禍話リライト「鏡のない家」「電話の鳴る家」「悔やみの家」
人間って、こう…なんか関連性を見出すとよくないなって話なんだけど、って言われて…。
*
これはかぁなっきさんが、かつて怪談を掲載する小さな個人サイトを運営していたというAさんから提供された、当時サイトに掲載しなかったふたつつの話、そして彼の元に届いたメールで構成された話である。
鏡のない家
ある県に、山を切り開いて造成された新興住宅地があった。
数年ほど経過したところで、売り出した土地に一通り家が建ったので、もう少しだけ山を切り開いて追加で区画を造成した。
だが、何故かその追加された区画だけが、かなり高齢の住人しか住んでいない、まるで限界集落のような状態になってしまった。
そこに、”鏡のない家”と呼ばれる廃屋がある。
その廃屋には、壁掛けの鏡や化粧鏡などが一切ない。
また、洗面台などの鏡も全て外されている。
そして玄関には「姿見も置かれていたのに撤去された」ことがはっきりとわかる痕跡―いかにも鏡を掛けるのに使えそうなフックや、明らかに長方形のものがそこに置かれていたのが分かる跡―もあるという。
ある時、誰かがいたずらでこの家の軒先に鏡を置いて行ったことがあった。
しかし翌日、その鏡は何者かによって粉々に叩き割られていたのだそうだ。
・・・
ある夏の午後。
若者数人が興味本位でその廃屋を訪れた。
近くに車を停めて、廃屋へと向かう。
玄関に入ると、そこには噂通り「かつてここに姿見があった」とはっきりとわかる痕跡が残っていた。
「うわあ、本当に外されてるよ…」
「靴箱とかは普通なのにな」
メンバーの一人のBが靴箱を開けながら言う。その中には何足かの靴がそのまま残されていたという。
家の中に入り、まず一階を探索する。
噂通り、家のどこにも鏡がない。テーブルや椅子、食器棚といったものはある。さすがに中身は入ってなかったし、またコンセントも丁寧に抜かれていたけれども、冷蔵庫も残っている。しかし何故か鏡だけが…
「…物が残りすぎてねえか?」
そこで全員が気付いた。この廃屋は家財道具が残りすぎている。玄関の靴箱の中には靴が入っている。台所には椅子もテーブルも食器棚もあり、中身こそないが冷蔵庫までもが放置されている。型の古いクーラーやテレビなんかもある。
…流石におかしい。
気味悪さを感じながら、一階の奥にあった寝室と思しき部屋に入る。
「うわっ!」
目の前の状況の異様さに、思わず声が出た。
寝室の隅には化粧用の鏡台が置かれている。しかし、その鏡台から”鏡だけ”が取り去られていたのだ。鏡台の引き出しを開けてみると、そこには様々な化粧道具が残されていたが、手鏡や鏡の付いたコンパクトといった、「鏡」や「鏡の付いた道具」だけが無くなっていた。
風呂場や洗面台、トイレも似たような状況だった。風呂桶、お風呂場用の椅子といった様々なものは残されているのに、鏡だけが取り外されている。
何年も誰も住んでいないであろう廃屋なのに、殆どの家財道具が残されている。なのに、”鏡だけが”ない…。
日が傾くまでにはまだ時間があり、辺り一帯は非常に明るい。それに、お化けが出てきたとか、変な声がしたとか、そうした超常現象も一切起きていない。
にもかかわらず、彼らは家の状況の異様さに縮み上がり、すっかり意気消沈してしまった。
それでも、最後にまだ見ていない二階を一応見て帰ろう、ということになった。
二階には子供部屋があり、そこには学習机が二つ並んで置かれている。
「…剥がされてるねえ…」
その学習机に、何かが無理矢理剥がされた跡がある。ああ、ここに鏡があったんだろうな…とすぐに分かってしまう自分たちが嫌になった。
「忌まわしいな…」
普段は使わないそんな言葉が、口を衝いて出る。
「…もう、帰ろっか…」
全員で一列になって階段を降りていると、最前を歩いていたCが急に立ち止まった。
「なんだよ、急に止まんなよ。どうした?」
