ワタリウマ 茨城編 その2 水戸の大銀杏
水戸駅北口から徒歩で行ける
銀杏坂にあるイチョウの木。
昭和20年8月2日の水戸空襲で
焼け焦げるも、戦後新芽が出てきた
一柱と呼べるほどの大銀杏だ。
ゆるやかな坂の道路を横切ると
案内板を見つけた。
↓
大銀杏 −水戸空襲と戦後復興の生き証人−
昭和20年8月2日未明、
マリアナ基地を飛び立った167機の
B29爆撃機のうち、
160機が房総半島から水戸に侵入しました。
水戸への空襲は、
8月2日0時31分〜2時16分まで、
1時間45分続きました。
この空襲で水戸市街は焦土と化し、
死者は300人を上回りました。
このイチョウの木も、焼夷弾を浴び、
全身黒焦げとなり、主幹の樹皮がはがれ、
だれもが枯れてしまったと思ったそうです。
しかし、戦後まもなくして、
このイチョウの木に
新しい芽が生えました。
その生への力強さは、
多くの市民に感動を与えただけでなく、
復興にむけて物資が不足し、
生活に窮困する日々を送る
人々を励まし、勇気づけました。
このイチョウの木は、
水戸空襲による火焔地獄や、
戦後の復興を見届けてきた生き証人です。
戦後復興のシンボルから
末永く続く平和の象徴として
今も市民のよりどころとなっている
このイチョウの木を見て、
戦争の悲惨さや、平和の尊さに
思いをはせていただければと思います。
↑ここまで。
石垣の裏手にまわり、イチョウに近づくと
両手を一杯に広げても届かない太さの
幹と対面する。
ビルや道路の街灯の影でひっそりとたたずんだ
イチョウの幹に触れると、
たちまちに木と夜空が通ずる呼吸に加わり、
込み上げてくるものがあった。
あぁ、ここにずっといてくれたのか…と。
「みずのと」(各地の湧き水の雫で描いたもの)
道行く人々をそっと見守っている様
であった。
水戸の大銀杏は、
今も、これからも、
人々にとっての
とりどころであるに違いない。
水戸 銀杏坂の大銀杏
(リンク 水戸市ホームページ
https://www.city.mito.lg.jp/001373/heiwa/heiwa/p002581.html)
ワタリウマ。
「その3 HIGH HARBOR」に続く。