【オトナのやり直しピアノ】 〜インナーチャイルドの傷に向き合う旅〜
はて。やり直したかったのはピアノだったのか?
それとも、それ以外の何か?
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インナーチャイルドの傷を癒すとき、
当時の記憶や思考、感情にアクセスする事があります。
大人の視点でその状況を俯瞰して、
その出来事を今一度見直すのです。
そうする事で何かに気づき、
それが何かの癒しに繋がることがあります。
今回のやり直しピアノはそれに似ていて。
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「私はピアノを弾く価値のない人間だ。」
今回取り組んだ曲は小学生の頃にやった曲で。
当時そんな風に自己ジャッジしてました。
音楽に向き合うと、とても不思議なんですが、
あの時の思考、感情、感覚がそのまま蘇るんですよね。
だからでしょうか。
当初この曲と向き合うのは、
実はあまり居心地の良いものではありませんでした。
「学年トップでピアノも弾けるリエコちゃん。」
いつしかそんなキャラを演じていて、それが強迫観念になって。
胸グソわる〜い気分にも。
(その自己矛盾も苦しみのひとつかもしれない)
そうこうしているうちに「臭いものに蓋」で
辞めざるを得ませんでした。
思考が現実化するとはよく言ったもので、
辞めざるを得ない状況が現実化したんですよね。
「それ以上成績下がるんだったら、ピアノ辞めなさい。」
あのときの母の声が脳内をこだまします。
蓋を開けるきっかけとなったのはコロナ禍でした。
いざ蓋を開けてみると、
「臭いもの」に向きあわざるを得なくて。
蓋を開けたらすぐごはん!であるよ
「どうせ誰からも理解されない。」
「ピアノを弾くと誰かから責められている気がする。」
自己否定の強く、被害妄想もあった
当時の思考・感情が蘇ります。
当時の音楽教育の風潮もあるでしょうか。
ただね、自分を外に表現するベクトルと
内を否定するベクトルって。
真逆なんですよ!
そんなに自己否定が強かったら、
外に向けて自分を表現するメンタルになれないよね。
あのときの私を抱きしめてあげたりして。。。
さらに、この自己否定が大人になって
あらゆることに影響していることにも気付かされます。
さて、この自己否定はどこからくるのか?
思えば当時、きちんと自分の演奏をきちんと
アセスメントできてなかったんですね。
そして何よりのガンが「ゼロ or ひゃく 思考」
何かできない事があったとして、
何もかもが「できない」という全否定に。
これが自己否定になっていたと。
やり直したからこそ気づけたところがあります。
(まあ、インナーチャイルドのどんなセラピーより強力だった訳です)
これはここまでできる、これはできない。
これをやるにはそれをどうなるまで練習する必要があるか
そのためにはこれだけの練習時間を確保する必要がある
そこを冷静に、理性的に
アセスメントすれば良いだけの話だったんですよね。
そもそもは、お調子者の気質を持つ私
そして、ちょっと聞いて何となく弾いてしまうクセ
確かにちょっと変わった子だったのは間違いなく、
(リアルのだめというか。。)
ただ、クラシックのピアノを弾くには、きちんとそのラインにのせる必要があったのは間違いなく。
その本質とのズレもあったでしょうか。
やり直したかったのはなんでしょうねえ。
自ら仕掛けた自己否定の鎖をとき、
本当の自分を表現するそのステージにのせることだったのかもしれないなと。
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にしても!!!ラストff
このテンポで行くんかい!
お調子ものは変わんねえ😂
(想定のテンポよりずっと早くなりました)
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人生は一度きりゆえ
いつでもやり直していいんだよ
#オトナのやり直しピアノ
Beethoven / Piano Sonata No.20より