほしいの。絶対に』
少し意外な言葉だった。驚くも何も、幽霊としてここにかなが戻ってきた事自体がすでに摩訶不思議だったのだから、驚く事なんてそうそうないと思っていたからだ。コーヒーに手を伸ばしてから煙草を消す。ひと呼吸置いた。
「わかった。驚かないようにするよ」
驚いてしまったらどうなるのか、とかムダな事は考えなかったし、聞かなかった。ありのままを受け入れる覚悟はできていたつもりでいた。
『あのね』
ぼくは首を縦にひとつ振る。うん、と声を出したつもりだが声は出てなかった。
『少しの間だけど… 元に戻れるの。人間みたいに』
ハッキリ言って驚いた。幽霊の世界は何でもありなのか、とか、これじゃまるで漫画の世界じゃないか、とか。驚いた、を超えて声も出なければ体も動かない。でも、もし本当に戻れるなら、少しでいいから戻ってくれるなら、思っていた事を伝えたい。幽霊のかなに、ではなく、本当のかなに。
「本当に……?そんな夢みたいな事、信じろっていうの…?」
『あー、驚かないでって約束したじゃん』
かなは頬を膨らませ、天井を見上げる。いつもの調子に戻るかなを見てホッとしたのが半分、驚いてもその程度だったのが半分の気持ちだった。
「あ、ごめん… でも、本当に戻れるなら戻ってほしい… な」
ぼくはもう本心というか、思いついた事を言葉に出す事しかできなかった。ただ、ひとつだけ考えた事を聞いてみる。
「ちょ… ちょっと待って…。本物に戻ったら、どうなるの…?」
質問の意図が正確に伝わっただろうか。ぼくは顔の前に右手を広げてただただ顔を縦に振るだけだった。
「誰からも見えるようになるし、ものにも触れられる。ほんの数時間だけどね」
質問したかった以上の答えが返ってきた。落ち着かない。他に確認しておくべき事はないか。そんな事を考えている間に、かなの説明は続く。
「数時間後はまた消えちゃうし、戻ってる間は陽ちゃん以外の誰にも見られちゃダメ」
かなも右手の人差し指を顔の前に出しながら、さしずめ名探偵のように淡々と説明してくる。残っていたコーヒーを全て飲み干し、一息つく。ぼくの家なら母親しかいないし、よほどの事がなければ自室に来る事もない。毎回のように、部屋に入る時は声をかけるよう言ってあるし、階段を上る音も聞こえる。完全に大丈夫であろう環境は整っていた。ぼくはかなを見つめ、ひとつだけ縦に首を振る。彼女も理解したのか、ベッドから降りてその場にすっと立ち上がった。そして、座っているぼくの目の前まで歩いてくる。
『絶対に見られないように守ってね』
笑顔でそう言いながら、左手をぼくに伸ばしてくる。
ぼくは下を向きながら何度も首を縦に振る。これから起こる事の全てを忘れないように、健太が言った、後悔のないように受け止めるように覚悟を決めようと準備する。顔を上げてかなを見上げる。
「いつでも大丈夫」
かなにそう言って自分を奮い立たせたつもりだった。
『もう戻ったよ』
かなを見上げたまま、ぼくは動かなかった。いや、動けなかった。あまりにも呆気ない。ぼくはなんとか言葉を振り絞った。
「え…? なんかこう… 準備というか、儀式というか、そういうのないの…?」
『ドラマの見すぎじゃない?』
そう言われて、かなが伸ばしていた左手に目をやる。おそるおそるぼくも左手を伸ばしてみる。なかなか届かずにいる。震える。確実に少しずつ距離を縮めていき、その場所へ到達する。ゆっくりと握ったその左手は暖かさと現実を与えてくれた。一瞬で涙が溢れる。立ち上がるのと、かなを引き寄せる、抱きしめるをほぼ同時に、そして不意を突かれたかのようにかなが一言発する。
『ちょっ…』
「ごめん… かな、ごめん…」
かなの言葉に被せるようにして泣きながらかなを力いっぱい抱きしめる。遅れてかなもぼくの背中に両手をつけている。
『どうしてあやまるわけ?』
笑いながらかなは言う。なぜだったんだろう。あの日、事故から守れなかった事、葬儀にも出席しなかった事、会いに行った事が事故から1週間後もかかった事、いや、違う。
「…ずっと好きだったのに、好きだと伝えなくて、伝えれなくてごめん…」
『おぉ、いきなりの大胆告白…。でも、あたしもずっと好きだったんだよ。何年待たせるのって思ってたし、もしかしたら陽ちゃんは、あたしの事、恋愛対象じゃないのかと思っちゃってた』
そう言ってかなは再びぼくを、ぎゅっと力強く抱き返してきた。ぼくは涙が止まったのを確認して、一緒にベッドの端に座った。こうして、お互いの顔をゆっくり見る事なんて今までなかったかもしれない。