「…え、なんかさ、お前ら…仕込んだ?」
「は?」
「え?」
「…お前ら、仕込んだ?」
「何を?」
「いやだから、仕込んだか聞いてるんだよ」
「なんだよ、何そんな怒ってるんだよ」
Cが目の前を指差す。
玄関の上がり框。
そこに、子供が遊びで使うようなおもちゃのコンパクトが、開いた状態で置かれていた。
中に張り付けられた鏡の縁が、午後の陽を浴びて輝いている。
…おそらく、この家唯一の、鏡。
「…いや…」
「…誰も仕込んで…ないよ…?」
こいつらは嘘をついていない、と誰もがわかるリアクション、声色だった。
「…そっか、誰も仕込んでないかあ…」
Cがため息交じりの声で吐き出す。
…全員、暫くその場で固まってうなだれていたが、ずっとそうしているわけにもいかない。怖いし嫌だけど、あの鏡の横を通って外に出るしかないのだ。
「もうさ、この鏡見ないで行こうよ。怖いし…」
BとCはなるべく鏡を見ないように、視線を逸らしたり上を向いたりしてその横を通った。
「…これ絶対誰かの仕込みだろ!俺らをバカにしてんだよ!」
最後尾にいたDが急に怒りだした。
「ん、どした?」
「ぜったい誰か見ててこれ仕込んでんだよ!なあ!なんだよこのくだらねえ悪戯は!」
「わかった、わかったから」
何とか宥めるが、Dの怒りはなかなか収まらない。
「こんなの俺は全然怖くねえからな。見てやるよ」
Dはそう言って、鏡の中を覗き込んだ。
「何やってんの!?」
「やめとけって!」
他のメンバーの心配を他所に、
「ああ、大丈夫大丈夫。全然大丈夫」
鏡を覗き込んだDは、どこか満足げに皆にそう言って回る。
しかし他のメンバーは床に置いてあるコンパクトを視認することが怖くて振り返る事すらままならない状態だ。
なんとかEを宥め、廃屋を出て車に乗り込んだ。
車を発進させる。
「…本当さあ、お前よく見れるよなあ」
車を運転するBが半ば呆れながらDに言う。
「お前らがビビりすぎなんだって。あんなん誰かの仕込んだ悪戯に決まってるだろ?」
後部座席に座ったDは、どこかエラそうな口調で答える。
「だいたいさ、覗き込んだけど何も映ってなかったんだよ?普通に天井が映ってただけだし」
助手席のCが口を開いた。
「…え、天井が映ってたんだよな?」
「そりゃ当たり前だろ、床に置いてあるんだから」
「…なんで天井が映ってるんだよ?」
「…え?」
「いやさ、お前はこう…上から鏡を覗き込んだんだろ?」
「…ああ」
「だったら天井じゃなくて鏡を覗き込んでるお前が映ってないといけないだろ。なんでお前が映ってないの?」
Cがそう言った次の瞬間、車内にBの悲鳴が響いた。そして車内に強い衝撃が―
・
事故の直前。
ハンドルを握っていたBは二人の異様なやりとりを聞いて、思わずバックミラーを覗き込んだのだそうだ。
後部座席に座っているはずのDが映っていない。
…その状況を視認した瞬間、恐怖のあまり訳の分からない方向にハンドルを切ってしまい、それで事故ってしまったのだ、という。
・
この事故で全員それなりの怪我を負ったが、幸い命に別状はなかった。
しかしこの一件以来、Dは少しおかしくなってしまった。
というのも、この一連の出来事に関する話を彼に振るとDは人が変わったように癇癪を起こし、酷いときには周囲のものを見境なく壊してしまうほど激昂するのだという。
そのため、事故の瞬間、”鏡に映っていなかった”Dの身に何があったのか、誰も聞くことが出来ていないのだそうだ。
電話の鳴る家
ある県に、山を切り開いて造成された新興住宅地があった。
数年ほど経過したところで売り出した土地に一通り家が建ったので、もう少しだけ山を切り開いて追加で区画を造成した。
だが、何故かその追加された区画だけが、かなり高齢の住人しか住んでいない、まるで限界集落のような状態になってしまった。奇妙なことに、そのような状態になっても土地の管理者は一向にその区画の土地を売らず、寧ろその状況を放置しようとしている節すら見受けられた、という。
