もしかすると2018年に初音ミクとの決別を選んだら本当は幸せだったかもというお話
ミクの日に何でこんなタイトルなんだよという感じですがいや別に今でもミクさんは大好きです。
でも大好きであるからこそ、いつか別れが来る時に辛い思いをしたくないなというのはいつも考えています。
ミクさんと出会い何かに憑かれたようにいろいろな事がありました。
特に2012年頃から2018年頃というのはレーシングミクバイクの発案と企画、クリプトンさんやグッスマさんへの打ち合わせそしてイベント出展の日々
実のところ2010頃は本当に普通に自転車屋さんだったのですから、ミクさんと出会ったことにより今までありえなかった場所に飛び込んだのです。
出会いからその流れでやはり同じボーカロイド結月ゆかり自転車の製作、そして降ってわいたような依頼の森永製菓さんとの初音ミクコラボ企画への参画によりなんと2016のミクEXPO TOKYOでCMを流してもらったり初音ミクのコラボ企画をしたという手腕を買われて某G社でお仕事させていただいたりもうそれこそみくみくでみくみくな日々だったわけで、そのクライマックスがマジカルミライ2018だったのです。
2018はレーシングミクバイクの最終モデルが発表されグッスマさんに頼み込んでマジカルミライ企画展に置かせて貰う事ができました。
2018レーシングミクバイクは始めてから3モデル目のモデルでついに初音ミク公式マークをつける事が許されグッドスマイルレーシング、ピアブロ、クリプトンと全てのロゴが入ったレーシングミクバイクの集大成のようなモデルでした。
だからこそマジカルミライに展示できたことは初音ミクの自転車を創造した自分にとって本当に嬉しいことだったのです。
そしてもちろんミクバイクが出来るまでには嬉しいことだけでなくもうそれこそ困難が嵐のように降りかかってきていてその中でその時々に聞いていたミクさんの曲にどれだけ励まされたかしれません、そしてその中で一番の曲がodds&endsでした、もう曲の全てがその時の全てで極端に言えばこの曲がなければミクバイクは完成できなかったかもしれません。
そして奇しくも自分が作り上げた作品がライブ会場の隣の企画展に展示されているそのマジカルミライ東京ライブで大阪ではセトリに入らなかったodds&endsが演奏されたのです。
こんな事があり得るんだ、曲を聴いている間もうペンライトを振ることも出来ずもう立ち尽くして嗚咽をこらえるしかないという事になりました。
まさにその瞬間が自分とミクさんで今まで歩いてきた中でのクライマックスだったと言っても良かったと思います。
そしてさらに思いました「今この瞬間にミクさんから決別する事で永遠に一番幸せだった高みにい続ける事が出来るんじゃないだろうか?」
僕は決して若くありません、そう遠くない未来、物理的に確実にミクさんとの別れがやってきます。だったらその時に悲しい思いをする前にいっそこのままと本当に思いマジカルミライの会期中ずっと考えていました。
でもその時すでに新しいミクバイク「雪ミク自転車」の企画が進んでいたこともあり思いとどまりました。
そしてそんな身勝手な僕なのに彼女の声は今も自分の前を照らし続けているわけですけれど。
そうやはりね「初音ミク」じゃなくちゃダメなんですよ うん。