生活における所感 その1
冬の終わりあるいは春先に感染力のすこぶる強い感染症が世界に広がってから、いつの間にかもう秋も終盤。ヨーロッパ各地では、再び外出禁止令や夜間外出禁止、店舗営業の制限など、様々な規制が政府によって敷かれている。幸い、私の住むマルタでは、首相がそのような「ロックダウン」はしないという意向を示している。ただ、やはりマルタも新規感染者数が連日100人を超え、高齢者を中心に死者が出ているので、当然ながら憂慮する声は世間にはある。あらゆる公共空間でのマスク着用義務や7人以上の公共の場での集会の禁止などの規制があるが、実際的な厳格な取締りと規制の施行をのぞむ声もあるのは事実である。
私は、できるだけ自由でいたい。なるべく少ない規制のなかで生活したいし、物理的空間での社会的接点が失われると、生きるにあたって難しい部分がある。だからこそ、なるべく信頼できそうな情報(この場合は科学的、学術的)を収集し、予防策を講じつつ、いわゆる生活における規則による制限を最大限に無効化しようとするのである。
例えば、コーヒーを飲むということにしても、家で自分で淹れて飲むのと、コーヒ屋でコップ1杯のコーヒーを買って飲むのでは意味が異なる。前者はどちらかというと儀式を経た瞑想の意味合いがあり、すべて自己のなかで完結するのに対し、後者は、ある程度、道を歩き、コーヒ屋にたどり着き、注文をするために少しの言葉をかわすことで、私の生活がいくらかハリがあるものになると信じている。
私の規範が万人に通用するとは思わないし、各個人においてその正しさは異なる。私的領域の規律自体は、公によって直接、決定されるわけではないにしても、影響を受けるものである。
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