『あたしは陽ちゃんに言いたい事、伝え終わったよ。陽ちゃんの言いたい事はなんですか?』
かなはアナウンサーの真似事のようにマイクをぼくに向けてくる。いざとなったら女の方が堂々としてるな、と感心しながらぼくも思っていた事を吐き出す。
「さっき健太が言ってたように、もう会えなくなる、かながいなくなるなんて考えもしなかった…。それを考えた時に、おれ、何やってだろうって思ってさ…。バカだよなぁ…」
ため息をついて自分を嘲笑う。
『…健太がさ、あたしに告白してきたって話出たじゃない?』
かなが切り出してくる。ぼくはかなを見ながら大きく首を2回、縦に振る。
『あの場で言わなくてもいいのにさぁ。でも、その時に聞かれたの。陽介の事が好きなのかって。だから、そうだよって答えたのね。そうしたら、健太が、まかせろって言うから待ってたのに、美香と結婚してたって聞いて、男ってなんだかなぁって、笑いを堪えるのに必死だったぁ』
ぼくはハッとした。ぼくの中で点と点が線で結ばれたような気がした。健太のあの時の言葉は、そういう事だったのか。ため息をまたひとつ吐きながら天井を見上げる。
『ねぇ… 雰囲気に飲まれてテキトーな事言ってない?』
ぼくはベッドの端に座りながら、またかなを抱きしめた。少し体勢に無理があったのか、思いもよらず、かなをベッドに押し倒すような形でお互い倒れてしまった。かなは驚いたような顔を見せる。もう何も迷いはなかった。ぼくはかなの意向など気にせず、1度だけキスをした。
『…押し倒してキスは、反則じゃない…?』
くすっと笑ったかなの笑顔は、なぜか涙をこぼしていた。ぼくは彼女の左目を、かなは右目の涙をそっと拭いた。
『そろそろ寝た方がいいんじゃない?明日も仕事でしょ?伝えたい事は伝えたし、伝えられたい事も伝わった。まだ何かありますか?』
アナウンサーはまたマイクを差し出す。ぼくは質問を質問で返す。
「まだ、元の幽霊に戻らない?」
『…今日は、抱きついて眠りたい…』
かなが恥ずかしそうに言う。ぼくは照れながら部屋の電気を常夜灯にし、またベッドの左側をかなへ譲り、今度は本当に布団をかけた。その勢いを借りて、ぼくはかなに最後のキスをして、向かい合わせに手を繋いで眠りについた。
「おやすみ」
『おやすみ。ありがと』
まだ薄暗い、朝日の出る前だと思う。ふと、目を覚ましたぼくは、目の前にいたはずのかながいない事に気付く。あれ、人間に戻ったならトイレでも行くのかな、などと考えながら部屋を見渡す。いる様子はない。ゆっくり1階へ向かい、トイレを確認する。誰もいない。いても困るのだが。浴室も脱衣所も、ついには洗面台の下の棚まで開けて確認しだした。かながいない。慌てて脱衣所のドアを開けた時、目の前に人影が現れた。
「あぁ、か……」
「あんた、こんなに早くに何してんの?」
母親だった。薄暗くて見えにくいが、リビングにあった時計は5時頃だったように見える。
「か…… かあさんか…」
他に誰がいるんだ、というような目で見られる。寝ぼけてたかもしれない、と冷静に対応して、自室へと戻る。クローゼットまで開けてみたり、ベッドの下も確認してみる。もちろん、いない。
夢… そんなわけない。何がなんだかわからないまま、煙草を吸おうとデスクに向かう。手探りでライターを探すが、暗さでなかなかたどり着けない。ぼくはデスクのライトをつけて一瞬、眩しさで目を閉じたがライターを見つけて火をつける。ポイっとライターをデスクに投げた時、何かのプリント用紙の裏に文字が書いてあるのを見つけた。手紙のように見えるその裏紙には、こう書かれていた。
『陽ちゃんへ。たった2日間だったけど、あたしにはとっても幸せな時間でした。きっとそんな性格だから何が起きているのかわからないと思うけど、わかってほしい事は1つだけ。あたしはもう、死んじゃってるからさ。神様がね、陽ちゃんに会える時間をくれたの。本当はもう少し一緒にいたかったけど、あたしがいる事で陽ちゃんの将来をダメにしたくなかった。もちろん、好きだって言われた事、すっごくうれしかったし、あたしはそれを確認しに、陽ちゃんを選んで、陽ちゃんのそばに来たの。陽ちゃんはそれに応えてくれたし、本当は少し残念だけど、この気持ちにウソはありません。これからどうなるのかはあたしにもわからないけど、陽ちゃんのうしろをついていく事はもうできないから、ちゃんと、あたしを忘れて前に進んで。お別れの言葉は言わないから。p.s あ、そういえば、この前、寝る時にね、「そういえばさ」って言ってきたよね?聞くの忘れちゃった。こっち来たらさ、教えてよね。by幽霊』