そこに、”電話が鳴る家”と呼ばれる廃屋がある。
散歩などをしていて、その家の前を通ると、中から電話のベルが聞こえることがある。
それは現代的な電子音のそれではなく、黒電話が鳴らす、じりりりり、という古風なベルの音だという。
そのベルを聞いた者の身には、なにかしらの凶事が起こるのだそうだ。
・・・
ある冬の日。
そんな廃屋があるなら行ってみよう、とそこを訪れた三人の若者たちがいた。
廃屋の中に入った若者たちは、まず室内の環境の異様さに慄くこととなる。
事前に聞いていた話だと、家の中にはほとんど物が残されていない、ということになっていた。しかし実際は真逆で、全ての部屋にありとあらゆる家財道具が残されたままなのだ。
玄関の靴箱の中には靴が入っている。台所には椅子もテーブルも食器棚もあり、中身こそないが冷蔵庫までもが放置されている。クーラーやテレビなんかもある。
風呂場や洗面台、トイレも似たような状況だった。風呂桶、お風呂場用の椅子といった様々なものがそのまま残されている。寝室と思しき部屋には鏡台があり、その引き出しの中には化粧道具がそっくりそのまま残っていた。
「…普通こんなに物って残ってるか?」
「いや、…わかんないけど、たぶん残していかないだろ…」
テレビやクーラー、冷蔵庫といった家電は、どれも現代のそれより型が古いものばかりだ。その事実が、この廃屋が無人になってからの長い時間の経過を物語ると同時に、目の前の状況をより異様なものにしていた。
「…でも、電話…なくない?」
「…本当だ。どこにもない…」
そこで気付いた。この家には、電話がない。
気になって、一階のあらゆるところを調べてみた。しかし、どこにも電話がない。黒電話はおろか、プッシュホンなども全く見当たらない。
何年も誰も住んでいないであろう廃屋なのに、殆どの家財道具が残されている。なのに、”電話だけが”ない。
「こんだけもの残ってるのに、電話だけないって逆に気持ち悪いな…」
「じゃあ、二階も調べてみる?」
自然な流れで、そういう話になる。だが。
「いや、二階は別に良いかな…」
別に何も示し合わせたわけでもないのに、何故か全員が同時にそう思った、という。
ずっと「残置物の多い廃屋」という異様な環境の中にいる。また冬の陽の傾きは早く、辺りは暗くなりはじめている。そうした状況が生んだ恐怖心の影響もあったのだろう。
しかしそれ以上に、なんとなくの(二階は別に見なくても良いんじゃないか…?)という気分がその場にいた全員の中にあった。先ほど二階を調べることを提案した張本人も例外ではなく、
「そうだな、二階はやめとこっか」
と自らその提案を退けてしまった。
その時。
じりりりり
場の空気が固まった。
皆の脳裏に、昔の漫画に出てくるような、黒電話のかたちが思い浮かぶ。
実は彼らはこの廃屋に入る際に、「ここ電話鳴るとヤバいらしいから!」と冗談めかしつつ、念のために全員の携帯電話をマナーモードに設定していた。つまりこれは、今ここにいる誰かの携帯の着信音ではない。
そもそもその音には、あらかじめ録音した音をスピーカーで鳴らしたとき特有の不鮮明さが無かった。
そこにある電話機の中に仕込まれた金属製の鐘が、小さなハンマーに叩かれて甲高い音を鳴らしている…そんな生々しい質感をもって、ベルは繰り返し鳴る。
じりりりり
「え、ヤバいって!」
「何これ、誰かの悪戯とかじゃないよね!?」
じりりりり
「これさあ、二階から鳴ってない!?」
噂を裏付けるように鳴り響く電話のベルにうろたえていると、今度は
がらがらがら
引き戸を開く音がして。
「あたし忙しいんだからさあ、誰か出てくれてもいいんじゃないのォ?」
…全く知らない女性の声だった。彼女は明らかに、階下にいる自分たちに向かって話しかけている。まるで家族に厭味を言うかのような声色で。
(うわっ!)
