【8月7日(日)その1 南三陸町】
この日は一日、マイクロバスでの移動となった。一ノ関から、道の駅高田松原の東日本大震災津波伝承館へ向かう。通称は「いわてTsunamiメモリアル」というそうだがそっちはあまり知られていないかも。むしろ、奇跡の一本松のあるところ、というイメージの方が知られていそうである。で、あまりにも立派な建物で、少しひいてしまう。展示はとても立派だし、映像もたくさん使ってあってわかりやすいのだが、なんとなく、気持ちが乗っていかない。荒浜小学校を訪ねた時のような、被害を身近に感じることが少ないのだ。震災後にがんばった消防団や行政、自衛隊などの活躍がたくさん紹介されている。もちろん、それも大事な情報ではあるのだが。。。。世界各国からのボランティアなども紹介されていたのは、いいことなのだけど、何が足りないのだろう????ここでの写真はなぜかほとんど残っていない。
お昼は、南三陸さんさん商店街で、名物のきらきら丼を頂く。夏のシーズンだけ、ウニの入ったきらきら丼があるらしい。いくつかお店があったが、行列しているところに並んでみる。皆さんは生ビールを頼んでいたが、私は近くの商店で缶ビールをゲットした。で、着丼。きれいだなあ。ウニ、ホタテ、イクラ。三陸の海の幸が満載である。そうだとも。ここは常に豊穣の海だった。美味しいものがたくさんあって、そこで揚がる魚介類で港はにぎわった。だから、どんなに何度も津波が来ても、人々はこの海から離れなかったんだよね。。。丼はものすごく美味しかった。3500円の価値は十分にあったと思う。
その後、さんさん商店街のそばにある、南三陸町震災復興祈念公園へ、みんなで歩いていく。なんだか、すごい橋がかかっている。防波堤を大きくすると、橋をアクセシブルにするためには、こんな大掛かりな設計になるのかなあ。。今ではまるで盆地のようになっている中に、旧南三陸町庁舎が震災遺構として残っている。だが、なんだか、きれいになりすぎてしまい、ここも今一つ響いてこない。ここは、あの町役場の若い女性職員が、最後まで防災無線で避難を呼びかけながら、津波に飲まれて死んでいった場所のはずだ。この日、一日じゅう同行してくださっていた地元の今泉さんが、「こういう紹介の仕方でいいんですかねえ」と、嘆息していた。確かに、この建物が県有化されているとか、震災遺構として残すかどうか議論されているとかは、別に来訪者にとってはどうでもいい情報だ。むしろ、ここがあの女性職員が最後まで避難を呼びかけた場所だということを伝えてほしいのだが。。。ここでも、なんとなく、行政側の情報発信の在り方に、少し違和感のあるものとなった。
なお、隣には、巨大な建物が立ちつつ ある。南三陸メモリアル311という道の駅だそうだ。ここも隈研吾氏の設計だ。伝承館としての役割も担うという。市民目線での展示が増えるといいな。ま、物品販売の場としては、私はさんさん商店街の手作り感の方が好きだけど。。10月にオープンするというので、いつか行ってみたい。
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