見出し画像

舞台「マーキュリー・ファー」

「マーキュリー・ファー」を観た。

吉沢亮!北村匠海!せたパブ!という浮かれた気持ちで観に行って「うわぁ、、ものすごいものを観てしまった、、、」というのが正直な感想である。
一度は行きたいと思っていた世田谷パブリックシアターで観劇できたのもすごく嬉しかった。


この戯曲を吉沢亮とか北村匠海っていうフィルターを通して同世代の人が触れることができる時代であることが嬉しかった(えらそうに聞こえるかもだけど)し、考えるチャンスをもらえたんだと思った。

衝撃作と言われるだけのショッキングな場面はあるし、一度観てしまったからには2回目を観るには心の準備が必要だけど、再演が決まった暁には絶対に観に行きたい。(直近で配信が決まっている!うれしい!映像越しではどう感じるのかも楽しみ!)

吉沢亮と北村匠海という今をときめく若手俳優2人が主演ということもあり、観客は若い女性の方ばかりだった。

観てから数日が経った今も観なきゃよかったともすこし思うし、でも観てしまったからには観なければ絶対に後悔していただろうなと思った。演劇作品としても、吉沢亮のファンとしてもエリオットは観るべき役だったと思った。




☡以下ネタバレあり





あらすじも役どころも時代背景も予習ゼロで行ったひとの感想なのであしからず。


冒頭から喧嘩のような言葉の浴びせ合い、暴力、叫び、苦しみ、血、涙、銃声、悲鳴、何もかもがしんどくて辛くて悲しかった。でもそれがエリオットとダレンにとっては逃れられない現実だとわかるからより苦しくなった。




「ものすごく愛してる だからお前をーーーー」


ダレンはとりわけ優しい心の持ち主なのだと思う。死ぬほど罵倒されても兄貴を愛しているし、信じている。それが愛ゆえの言動だとわかっているからだ。
すぐ情にほだされるところも、おせっかいなところも、口が軽くてバカなところも、全部主人公にぴったりの人柄だなぁと思った。(いま書いていてピーター・パーカー思い出した。こいつまた余計なこと言ってんな!と映画観ながらいつも思うけどそれがないと何も始まらないんだよな、、)

あとアカペラで歌うダレン、というより北村匠海さん、マジで歌上手くてビビる(笑)


エリオットはダレンを愛するが故に自分がどう動くのが最善かを考えているのだろう。彼が決してバタフライを常用しないのも、「ものすごく愛してる」から黒いバタフライに支配されず選べるうちに自らの手で弟を殺そうとするのも、迷った挙げ句スピンクスの言うとおりにするのも、結果として逆らうのも。
あのときナズを断固として仲間に入れたがらないのもきっとダレンと仲良くなることを恐れていたからではないかと思う。あんなに先の先まで考えているエリオットなら、瀕死状態のパーティープレゼントを見てナズの可能性についても考えが及んでいただろうし、だからこそダレンが親しくなるべきではないと考えていたのだと思う。

でも終盤で傷ついたナズを全身で抱えて世話してるのは親友のダレンじゃなくてエリオットだった。どうしてだろうと思ったけど、結局それは弟の大切な親友は助けなきゃという思いから出た行動で、そこにも愛情を持ってしまっていたのかな。

(キレやすいけど)記憶力が良くて賢くて何でもできる兄貴である自分のことを尊敬してくれている弟が、愛おしくてたまらないんだろうな、と最後まで思っていた。

吉沢さんの演じるエリオットが観れてよかった。ダークな中に人間味が滲み出る役がこんなに似合うの本当にすごい。



ナズは終始煩くて、観客の私ですら(もう質問しすぎだよ!!!うるせぇな!!!)と思ってしまった。ダレンとの掛け合いは言ってることは結構グロいのに心地よくて楽しそうでちょっと泣きそうになった。バッコンバッコン。だからこそ、【パーティープレゼント】が倒れたときに察してしまった。そうなるよ。あんな地獄の空間で、彼が助かる世界線だったことがせめてもの救いだった。

小日向星一さんは最近観た映画でも印象に残っていて、とても楽しみにしていた俳優さんでもあったので舞台で観れて単純に嬉しかった。ナズというキャラクターにぴったりだと直感的に思ったからこそ初演の水田くんも見てみたくなった。


あとローラ!!!
めちゃくちゃ良かったし1番好きな役かも。
あんなに美しいなんてちょっとあまりにも最高すぎ、、、と息を呑んだ。
宮崎秋人さん、また舞台でお目にかかりたい方のひとりになった!




「人間の体をした牛?
 それとも牛の頭を持った人間? それならーーー」


バタフライ、サウンド・オブ・ミュージック、ナパーム弾、ミノタウロスの話、パーティー、あとタイトルの意味とか全部の意味や背景を考えてしまって、感じ取ってしまって、もうなんか観ているだけでしんどかったしもうやめてくれよとも思った。(n回目)

ミノタウロスの話をしているダレンの言葉が劇中で1番印象に残っていて、そう考えられるのはダレンだからだよ🥲と感極まり、なおかつハッとさせられるシーンだった。
相手が人だったら話して解決できるのにね。

パンフレットでも何人もこのシーンのお話をされていて、戯曲の中でも大切なセリフなんだろうなと実感した。



吉沢さんが出てた「プロデューサーズ」(2020年)みたいなポップで明るい気持ちになれるようなミュージカル作品も華やかで楽しくてワクワクして大好きなんだけど、こういう作品もある意味すごくエンパワーメントしていると痛感してさらに好きになった。


昨年末に観た「Lungs」もかなり社会的な内容で、ただ推しを見に来たオタクにはハードル高いのでは?と思っていたけれど、マーキュリー・ファーも同様だった。


普段からなんとなく頭の隅で考えていたり無意識のうちに気にしていたことが明文化されて、言葉のシャワーになってブワーーーと浴びせられたようで、それを必死で整理して咀嚼する時間が出来たことが自分にとっても大きかった。そんな体験ができる作品って本当にすごいし貴重。


これが映画でもドラマでもなく舞台であるということにも強い意味を持っていた、と思う。限られたセットの中で部屋がハッキリ分けられていることも新鮮だったし、この作品ならではの光(照明)の演出が秀逸だった。それが1番好きだったところかも。


配信でまた観たら新たに感じるものがあるんだろうな!楽しみだ!!!



追記
初演時のも含めて色んな方の感想や考察を検索しまくり読んでいると、全く考えてもいなかった意味や描写がいくつも見つかって楽しい!特にミノタウロスの話で、エリオットとダレンにとっては“牛”ではなく“人”だったという考察を読んで鳥肌立った。そういうことか、、。
戯曲読みたくなってきた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?