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フェイクドキュメンタリーQ全作レビューEX・「Q:EX トロイの木馬」

Q:EX トロイの木馬 - September 23, 2023 Live streaming
最初の配信枠タイトル:ニ篷ッ、ホタクヌロソョ1
二回目の配信枠タイトル:ニ篷ッ、ホタクヌロソョ2
(※配信枠はアーカイブ無し)

 見た直後の感想:何…この…何?

 始まりは9月14日。Xの「フェイクドキュメンタリーQ」公式アカウントに唐突に投稿された、ひとつの画像だった。

 たどたどしい筆跡で書かれた物々しい文章に、コントラスト加工で強調された意味ありげな消し跡、そして不気味な黒塗り。何よりも今までの映像群とは違う雰囲気を纏った、一種SF的にも見える文章の中身。当然Qのファンは騒然となり、この画像に対する様々な考察が繰り広げられた。
 その2日後。この画像投稿を引用リポストする形で、英文で記述された非常に素っ気ない告知が投稿された。

 生配信限定。そして明言はされていない(この”明言はされていない”ことの意味に気付くのは後の話)が、「緊Q特版」の前例から言って恐らくアーカイブ無し。
 そして迎えた23日。
 配信開始時刻のギリギリまで配信枠が立てられないどころか、配信プラットフォームがどこなのかの告知すらない状態。視聴者は緊張も相俟って非常にやきもきさせられる羽目となった。結局、youtube liveにて配信が行われたのだが、なんと配信開始時の告知は一切なし。
 そのマイペースっぷりに振り回されながら視聴を開始したのだが…。

 一本目「ニ篷ッ、ホタクヌロソョ1」を見終えた後、その異様な内容に興奮冷めやらず、半分茫然としながらもdiscordのサーバーで同時視聴していた人たちと歓談していた。
 その途中、突然参加者の一人が声を上げた。
「続き来てる!」
 慌ててyoutubeを開くと、そこには「ニ篷ッ、ホタクヌロソョ2」と名付けられた配信枠が作られており、ほどなくしてふたたび配信が始まった…。

 この2つの配信のあらすじを、やや無理矢理だが書く。

 まず、「ニ篷ッ、ホタクヌロソョ1」。長さは19分程度。
 どこかに向かっている車内の様子から始まる(目的地に着くまでの間、何回か配信画面をカメラに映して、配信の映像が「リアルタイムであること」を強調していた)。
 やがて車が辿り着いたのは一軒の民家。防護服に身を包んだ何人もの人物が、家から様々なものを運び出している。庭には人のような大きさ・形の「何か」が2体、ブルーシートに包まれた状態で転がっている。
 やがてカメラは民家の中に入り、家の中に広がる異様な光景、その中で起こる幾つもの異常を映し出していく…。

 そして、「ニ篷ッ、ホタクヌロソョ2」。長さは5分程度の非常に短いもの。
 先程の配信の続きなのか、やはり防護服に身を包んだ人物がどこかを歩いている様子から始まる。やがて二人は一軒の廃屋へと辿り着く。するとその廃屋には、布を掛けられた大きな「何か」が置かれており…。
(なお、この「ニ篷ッ、ホタクヌロソョ2」に関しては電波の状況が悪いのか映像が度々途切れ、また映像そのものの画質も極めて荒い劣悪な状態で配信された。これが意図的なものなのか、それとも状況の産物なのかは不明)

 言うまでもないが、この二つの配信は短編ホラーとして非常に質が高い映像だった。特に「1」で撮影者のカメラが捉えるいくつもの異常はどれも非常にインパクトが強く、その異様さには通話に参加していた面々のあいだから何度も悲鳴が上がった。「2」の配信の最後にちらりと写り込む「何か」も、とてつもなく嫌な余韻を残すもので印象的だ。

 …という、映像そのものが単純に怖くて完成度が高いよ、ということは一応書き記し(その点については稚拙な文章でネタバラシするよりも、実際に映像を見て体感して欲しいとも思うので)、ここからは例によって作品の構造の話をする。

・・・

 アーカイブ無しのライブ配信、という秘匿感の強い発表形態に多くの視聴者が期待するのは、「今作を緩く繋ぐ大きなストーリーラインが一部でも明らかになるような何か」だと思うし、実際そうした内容を期待する声も見かけた。
 しかし結果から言うと、この配信を見てもそうした全体像を読み解く手掛かりになるようなものを得ることは(少なくともリアルタイムでこの配信を一見しただけの状態では)難しい。

