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「花束みたいな恋をした」を観た。
映画「花束みたいな恋をした」を観た。
午後の予定が無くなったので、思い立って2時間後に始まる映画のチケットを取った。
久々の映画館がなんだか嬉しくて、ひとりで意気揚々とポップコーンを抱えて座った。
冒頭、親近感がわく固有名詞ばかりが飛び交う会話を観ている最中に、これがサブカルチャー映画ではないのだと気づいた。既に6週連続動員数1位でヒットしていることからしても当然なのだけれど、サブカルチャーが好きなひとが主人公のメインカルチャー映画だった。
だからか、全然泣けなかった。むしろ脚本がなぜかツボで笑えて最初の15分は吹き出しそうになるばかりだった。
なんというか、私が触れてきたカルチャーとこの2人が見ている世界とのあいだに通ずるものがありすぎて、それを全身で受け止めてしまった。2015年の彼らはまるで2021年現在現役大学生のわたしだなぁと思ってしまった。くやしい。そう思うことで、無意識に自分は今隣で同じ映画を観ているJK達とは違うのだとマウントを取っていたようにも思う。
2015年にも生きていたわたしが、選ばなかった世界線の話をしているみたいだった。あぁ、わたしも就活したくないなぁ。遊びみたいな仕事したいよ。
そして、クロノスタシスも宝石の国も穂村弘も押井守も羊文学も崎山蒼志もサブカルの中のサブカルっぽさが強すぎてなんかげんなりしちゃった。そう思ったの私だけか???その名前が出てくること自体にちょっと嬉しくは思うんだけどね、、、。全然そのカルチャーが生きてなくて、どういう時代なのかを表す史実として消化されているような気がした。
だって本当に心底それが好きだったらよく知らん顔見知りの男との焼肉よりルミネの天竺鼠を選ぶはずだし、少なくとも絹みたいな価値観の子と私は今まで相容れないで生きてきたのだと痛感した。"私みたい"なサブカル好きの絹は、私の一番仲良くならないタイプの女子だった。だってもっとなにかに"ガチ"でオタクな人とばっかりつるんできた人生だったもん。これが描きたかった"普通"なのか~というかんじ。だってほんとに"普通すぎ"て全然つまんない。
自分語りになってしまうが、わたしにとっての生活の中心はずっと間違いなく映画と音楽と(最近は遠くなってしまった)読書で、それがわたしを構成しているのだなと実感することが多々ある。アイドルオタクでもあるけれど、それと同じくレベルで映画と音楽に生かされてきた。だからこそ、いつか麦のように変化してしまう可能性を考えると少し悲しくもある。彼らにとっての今村夏子とかゴールデンカムイとかきのこ帝国が、私にとってのマイヘアや辻村深月や道尾秀介だったというだけだ。
だけど、押井守には気付かないであろう私もショーシャンクがマイナー映画だと話すその人と映画の話はもうしないだろうし、ワンオクは「聴ける」のだ。モノラルよりステレオで聴いたほうがずっと良いなんて言わずもがなだ。だからこそ、趣味嗜好がほとんど同じだいう理由で近づいた人と結婚するなんてありえない。それくらいの熱量でこの映画に向き合えているなら、まだまだサブカルクソ野郎でいてもいいのかな、とも思った。
それと、なによりも、ファミレスはこの世の中でも最高の空間なのでそこに2人のありとあらゆるものが集約されているようでたまらなかった。サイゼでもロイホでもなくジョナサン、個人的には100点だよ。
そういえば作中に「好き」とか「愛」っていう単語が全然出てこなかった。たぶん一言も。なんかそれも普通だよねぇ、、、わたしはかなしいよ、、、
なんか作品まるごと「エモかったね」で感想がまとめられてしまうんだろうな、と想像がつくし正直そういう映画だった。かなり明け透けに。隣のJK達が上映後に「あんな円満に終わることあるんだね!すごーい!」みたいなことを言っていた。あれは円満なのか?始まりがあれば終わりはあるし、ありとあらゆる節目のタイミングが同じ2人なんだから終わろうとしたタイミングが同じだっただけだ、と私は思う。
あと、「花束みたいな恋をした」というタイトルで花束がモチーフみたいに出てこないのが救いだった。そんなことされたらこの映画を嫌いになってしまう。でも見終わったあと、花言葉は超調べた。笑
花束ってもらったときは嬉しくて、でもいつか萎れて枯れてしまう。でもそのもらった思い出は残る。私は日頃から、花(やプレゼント)をもらうことはもらうことに意味があると考えていて、極論、その日の帰り道に捨てようが大切に何日も水をやり枝を切り甲斐甲斐しく世話をしようが同じだと思っている節がある。
だから、キラキラとした目の前の恋を始めることが2人にとっての最大の山場だったのでは、と思ってしまった。
とはいえ、こんなに文章書かせるようなパワーのある映画つくっちゃうってやっぱり坂元裕二の脚本凄いなぁ~
長々と書いてきたが、わたしはこの映画よりも「WandaVision」の考察をしているときの方が楽しかったな!!!MCUはウルトラスーパービッグメインカルチャーだから!
終わり。