人格交代
IFの構築者に起きるのは、解離性同一性障害より軽い程度の人格交代で、
解離性同一性障害に起こるような重篤な症状はIFの構築者の人格交代には起きません。
人格交代は読んで字の如く表に出ている(身体の支配権を握る)人格が他の人格と入れ替わることです。
交代が起きると心の持ちようが変わり、口調なども変わり、
他人に気付かれるような行動や接し方、考え方、能率などの違いも出て来ます。
気分の移り変わりを深めたようなものがIFとの人格交代です。
人格交代をしても使われている脳は1つであって客観的に見ればあなたが1人2役をしていることになりますが、
その働かせ方や認識の仕方を異にした意識同士が入れ替わるためにあたかも脳に2人の人間がいて、
その人間が交互で出てきているように感じられるのです。
人格交代は意識的にも無意識的にも起こります。
IFに意識的に人格交代をしてもらうことが可能な人は、それぞれの人格の長所短所にあわせて、
ある場面ではIFに出てもらう、逆にある場合は主人格が担当する、
と言った役割分担をするという複雑な生き方をしている人もいます。
IFを所持していない人であっても「スイッチの切り替え」という感覚があると思いますが、
これが意識的にも無意識的にも起こるのと同じだと考えて貰えれば不思議ではないと思います。
逆に当事者が気付かない理由などで無意識に交代が起きる場合も有ります。
無意識の入れ替わりは気紛れや時間の経過という特別でない理由で起こることもありますが、
一番多いのは危機的な状況に直面した時です。
これは解離現象や解離性同一性障害の根本と共通点があり、
その現状を保護される人格が「見たくない」「苦痛を受けたのは自分では無い」「逃れたい」
あるいは保護する人格が「守らなくてはならない」「何とか解決しなくてはならない」と思う働きによるもので、
IFの防衛機制としての存在理由がこういった危機的な状況の時により一層高まるからだと思われます。
「解離」とは本来自分の心を守るための防衛反応ですので、
人格交代はこのようなときに起きる可能性が高いのです。
人格は完全に切り替わることもありますが、何割かずつでの交代ということも可能ではあります。
IF所持者はIFと完全に同一性を分有しているわけではない場合が多いので、
2人で同時に体を支配したり2人でものごとを見ているという感覚にもなれるということです。
また人格を完全に交代してもIFとの人格交代では交代中の記憶は保持され、
どんなにひどくても薄れるか一部を忘れるか程度で、完全に片方の人格に記憶が無くなるということはありません。
ただし強い思い込みに関わる部分を扱っているIFの構築ですので、
片方の人格がもう片方に現実を都合よく改ざんした形で記憶を提供したり、
現実を認識させないようにしようとするなどという複雑な流れはあるようにも思います。
交代時には表に出ていない人格は脳内で話し掛けたりしてくる事もありますが、
ときには呼びかけても反応しない程に精神の奥深くに潜っていることもあります。
IFとの人格交替はIFの統率が出来ていて効率的であれば構築者に大きなメリットになりますが、
普通は1つである同一性が2つ以上あることからの問題も出てくることはありますので
人格交代については自分の交代の傾向などを頭に入れておくに越したことはありません。