「読経のような声」「覆われた窓」「佇む黒い影」と、ところどころ他の回との接続を匂わせるような要素をちらりと見せてはいる。また一部の視聴者が指摘しているように、Q2:1「ノーフィクション」で範子さんが着ていたものと同じ柄の服が意味ありげに登場する瞬間は確かにあった。
 なので頑張って”考察”をすれば様々な推理を思い付くだろうし、実際ハッシュタグ「#pro9ramQ」ではそのような考察が活発に行われている(※そうした行為を批判したりする意図はありません。私もレビュー外では考察っぽいことを散々やっているので)。
 だからと言ってこれを見ても、はっきりと何かが分かるわけではない。
 また、この配信のストーリーラインは明らかに事前に投稿されたメモ書きの画像の内容に沿っていて、その点から見てもこの配信はけしてストーリー全体の立ち位置を見通せるような内容ではない。

 配信を視聴中、そして視聴後に抱いた感覚は圧倒的な「不明」感だ。
 理解できそうでできない、整理できそうでできない、わかるような気がするけどわからない。そうしたいちばん気持ちの落ち着かない状況がひたすら続く、まるで寝覚めの悪い夢のような状態。配信は最初から最後までずっとそんな嫌な感覚に支配されていた。
「不明」感。これはQ2:5までの現時点ではシーズン2の全体を貫く非常に大きなキーワードだと思っていて、また改めてシーズン2の作品が全て揃った後に執筆する予定のシーズン2全作レビューでより詳しく触れたいところ(ここからシーズン後半にかけて作品の全体像が大きく変わる可能性もまだあるので…)だが、まさかリアルタイムではこうした限られた人数しか見れない特殊な媒体の作品でも、シーズン2の「不明」感をここまで強固に貫き通すとは思っていなかった。

 そして視聴前にはマイペースさや不親切に思われた要素が、この配信の「意味」を補強していたことに視聴後にイヤというほど実感させられたのだった。
 何故アーカイブが残らないのか?何故事前告知を極端に絞ったのか?そもそもなぜ生配信形式なのか?
 それは、配信で流された映像がもしかしたら本来「見せてはいけないもの」だったからなのではないか。登場人物が執拗に配信画面を映し込んだのは、我々を何らかの形で巻き込むためではなかったのか。かつてQ7「或るブログ」で遠まわしに滲ませた不安感を、今回は直接的に見せつけてみせた。
 また、配信は二本ともかなり唐突なところで終わっている。
 その唐突さは撮影者の身元に起こったトラブルを想起させる非常に生々しいものであり、そのラストの前後の展開やさりげなく聞こえる不穏な言葉も相俟って「見てはいけないもの」を見てしまった感覚を強めに想起させるものでもあった。「2」の配信が「1」の終了後すぐ、告知なく突然に開始された展開がその感覚により一層現実的な感触を付与していたように思う。

 同時視聴をしていた折、ひとりの参加者が「これっていま、日本のどこかで行われてることなんだよね」というようなことを言った。

 この配信に於いて展開された映像は当然のように「フェイクドキュメンタリー」と銘打たれている、空気を読まずに言えば脚本などが用意された演劇に近い「架空」なのだろうが、しかし一方で実際にこの世のどこかでその瞬間にリアルタイムで起きていた「現実」でもあった。この状態そのものが本質的に矛盾を抱えている。
 この矛盾は見方によっては非常に危うい。かつてインタビューで皆口氏がさりげなく口にした、「敢えてホンモノを紛れ込ませるという技」に限りなく近いことを行っているからだ。
 このリアルタイム配信に於いて何がフェイクで何がフェイクではないのか、その判別を出来るのは画面の向こうの人間だけである。ところが「画面の向こうの人間」であるところの撮影者は、映像の中で執拗に私たちに配信画面を見せつけて、これが「いま起こっている現実」であることを強く印象付ける行為を繰り返していた。配信時間そのものが非常に短い「2」の、あまり配信であることを強調する必要性のないような箇所でもいきなりスマートフォンの画面をわざわざこちらに向けて配信画面を見せつけてきていたのだから相当だ。
 この配信が今作の根底を成す不信感、”フェイク”と銘打たれているからこそ浮き彫りになる「これはフェイクなのか否か」という揺らぎを、今までになく極端なかたちで視聴者に突き付けたものであることは、もはや疑いようもないだろう。

 ところで。
 文字化けした配信タイトルは、文字列の文字コードを変換できるソフトを通してEUCからSJISに変換すると「内部告発の生配信」となる。もちろんこれは事前に投稿されたメモ書きの画像とリンクする題材であり、実際に映像を見た人ならば納得できるタイトルでもある。

 しかし、この配信は何を「告発」したのだろうか?そして「内部」とはどこのことだったのだろうか?

