【8月7日(日)その2 気仙沼 陸前高田】
この後、バスに乗って気仙沼のリアス・アーク美術館へ向かう。歴史文化博物館でもあり、地元のアーティストの発表の場でもあり、かつ、震災に関する展示もあるという場だ。もやいのみなさんはすでに何度か見学済みだった方もいらしたが、私は初めてだったので真剣に見た。むしろ、ここの展示が、一番心に残ったと言っても過言ではない。長い三陸の歴史の中では、豊かな漁場である浜側と、農業が盛んな山側との婚姻は多かった。そしてお互いに、海産物と農産物を贈り合ってきたのだ。山と海は常に互いを育むものとして助け合ってきた。そして、白鳳時代から何度も三陸を襲ってきた津波の歴史。私が今回の旅で一番心に残った展示は、この美術館の地下にあった、江戸時代に描かれた津波の浮世絵かもしれない。大津波に吞まれていく一家は、端午の節句を祝っている最中だった。波に消えていく五月人形の兜が悲しい。別の絵では、結婚式の最中に津波に呑まれ、花嫁と一族を失った若者が、気がふれたと書かれていた。それぞれの人々の悲しみが、そくそくと響いてくる。亡くなった人それぞれに、人生があったはずなのだ。まあ、遺体を地引網で引き上げている絵とか、卒倒しそうなものもあったのだが。。。。。。。。
なお、ここではなぜかまったく写真を撮っていなかったので、美術館のトップページを紹介する。
なお、このリアス・アーク美術館のアークというのは、方舟という意味である。ノアの方舟のように、後世に残すべきものを納めたという意味でもある。ノアの箱舟が大津波に呑まれたように、三陸も津波に呑まれた。失われたものも多いが、遺ったもの、遺したものがある。そして後世に遺すべきものは何なのだろう。深く考える場となった。今になって思う。午前中の震災記念館で、心が動かなかったのはなぜか。そこに、物語が少ないからだ。18000人の亡くなった方、行方不明の方には、それぞれのいのちと、人生と、その物語があったはずだ。かなえたい夢。会いたい人。ささやかな楽しみ。好きなもの。苦手なもの。笑える瞬間。たぶん、私が会いたかったのは、その人々のLIFE(いのち、生活、人生)だったのだ。語り部さんに出会っていればまた違う印象を持ったかもしれない。行政や自衛隊ががんばった物語ももちろん大事なのだけど、亡くなった方、ひとりひとりの人生に、より思いを馳せたかったということなのだと思う。
ここからまたバスに乗り、気仙沼を経由して陸前高田へ向かう。「ここが、おかえりモネでFMを流していた気仙沼の放送局ですよ!」と言われて慌てて港の方を見る。なんか記憶があるなあ。とてもきれいな建物だ。どうやら、今日は港でお祭りらしい。たくさんの若い人が楽しそうに歩いている。復興したんだなあと、思う。11年経ったのだ。おかえりモネは、気象予報士という仕事を教えてくれただけでなく、震災からの立ち直りや、山と海の育ちあう関係を語っていて、好きな朝ドラだった。ま、私としては、漁師役だった浅野忠信のファンだったせいもあり、かなり感情移入してしまったのだけど。行方不明になった妻の 美波が歌っていた「かもめはかもめ」を思い出すと、今でも泣けてくる。この曲が次のけんか七夕の会場で流れていたのも、偶然ではいないかもしれない。
で、気仙沼で感傷に浸っている間もなく、バスは陸前高田の発酵パークCAMOCYに到着した。ここは、創業1807年の八木澤商店が経営する複合施設である。八木澤商店は、津波で全ての蔵を失ったが、県の水産技術センターに預けておいたもろみが奇跡的に残っており、それを使って醤油づくりを再開した伝説の醬油屋である。この醤油は「奇跡の醤(ひしお)」として、売りに出されている。地域をずっとひっぱってきた河野会長は、今では次世代の新しい取り組みに、口を出さないそうだ。(名刺には、取締役会長の後に(隠居)と入っている。なんてかっこいいんだ!)CAMOCYは、もちろん醸造するという「かもす」から来ている名前だが、美味しいパン屋、チョコレートショップ、お惣菜屋、クラフトビール屋などが入っている。デザインがとてもかっこよく、若い人にも、めちゃ、うけそうだ。醤油やみその店も、そこが運営する定食屋もあり、目移りする。私はここでは食事はしないで、チーズケーキを頂いた。濃厚でとても美味しかった。奇跡の醤、もろみ、煎り酒など、またたくさん買い物をしてしまった。。。
館内はきちんとしたUDで、アクセシブルトイレは男女の真ん中にあり、使い勝手が良さそうだった。車いすの方が普通に使っている。震災後に復旧する建物は、原状復帰を求められ、スロープや洋式トイレの設置すら許可されないと嘆いていたことを思いだす。全く場所を変えて新たに作られた建物は、バリアフリー法を適用できたのだ。それはそれで、いいことなのだろう。
その後、この街のお祭りである「けんか七夕」を拝見する。900年以上前からある祭りだそうだ。二つの山車を縄で弾き、激しくぶつかり合った後、短冊のついた笹で互いに相手の山車を叩き合う。八木澤商店の会長さんに案内して頂いたので、特等席で拝見できた。ここにも、車いすの若い男性が来ていて、席を確保できていた。東北のお祭りにも、UDの意識が根付いてきたのかと思うと、とても嬉しかった。この日の夜は、大船渡プラザホテルに泊まる。
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