これにはその場にいた全員が驚き、恐怖のあまりその場にへたり込んでしまう者までいたという。
「…わかりました。出・ま・す!」
厭味っぽい口調のまま宣言すると、
がちゃ
受話器の上がる音がした。
「はい、もしもし?…あ~!お久しぶりです~!」
そしてそのまま、通話がはじまる。先ほどの話声よりもすこし声が高い、”電話用”の声が響く。
「は?」
「え、ちょっと待って、これどういうこと?」
「いや、わからん!」
繰り広げられている状況の意味不明さに、その場はパニック状態になった。
「あ、そうなんですか!あはははは」
そうしている間にも、電話の向こうの相手と世間話をする女の声が二階から響いている。階下の彼らは、ただその声を聴いて様子を伺うことしかできない。
「ええ、ええ。あ、そうなんですね?はいはい、ちょっと待ってください。えっと、書くもの書くもの…」
どうやら電話口の相手に言われたことをメモする必要があるらしい。
「…あ、そうなんですね。はいはいはい…アキラくんと、カナエちゃんと、ヨウスケくんね」
彼女が読み上げたのは、その場にいた全員の名前だった。
それを聴いた瞬間、三人とも恐怖に耐えきれなくなってその場から逃げ出したそうだ。
・・・
…というのが、その三人が廃屋を訪れた直後に、周囲に語って伝えた話である。
しかしその後、廃屋に行った三人は精神に異常を来してしまったのだそうだ。
あるものは突然アルコールに溺れ、あるものは病院で診療された薬を過剰摂取するようになり…といったような調子でおかしくなってしまい、今では三人とも実家に帰って半ば隔離に近い療養生活を送っているらしい。
「寝ようとすると耳元で、じりりりり、と電話のベルが鳴り、眠れない。だから、眠るために酒や薬で意識を飛ばす必要がある」
三人が全員、自らが異常な行動に走った理由をそのように説明したのだそうだ。
しかしそのようなベルの音は彼ら以外には聞こえておらず、心療内科等にかかっても症状が改善しなかったため、三人とも実家での療養を余儀なくされた、と言われているのだという。
そのため、先ほどの話の中には「三人が語らなかった部分」が存在するのではないか、と噂されているのだそうだ。
□□□□□
(…あれ?)
Aさんは自らのサイトに投稿されたこの二つの話を読んで、すぐにピンときた。
(これ、二つとも同じ場所の話じゃない?)
読者の方もお気づきのように、この二つの話、共通点が非常に多いのだ。
山を切り開いて造成した新興住宅地。
その中の見捨てられた区画。
そこにある、残置物が異常に多い廃屋。
また、実際Aさんの元に投稿された文章にはより細かい地名が記述してあり、両方の投稿にAさんが当時住んでいた県・市町村の名前が記されていた。例の「見捨てられた区画」がどの土地のことを指しているのかも、Aさんにはなんとなくわかっていたという。
そのため、この二つの話は同じ場所で起こった出来事であることがほぼ確定していたのだそうだ。
この二つの話の投稿者は全く別の人物だったという。
ひとりの人間による自作自演も疑ったのだが、二つの投稿の文体にはそれぞれに個性的なクセがあり、それでいてどちらもわりと拙い文章であったため、自演の線は薄いように思えた。
また、「鏡のない家」が夏の話で、「電話の鳴る家」が冬の話、という点からも、これら二つの話はそれぞれ独立した体験談なのだろう、ということが伺える。
しかし問題はその先である。この二つの話を掛け合わせると、矛盾点が生じてしまう。
「鏡のない家」の話では「電話がない」ことが言及されておらず、一方で「電話の鳴る家」の方では「鏡がない」ことが指摘されないのだ。
特に「家の中のどこにも鏡がない」という異常は非常に目立つもののはずで、それが「電話の鳴る家」の話で指摘されないのは非常に不自然なことである。
恐らく、この廃屋は実在するのだろう。そしてそこに心霊スポットとしての噂があるのも、恐らく事実なのだろうと推測される。
しかし、それらの噂が人々の間を巡るうちに針小棒大に誇張され、そうして出来たいくつかのつくり話のうちの二つが、それぞれ別の人物から自分のもとに投稿されたのだろう、という結論を出した。
