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たくさんのストーリー

先日、旦那さんが子どもたちにすてきなストーリーを話してくれました。いわゆる、本の読み聞かせや寝るときなど聞かせるお話のことです。

子どもの未来のストーリーを時々していて、息子は海外で活躍するサッカー選手になったり、監督になったり、娘はバレエの海外舞台公演に出たり、先生などになっていたりします。

今日はわたしが主人公だった。そのストーリーとは・・・

「「SOURIRE」(←当時わたしのおうちサロン)にある日、某国大統領が電話予約をいれて、飛行機でやってきて、うちで30分のセッションをしていきました。それが大成功で、報酬は封筒に30万円を置いていきました。大統領は飛行機で帰る道すがら、そのときの解決策「深くよく考える」をずっと繰り返しつぶやきました。そして国へ帰ってから、大臣を集めて、「よく考える」を繰り返し、会議や政策を練り直し、意見の喰い違いも話し合い、とにかく考えつくすことで、様々な合意が得られ、その結果、みんなともお互いをよく理解し、とてもすてきな国になりました。思えば、あのセッションのおかげだったと、大統領はしみじみ思い、みんな幸せでした~」・・・というそんな内容でした。

その後少しその出来事は忘れていたのですが、久しぶりに大切な先生にお会いし、お話している中で出てきた「ストーリー」というコトバが心に残ったことで、今これを書いています。

かつて、わたしは、あらたに夢を描こうというとき、「何を考えて」「どんなふうに実現したり、しあわせを引き寄せたいか」そのプロセスを考えることを深めていて、ほとんど行動はしていませんでした。

うごかない自分の感性に微震を与え、その感じたい出来事を引き寄せながら空虚さがただよったときには不安になり、何か違うな?と消しゴムするという感じ。わたしの作り出す数々のストーリーはどこか誰かに似ているかもしれなくて、すぐに自信がなくなってしまう流れでした。

時には「これは自分だ、これは私自身だ」と思い込んだり、「こうでなくては私はだめかもな」と意気込んでみたりしていました。

それなのに、旦那さんが話していたストーリーはすっきりしていて、なんだかすてきで、自分でもすっかり気に入りました。

最初からこだわりがあると思っているようでも、どうしていたらすべてが心地よく収まるか?がよくわからない。そんな自分だったので、何事もたどり着くまでとーーーっても時間をかけていました。

それなのに、旦那さんだったら、ものの5分です。

そこがとっても大事なことに、直観的に気づいてしまい、はじめて、自分のなかから笑いが起きていたことを思い出したのです!

みんな、自分のことは見えてなくても他人のことはよく見えるもの。いいところも、悪いところも。もっともっと他人の目からも写してもらったら、本当にすてきな世界なんだなぁと思います。2010.2.21 

noteを始めるにあたって、過去の記録を読んでいたら、10年くらい前の上記の文章を見つけて、書くこと読むこと、味わうことがすばらしいなぁといまだ思っている自分に気づいたわけです。さらに興味深い多次元をつなぐ「神話」や仕事でもある「天然石クリスタルから感じる」ことなどを書いておきたいと思っています。

何かとらえどころのない、でもシンクロニシティにあふれる体験はわたしにとっては「リアル」で、「神話」は聞いているととても美しい時間だと思っています。ただし、文法もコミュニケーションも苦手ですのでご容赦ください。

Twitterもちょうど10年前の今日に書き始めていたって、びっくりしました。2020夏至&部分日食&6月新月という中、密かなイベントに参加したような面白いタイミング。noteで、日々の出来事を「ストーリー」というエッセンスで書き出してみようか?そんな気分の前振りです♪