・・・

 実はこの記事は、この部分までを「配信の視聴直後」に書き上げていた(これ以降の箇所を書き上げるにあたって、ここからの後半部ではあまり言及できなかった”映像の内容そのもの”についての文章を追加したり、文章の手直しをしたりといった改稿をしているが)。
 そしてここから、この配信が「告発」したのはこの作品の根底にある矛盾でもあるのではないか、というようなことを書こうと考えていた。

 しかし。配信の二日後の9月25日、公式X(twitter)アカウントにて「この配信のアーカイブを公開する」という告知が打たれた。思えば、最初の告知は「Live Streaming Only」と書かれているだけで、「アーカイブ無し」と断言する文言は無かったのだ。

 配信から二週間経った2023年10月6日。
 配信の開始時と同じように、突然何の前触れもなく二つの配信のアーカイブがひとつの動画に纏められた形で公開される。
 二つの配信の映像を編集した動画には、こんな名前が冠されていた。

「トロイの木馬」。

トロイの木馬とは、一見、無害なプログラムを装って侵入し、さまざまな攻撃をするのが特徴の悪意あるプログラム(マルウェア)のことです。例えば、見た目はただの文書ファイルや便利なアプリなのに、ダウンロードすると、実は中に入っていた不正なプログラムに感染してしまうのです。

トロイの木馬は
- メールの添付ファイル
Webサイトで配布される無料アプリ
など、思わずダウンロードしたくなるような形で存在しています。

感染してしまうとコンピュータを乗っ取られ、他のコンピュータを攻撃するのに使われたり、データを盗まれたりしてしまいます。

※トロイの木馬の名前の由来はギリシャ神話の「トロイの木馬」のエピソードです。ギリシャが守りの強固なトロイに戦いを仕掛けるとき、巨大な木馬の内部にギリシャ兵を忍ばせ、油断したトロイ兵が木馬をトロイ城内に運び入れるように仕向けました。その後、木馬とともに城内に侵入したギリシャ兵が、トロイの城門を開けトロイは陥落したというお話です。

マルウェアのトロイの木馬も、安全なプログラムを装いユーザーを油断させてパソコンやシステム内部に侵入し、こっそりバックドアを仕掛けて新たなウイルスを招き入れたり、重要情報を盗んだりします。こういった挙動が、ギリシャ神話のトロイの木馬によく似ているので、このように呼ばれるようになったのです。

出展:NTT東日本webサイト内「クラソル」記事
『トロイの木馬とは?ウイルスとの違い・被害例・感染対策などを解説』
https://business.ntt-east.co.jp/content/cloudsolution/column-333.html)

 この全作レビューで何度も繰り返し書いているように、今作の根底を成すのは「信頼のできない状況に置かれた不安感」である。
 そんなことは百も承知のはずだった。しかしそれでも、「トロイの木馬」という表題を見たときに、私は自分の見通しが甘かったことを痛感した。

 もちろん、普通に考えれば「トロイの木馬」は配信時には文字化けで隠されていた「内部告発」という状況のことを示しているのだろう。
 しかし、一方でこの配信そのものが「トロイの木馬」であったという見方も出来てしまうのではないか。「フェイクドキュメンタリーQ」という方々で評判となっているyoutubeチャンネルを使って初の生配信を行うとなれば、当然みんなその配信を見たがるだろうし、その配信では「フェイク」を敢えて生配信で行う怖くて面白いコンテンツが展開されるのだと思い込むだろう。
 しかし、この配信そのものが「トロイの木馬」であったとしたら。

 その疑念を裏付けるように、この動画は「1」の配信のとても短い、しかし決定的なある一つのシーンを明らかに人為的に削除している(ネタバレなのでレビューの文中では伏せますが、具体的にどのようなシーンなのかを知りたい方はこちらのポストを参照してください)。

 配信の様子は他にも編集されている個所がある。
 まず、二つの配信の時系列が動画内で逆になっていること。
 この点については様々な考察が出来そうだが、個人的には動画冒頭にも引用されているメモ書きの時系列に沿う形で改めて編集しているだけなんじゃないだろうかと思う(配信時は明確に「1」「2」とナンバリングしていたので)。
 また、一つ目の配信は民家に向かうまでの道すがらが全カットされ、車を降りるところから開始している。
 こちらに関しては考察というよりは、様々な現実的な理由が思い付くと思う。スマートフォンで配信画面を見せつけるという演出があったとはいえ、ただ夜道を走るだけのカットも収めてしまうと流石に映像作品として冗長な内容になってしまうし。