とはいえ、これらの話は単体では非常に怖く、創作した話だとしてもかなりクオリティが高いものだ。Aさんは(どこかに投稿された有名な話なのか?)と考えネットで検索したが、似たような話は出て来なかったという。
しかし二つの話を並べると、先述の矛盾点のせいでやや”作り”っぽくなってしまう、という難点があった。
(どっちかひとつだったら採用したんだけどなあ…)
そんなわけで、この二つの話はサイトには掲載しなかったのだそうだ。
だが。
悔やみの家
それからしばらくして、いろいろあってAさんは自らのサイトを閉鎖することにした。
閉鎖のお知らせをサイトに出した直後ぐらいに、一通のメールが来た。
送り主はFさんという女の子。所謂”ROM専”ではあったもののAさんのサイトの熱心な読者だった、という自己紹介がメールの冒頭に添えられている。
サイトが閉鎖する、という知らせを読んでこのメールを送ることにした、殆ど”ただの夢の話”なのであまり面白くないかもしれないが、折角だから最後に自分の不思議な体験を読んで欲しい…というような内容だった。
Aさんは、ありがとうございます、いえいえ、夢の話でも全然聞きますよ、と返信する。
サイトに掲載するかどうかは別として、「夢だけの話」の投稿は結構多かったそうで、そういう話を読むことに対して特に抵抗はなかったそうだ。
後日。Fさんから送られてきたのは、こんな話だった。
・・・
Fさんは小学生の頃、定期的に体調を崩して高熱を出していた。
熱にうなされて、「これは明日あたり病院に行かないといけないだろうな…」と思いながら眠ったときに、必ず見る夢があったという。
「――――
夕方、日が傾いた山の中にいる。辛うじて「道」と言えるような、心許ない獣道を裸足で歩いている。
しばらく歩くと、急に目の前に大きな家が出てくる。
人が通れるかどうかという獣道の先に大きな家がある、というのは普通に考えると不自然なのだが、そこは夢ならではのアバウトさで特に不自然に思わないのだという。
そのまま家の前に行き、何の躊躇いもなく引き戸を開けると、家の中には奥が見えないほど果てしなく長い廊下が続いている。
(広いお屋敷だなあ)
Fさんは挨拶も何もせず、土で汚れた裸足のままで家に上がってしまう。
長い廊下を歩く。
両側には襖が並んでいて、人の気配はない。特に何かを気にすることもなく、変わり映えのない風景の中を進んでいく。
不意に、一つの襖の前で足が止まった。
その襖の向こう側から、人のため息が聞こえる。
一人ではない。それどころか、十人や二十人なんてレベルではない大人数の大人が、とても重いため息をついているのが聞こえる。中にはため息では済まず、「あぁ…」と悲しみに暮れる声を漏らしている人がいるのもわかる。
(大人のひとがめちゃくちゃガッカリしてるな…なんだろう?)
尋常じゃない人数の大人が、襖の向こうでものすごく悲しんでいる。その異様な状況に、興味がくすぐられる。
襖を開けて様子を見てみようか、と思ったところで、急に人の気配を感じる。
振り向くと、廊下の角の方に、女中さんの格好をした女性が立っているのが見える。薄暗いこともあってか、顔がよく見えない。
女中さんだ、と思って挨拶をする。
「こんにちは~!」
返事は帰ってこない。その代わりに、女中は人差し指を立てて口元に持って行き、静かにしなさい、とジェスチャーでFさんに伝えてくる。
(あ、これ襖の中は見ない方が良いってことなのかな?)
そう思い、襖の方を向き直る。
すると夢ならではの自由さで、襖の材質が紙から曇り硝子に変わっていて、襖を開けずとも中の様子をある程度伺うことができるようになっている。
大勢の大人が互いの肩を抱いたり、横にいる人の背中を擦ったりしながら、ため息をついたり悲観の声を漏らしたりしているのが、ぼんやりと見える。広げた自らの両手の中に顔を埋め、肩を震わせている女性らしき人物がいるのも見える。
彼らはみな黒い服を着ていて、あとから思えばそれは喪服だったように思える。喪服という概念を知らなかった小学生のFさんでも、
(何か大きなお葬式があったのかな?)
と推測できるような光景だったという。
しかし、曇り硝子越しの光景を暫く見ていると、
(あれ、これお葬式じゃないんじゃないか?)
