相手との距離を取ることも、愛
誰かに傷つけられた時でさえも「平等に愛せない」ということが苦しいと、そんなふうに感じたことはありますか?
わたしは、人間関係において、傷ついてもなお「相手を愛せない自分を許す」ことが難しかった時期がありました。
でも。。
平等に与えることが必ずしも愛というわけではなく、相手に対して距離を取ること(自分に対して、相手との距離を取ってあげること)が、関係性において最高の愛になることもある、ということを体験から知りました。
相手は距離を取られた時に、それが「愛」から起きているとは感じられないかもしれない。けれど「早く、それが愛だと感じられるように、精神的成長を遂げてね。霊的に成長してね」と、距離を置きながら愛の眼差しで相手を見つめることも、偉大な愛なのです。
どうしても、見ている世界や背景の違いから、それが「愛」だとは感じられない人もいます。
その人の霊的成長がなされないと、同じ次元の視点で見ることはできないのですね。
すべて愛から始まっている、と信じられるエネルギーを内側で感じてみましょう。
恐れではなく愛からの行動であれば、わたしたちは後悔することはないはず。
美しい愛を、自己犠牲というカタチで使うことは手放してゆきたいですね。
haRu*☽