 だが、先述の「あるシーン」をカットする正当な理由は一つも思い浮かばない。
 むしろ私は配信の視聴時に、これは一つのフックとなる箇所だとまで思った。しかしそのシーンは明らかに人為的に、しかも当該箇所の存在を知らない人が見たらカットされていると気付かないような形で消されている。

 今作の制作陣が行った変更は実際は大したものではない。時間にして恐らくほんの数秒の映像をカットしただけだ。しかしその数秒が消えたことによって、私の中でこの回の全てが変わってしまった。
 何故ならば、それは配信をリアルタイムで見ていた私にとって、”あの配信はもしかしたら本来「見てはいけないもの」だったのではないか”という疑念を、むしろ全体のアーカイブが残らない状態よりも強く想起させる行為だからに他ならない。
 すると今度は「この配信の映像を抹消せず、編集を施してまでわざわざ見せている」というこの回の根本に対しても、様々な不穏な邪推が浮かび上がってきてしまう。
 そうなってきたら全てが疑わしく思えてきて、「2」の映像が配信時よりも明らかに状態が良い(実際の「2」の配信は撮影者が廃屋の二階に上がったことを認識するのも難しいぐらいに映像が止まりまくっていたのである)ことにも不信感が過ぎってしまう。もう完全に疑心暗鬼だ。

 映像の最後(「1」の配信の最後でもある)にひとりの登場人物が、切迫した声色で「画面の向こうの視聴者」に繰り返し語りかける。

うそだから

 ここで彼はQ1「フェイクドキュメンタリー」で今作の制作陣が作り上げた構図―つまり「フェイクと銘打った枠組みの中で”これはフェイクである”と主張される映像が流される」とほぼ同じことを、「登場人物が視聴者に直接語り掛ける」という、より直接的なかたちでやっていることに気付いた人も多いだろう。
 そんな今作の本質のひとかどを体現する状況を収めた映像に「トロイの木馬」という表題を付けてしまうのは、考えようによっては恐ろしい。何故ならば、それは『フェイクドキュメンタリーQ』という作品そのものが「トロイの木馬」である可能性すら匂わしてしまう行為だからだ。
 更に今作の制作陣は、そのような行為を「この世のどこかで実際に起きている出来事」を収める生配信という形態で世に放ったのだ。しかも、その映像が「兵士が潜んだ木馬」であることを伏せて。

 そんなあらゆる意味で疑わしい「トロイの木馬」となったこの回の内容が、分かりやすい呪詛を振りまいて被害の恐怖を視聴者に植え付けるものではなく、終始「不明」な何かを捉え続けて視聴者に一切の回答を提示しない、どこにも出口のない映像であることが、まるで本物の「呪い」のように思える。

 …いや、この回、ひいては『フェイクドキュメンタリーQ』の持つ「説明の無い映像を見たことで視聴者のなかに生まれた想像が自らを脅かし続ける」構造は、ある意味では既に本物の「呪い」と化しているかもしれない。
 そして我々は娯楽としての恐怖を求めるかたちで、敵兵が潜む木馬を自らの手で城内に運び込んだトロイの兵のように、自らその「呪い」を招き続けているのである。

これはインターネット上で実際に生配信された動画である

 最後に。
 この「トロイの木馬」における「生配信」→「その配信のアーカイブを編集した回」という形態が、今作の不信感の源の一つである「今作で取り上げている映像の入手源は果たしてどこなのか」という疑問点に対して、一番イヤなタイプの回答を提示している、という点も注目に値するだろう。
 なにせこの回、かなりの数の視聴者に「映像の発生する瞬間」に立ち会わせてから、その映像を基としたフェイクドキュメンタリーを制作しているのだ。
 それを踏まえて、配信内で撮影者が執拗に配信画面とチャット欄をスマホ越しに見せつけてきたことや、アーカイブ公開ツイートや動画内に記述されている「これはインターネット上で実際に生配信された動画である」という、文意が少しズラされているが一方で嘘はひとつもついていない文章が持つ意味合いについて考えると、「配信にリアルタイムで立ち会っていた視聴者達は”トロイの木馬”を仕掛けられた側であると同時に、全く知らない間に制作陣と一緒になって”トロイの木馬”を作り上げる側に回されていた」ことにもなるという、なかなか趣味の悪い構図が見えてくる。
 本当にタチが悪くて最高だな~。

 本当の最後に、余談中の余談。
 もちろん私も何回か配信中にスマートフォン見せつけてくるところでコメントしたけど、ラグもあってか残念ながら映像には写り込まなかったのでちょっと悔しかったです。
 Qの生配信という未知の体験に興奮しすぎて「見てるよ~!!!」とか書いた気がする。写り込まなくてよかったかもしれない。

 シーズン2の続きも楽しみに待ってます!!!見てるよ~!!!