というふうに思い始めて。
そして、急にわかる。
これ、山にこんなに大きな家を作ったことが良くなかったんだ。
山の中に人の住む場所を作ったことが、駄目だったんだ。
この襖の向こうにいるのはこの家を作った人たちで、みんなこの家を建てたことを悔やんでいるんだ。
ああ、やっぱり山の中に人が住む家を建てちゃダメなんだな。
正直、道理が合っているのかも、何故そう思うのかもわからない。
それでも、夢の中でFさんは「目の前の光景はそういうことなんだ」と理解するのだという。
そんなことを考えながらふと横を見ると、女中さんが手招きをしている。Fさんは、はぁい、などと返事をしながら女中さんの手招きする方に向かう。
女中さんがすっと襖を開けるとそこはとても広い大広間になっている。
女中さんについていくと、そこに座布団が一つ置かれている。
座布団の上に正座をする。座布団はとても温かい。誰かが暖めてくれたのかもしれない、ありがたいな、と思う。
そこで女中さんは自分の傍から立ち去る。なんとなく、お菓子かなんかを持ってきてくれるのかもしれない、というふうに感じる。
すると、げほ、げほ、という咳が聞こえる。
そこで初めて、自分の目の前に布団が敷いてあることに気付く。そこには人が臥せていて、酷い咳を繰り返している。その咳は、この人は呼吸器系の疾患、特に気管支か何かの病気を患っているのだろうか、と思わせるような激しいものだったという。
また、その咳の感じで、ああ、顔は見えないけどこの人は女性なんだろうな、とわかる。
(そっか、私この人のお見舞いに来たんだ)
ここで初めて、この家に来た理由をそのように納得する。
布団のなかの女性が立ち上がる。顔はよく見えない。肩を震わせて酷い咳をしている。
その咳と咳の隙間、咳による震えとは違って、彼女が明確にこちらに向かって会釈をしている、とわかる瞬間がある。
Fさんも会釈を返す。
そこで、さっきまで女性が横たわっていた布団の枕元に箱があることに気付く。小脇に抱えられるぐらいの、手頃なサイズの箱だったという。彼女はその箱を持って、Fさんに見せてくる。
箱の天面には丸い穴が開いている。彼女がずっと咳をしていることもあってか、最初はこれは痰壺のようなものなのかな、と思う。しかし、箱がこちらに近づいてくるにつれ、ああこれはそういうものではないんだ、ということがなんとなく分かる。
(でも、なんでこの箱を私に見せてくるんだろう?)
そう思ったところで、女性はFさんに話しかけてくる。さっきまで咳込んでいたことが嘘だったかのような、はっきりとした声で。
「で、今日は何を入れてくれるんですか?」
彼女はそう言って、箱をFさんに見せた姿勢のままで静止している。
(何を入れるんですかって言われても…困ったなあ…)
Fさんは言葉の意味がよく呑み込めず困惑する。どうしたものか、と思いながら、ふと自分の後ろを見る。
床の一畳ぶんぐらいのスペースに、小さな雑貨やおもちゃがたくさん散らばっている。
ああ、この中から何かを入れろということか、と解釈し、その床に転がる雑貨の中から適当なものを一つ選んで、女性が持っている箱の中に入れる。
「ああ…ありがとうございました」
小さな雑貨を一個入れただけにもかかわらず、女性は非常にうれしそうな声色で礼を言い、箱を床に置く。
そこで彼女の顔と姿かたちが初めてはっきりとわかる。
病院着のような白い服を着た女性が、こちらに向かってにこにこと愛想の良い笑顔を見せている。
気が付けば、あれほどしつこく繰り返していた咳は一切しなくなっている。
(ああ、咳が治まってよかったな)
そんなことを考える。
次には、その家を出るところまでパッと場面が飛んでいる。
正確なところは分からないが、夢の中の感覚を信じれば、その場面が飛んでいる間に、女中さんに美味しいお菓子でも振舞ってもらったのではないかと思う、とFさんは綴る。
(いや~、ちょっと良い事しちゃったし、たくさんもてなされちゃっていい日だったな)
妙な充足感に浸りながら屋敷を出て、入口の引き戸を閉める。
「失礼しました~!」
浮足立っているからか、家に入ったときにはしなかった挨拶もちゃんとする。
そして行きと同じ獣道をしばらく歩いたところで、なんとなく振り返ってみる。
さっき閉めたはずの玄関の引き戸が空いている。そこに、女中さんがいる。今度ははっきりと顔が見える。
