「自分のやりたいこと」を見つけるのをやめてみよう。
「あなたは当社で何を実現したいのですか?」
就活でもその様なことを問われる時代です。僕も面談ではそういうことを聞きます。むしろそればっかり聞きます。一方で「自分が何をやりたいのか分からない」という悩みを持つ若者もいます。
「やりたいことをやる人生が幸せな人生だ。」
そのような主張に異を唱える人は殆どいません。実際やりたいことをやるために努力した方が良いでしょう。
「自分が本当にやりたいこと。」
それさえ見つかれば、そこへ向けて最短ルートで合理的に努力、活動し、ゴールへ辿り着けるのに。そういう生産的な能力は人並み以上にあるのに。どこへ走っていいか決められずパワーを持て余している。
他の人から見ると「贅沢な悩みだ」と見えるかもしれない。でも、キツイすよね。自分の存在意義がわからなくなってしまうんだから。
そもそもの「問い」自体を変える。
「やりたいことが見つからない。」
そう言って色々なところを探して回ってみても答えは見つかりません。歌舞伎町の飲み屋街の看板のように、世界のどこかに「あなたのやりたいこと」が目の前に選択肢として提示されるわけではないからです。
世の中の有象無象の中からあなた自身が概念として抽出し、見出すしかありません。しかし、探せば探すほど見つからないのが世の常です。
どれだけ考えてみても答えが出ない時。そういう時は、一旦問いを変えてみるのが良いのではないかと思います。
例えば。
「どのようにしたら私は今、目の前にいるこの人達に貢献できるだろうか。」
「どのようにしたら私は、この人達の未来に貢献できるだろうか。」
どんな夢も自分一人ではみることも、叶えることもできません。そもそも「自分」というのも自体、自分一人では成立しませんよね。周りとの相互作用の中に「自分」もあり、また「夢」もあるのだと思います。
ラーメン屋の夢にどう貢献できるか?
同じ物事も異なる視点で見ると、違う発見があります。
例えば「世界一うまいラーメンをつくりたい人」の話を聞く機会があったとします。
「自分がやりたいこととはなんだろう。」と思いながらラーメン屋の話を聞いたら、自分がやりたいのはラーメン屋じゃないな、と思って終わりでしょう。
でも、「どうしたらこの人の夢に貢献できるかな?」と思いながら話せばどうでしょう。これまで自分が食べてきたラーメン、ひいては麺類で最高に美味かったモノの話を共有すると思います。
ちなみに私はタイのチェンマイの屋台で食べたトムヤムクン麺が人生で一番美味かったです。あの蒸し暑い夜に、シンハービールと一緒に飲む辛くて酸っぱい、でも甘いスープ。美味かったなー。
だから、最高のラーメン屋には、やっぱりビールは置いてほしい。あと、屋外席も欲しいな。
アイディアを交換することで、相手の夢の解像度が上がることにも貢献できますよね。
そしてこのような行動は「自分が何を良いと思うか?」を考え、他者に伝えることです。この様な日々の地道な積み重ねの中で自分の価値観を形成し、対峙する現実とのギャップを無意識下に捉えられるようになり、「やりたいこと」が見いだせるのではないかと思います。
答えが出ないときは問いを変えよう。
「やりたいことがない。」というあなたが間違っているのではありません。問いの立て方を変えればよいだけです。
「やりたいことが見つからない。」という悩みには「自分のやりたいことはなんだろう?」という問いが前提にあります。
まず、前提となっている問いを変えてみることをおすすめします。その1つが「どうしたら目の前にいる人に貢献できるだろう?」です。
思考のベクトルを「自分」から「他者」へ。パースペクティブを「今に集中」から「未来へ拡散」へ。問いを変えてみることで自分自身を多角的、立体的にとらえましょう。
世界には、あなたにしか知覚できない美しさがあるし、あなたが見出し、取り組むのを待っている課題があるはずです。