最後に幽霊らしき絵が書いてあり、そいつは笑顔だった。その手紙は、幽霊の涙で文字が滲みすぎていた。その上から被せるように、ボタボタとぼくの涙が落ちる。
たしかに言われた。戻れるのは少しの間だって。そのあとは幽霊に戻るんだと思ってた。そこまで戻るのか。
「そう… いえばさ… 健太、かなの事、好きだった… らしいんだよ…」
質問に対してぼくは、泣きながら答える。
「でもな… その時健太… 陽介はそれでいいのかって… おまえは… かなの事、どう… 思ってんだ… とか言ってきてよ… 意味わかんねぇじゃん… おれは… かなの事好きだけど、かなに告白されても… 困るとか… 言えねぇじゃん… バカだよなぁ…」
声に出さないように、思いっきり泣いた。健太はこの時、もうかなに告白したあとだったんだ。おれの、かなに対する気持ちを確認したかったんじゃないかな。あわよくば、それをかなに伝えたかったのかも。それとも、おれに健太を止める事なんてできないじゃん、がんばってみろよ、って言った事は、健太からかなに伝わっていたのかな。
ひと吸いもしていなかった煙草の半分が灰になってデスクに落ちる。その灰を涙が覆う。どれだけ泣いても、どれだけ後悔しても、ぼくのうしろに彼女は戻ってこなかった。
泣き明かしたその朝、昨日のように会社に向かう。唯一違うのは、君がいない事。鼻歌のメロディがない事。たった2日間だったけれど、本当に幸せな期間だった。
会社に着いたあとはいつものルーティンをこなして、まだ出社してくる社員も少ない中で、1人デスクに座り、ふと目に入ったメモ帳を見る。
「(ヒマだろ?)」
「(幽霊も大変だな)」
「(絶望!)」
「(最悪な花だな!)」
たしかにきみがいた証拠がそこにはあった。きみは死んだ。これは事実であり、もう会う事もできない。これも事実。今まで、当たり前の事が当たり前であるかのようにしか過ごしてこなかった。でも、ある日、突然、その当たり前は姿を消す。消えた当たり前が、元に戻る事もある。だけれど、元に戻らない当たり前もある。ぼくはちゃんと前に進むよ。いや、進めるように後悔しないよう、きみを忘れないで生きていこうと思う。
今度会う時は、きみがぼくのうしろにいるんじゃなく、ぼくがきみの横で手をつなぎながらそばにいたい。ぼくがきみの前に立って守っていきたい。
「お!おはよう、マリーゴールドくん」
先輩から朝のあいさつをかけられる。
「マリーゴールドはさ、変わらぬ愛って花言葉があるんだよね」
先輩の顔をぼくは目を丸くしながら聞いていた。
そうだ。次にきみに会いにいく時は、マリーゴールドを持っていくよ。
「そうなんですね」
と、きみ直伝の笑顔で先輩にそう返しながら、デスクのメモ帳をクシャクシャっと丸めて、ゴミ箱へ放り込んだ。
ー 完 ー
※この物語はフィクションです。登場する人物名・地域・団体名は関係ありません。
「予想より早く戻ってきたようだね」
『はい』
あたしは満足した表情で、このよくわからない状況を報告する。
「人間が死ねば必ずここへ来る。7日間、考える時間を与え、人間界に降りるかそのまま無の世界に行くか。後者ならば、それまで。前者の場合は、2つのルールの下、人間界へ戻れる。1つは『誰か1人にだけ姿を現せる』。もう1つは『1時間で10年の余命を消費して、体を具現化させる』事ができる。」
『はい』
あたしはまた、笑顔で答える。
「『姿を見せられた者は時に、その人生をメチャクチャにしてしまい、時にあとを追って死ぬ。それはそうだろう。例えば、両親のどちらかにつけば、未練がわく。前に進んでいける者は少ない。おまえの場合、事故死だったため、あと60年の余命がある。すなわち、およそ6時間の具現化が可能だ。どうする?』とわたしはおまえに尋ねたな?」
『はい』
今日1番の笑顔で答えたつもり。
「この速さで帰ったという事は、寿命を使ってきたな?どうだった…?」
『なんで笑うんですか?』
あたしはこの死の番人に質問してみた。
「ふふふ。これだから人間はおもしろい!まぁ、いい。帰ったのなら手続きを済ませて行くところへ行け」
『ありがとうございました』
あたしは一礼してその場を去る。
これから何が起きるのかわからないけど、何があるかわからないからおもしろがる人もいる。だけど、死んだから言えるけど、毎日を大切にしてね、陽ちゃん。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?