女中さんは、腹を抱えて大笑いしている。本当に心の底から面白いことがあって笑えて仕方がない、という様子で。
(ああ、何か面白いことがあったんだな、良かったな)
そんなことを思っていると。
女中さんは引き戸に一切手を触れていないのに、自動ドアのように勝手に引き戸が閉まる。
そこで目が覚める。
――――」
Fさんは小学一年生から六年生の間で計十二回…つまり十二か月分その夢を見ているのだそうだ。
そして、Fさんが女性が持っている箱の中に入れるものは、夢を見るたびに毎回違ったらしい。それは例えば子供向けのおもちゃのコンパクト、小さな独楽、小さな将棋盤、黒電話をかたどったおもちゃであったり、あるいは鋏であったりした、という。
メールの最後には、何故そのような夢を見たのか、Fさんがその理由を自分なりに推測した文章が書かれていた。
Fさんの父親は、もともと新聞か雑誌の記者をやっていたという。
しかしある日を境に、Fさんの父親はとある新興住宅地の新区画の造成に対する反対運動に身を投じていく。反対運動につきものの揉め事も起こり、多少の嫌がらせなども受けたようだが、それでもFさんの父親はめげることなく運動を続け、遂には反対運動に集中するために仕事も辞めてしまったそうだ。
だが、実はその区画の造成に反対していた人はFさんの父親以外ほぼおらず、故にその”反対運動”じたいも殆どFさんの父親がひとりきりで行っていたものらしい。
何故Fさんの父親はそこまで頑なにその新区画の造成に反対していたのか。
彼曰く、その土地には「祠がある」のだという。
彼が独自に図書館などで調べたところによると、その新区画で開発される土地には特徴的な形の大きな岩があり、それが「祠」なのだと。だから造成は中止するか、あるいは中止まで行かなくともちゃんとお金をかけて地鎮をするのが筋ではないか、というのがFさんの父親の主張だった。
しかし地元民でもそんな話を聞いたことがある人はほぼおらず、みな若干困惑気味だったという。
子供だったFさんはその闘争の場からは遠ざけられてはいたが、それでも父親のやっていることは(理解できなくとも)耳目に入っており、それがFさんの精神に影響を与えて、先述のような夢を見せていたのではないか、というのがFさんの自己解析だった。
その後、Fさんはその土地から引っ越して、父親も別の職業に就いて社会復帰を果たした。
なお、Fさんの父親はメールを送る何年か前に病気か何かで亡くなったらしいが、禍々しい出来事等は特になく、穏やかにこの世を去った、という。
・・・
先述の通り、Aさんは二つの「家」に関する投稿をサイトに掲載しなかった。なので、Fさんはあの二つの話を知らないはずだ。
しかし…。
何故、あの造成地の中で追加で作られた区画だけが荒廃したのか。
何故、荒廃した区画は放置されたのか。
何故、季節が違う体験談が二つ来たのか。
何故、二つの体験談は「家の中に無いもの」が違ったのか。
Aさんの中で、いくつもの点が線で結ばれていく。
そして。
もしかしたら、Fさんが箱の中に入れた他のもの―独楽、鋏、将棋盤―に対応する体験も、自分の元に送られてきていないだけで、この世のどこかにあるのではないか…。
そんな想像が頭を過ぎり、Aさんは震えあがったという。
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「…まあそんなことがあって、すっごい怖くて。だからこれずっと誰にも言ってなかったんだけど…まあ、かぁなっきさんならこういう話平気かな?と思って初めて言ったんだよね…」
とAさんに言われたかあなっきさんは、
「いや!?全然平気じゃない。怖いんですけど!?」
と返したそうな。
◇この文章は猟奇ユニット・FEAR飯のツイキャス放送「禍話」にて語られた怪談に、筆者独自の編集や聞き取りからの解釈に基づいた補完表現、及び構成を加えて文章化したものです。
語り手:かぁなっき
聞き手:加藤よしき
出典:"シン・禍話 第四十八夜"(https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/722501390)より
禍話 公式twitter https://twitter.com/magabanasi
☆高橋知秋の執筆した禍話リライトの二次使用についてはこちらの記事をご参照ください。