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神さまだった。①

あのですね、
ふと思いつきで書いていったら
これまでで一番長いものになってしまって。

一万文字を超えてしまったので
何回かに分けることにしました。

しかも、内容がなかなか重たい。

自分の人生のとある何ページかを
綴ってみたものです。

ある程度読んで、こりゃちょっと…、
と思ったらブラウザバックをお願いします。


ーーーーーーーー


ばあちゃん。
わたしにとってのばあちゃんは
最強だった。

これ以外言い換えができないので
あえて言うのだとしたら、
神さまに他ならなかった。

当時は、神さまという言葉だけで
虫酸が走るほどの「神嫌い」だったのですが。

そんなわたしでも
神さまのような人だと思っていた。
ばあちゃん。

ばあちゃんは、さくらは良い子だーー
さくらは良い子だ。と。
しょっちゅう言ってくれた。

まぁ、さくらって名前は
本名ではないんですけどね。

とにかく、さくらは良い子だー

だって、さくらは
ばあちゃんの孫なんだから!って。

なんで?なんでわたしは良い子なの?って
聞いたところで行き止まりしかない。
だって、ばあちゃんの孫だから。

まぁ、とてもそんなこと聞けなかったけど
良い子じゃないよ、わたしは!って
思ってはいた。

でも、さくらは良い子!
ばあちゃんの孫だから!
ってそんな風に言われたら…

なぜなのか突き詰めたところで
そうよ、母さんも長いのよ、って。
ばあちゃんの孫だからよ、って。

ぞうさんの歌と同じになっちゃう。
それ以上何の太刀打ちもできない。

しかも、ばあちゃん。
父の母親なんだけど、男みたいな人で。

顔なんか北島三郎さんそっくりで。

だめだこれ。もうどうしても爆笑しちゃうこれ。
そっくりなの。

喋ってる声も。表情も。似てる。

北島三郎さん見ると、ばあちゃん……って
思い出して胸がキューッとしちゃう。

パブロフの犬じゃないですけど
こんな現象が起きてる人、
おそらくわたしだけだと思うんですけどね!

若いうちに未亡人となり
女手一つで四人の子どもを育て上げたばあちゃん。そりゃ、男らしくもなるよね。

そんなばあちゃん、
ドスっていうか声も強い。言葉に重みがあった。

そんなばあちゃんが
「さくら!」
「さくらは良い子だーーーー」
って、何の脈略もなく言い出す。
ドスの効いた声で。

わたしは、戸惑った。
理由なく、何故?と。
なんかよくわからない。でも、なんか嬉しい。と。

大人になってみるとわかる。

可愛い姪っ子や甥っ子に
不意打ちでわたしもそう言いたくなる。

何かしているときじゃなくて
何にもしていない時にこそ
可愛いねぇ〜~良い子だねぇ〜〜〜って
言いたくなる。

何かした時の報酬としてではなく
何もしていない時、
存在そのものに対しての愛情を注ぎたくなる。

きっと、ばあちゃんも
そうだったのかもしれないし、
そんな深い意味はないのかもしれない。

とにかく、ばあちゃんが
わたしに対して良い子だーーって言うから
わたしって、良い子なんだー…って
そう思うしかなかった。

ばあちゃんの前では
絶対良い子でいたい。とも。

葛藤していた。

わたしは良い子ではなかったから。

ばあちゃんを騙している気がした。
ばあちゃんはわかってない。
ばあちゃんにはわからない。

本当のわたしは、すごく悪い人間なんだ。 

こんなこと知ったら
きっと嫌われるかもしれない。

そんな自分をばあちゃんに見られたくない。

小学生のうちからそんなことを
考えている無邪気さのない人間でした。

わたしは機能不全家庭に育ち、
父母は仲が良くない。とても。
弟は可愛がられていた。

弟は、本当に可愛かった。
実際の話、外に出掛けると
弟には「かわいい〜〜」と
人が寄ってきてしまったりするような子だった。 

お目々がくりくりとしてて
髪の毛が長くて。

性格も可愛らしい。
優しくて控えめで、黒目がちに微笑んでいて。
可愛い。可愛いんだこれが。

父もわかりやすく弟を可愛がっていた。

わたしはといえば
母の影響を受けすぎて、父への見方が
非常にねじ曲がっていた。  

かと言って、母に従順だった訳でもなく。
すべてが気に入らなくて不貞腐れていた。

見た目も、人が集まってくるような
可愛らしさなどない。
子どもらしくない。

性格は…素直だけどひねくれてる。
とにかくイライラしていた。

両親が、そんなわたしを可愛いと思えないのは
当然といえば当然だったりもして。
とても不本意だけれども。

わたしは弟が憎たらしい。弟が疎ましい。
弟が可愛いければ可愛いほど
更にそれが加速する。
だからいじめる。いじめてしまう。

すると、怒られる。両親から。両親が憎い。
弟が憎い。この世が憎い。 
こんな醜い自分が大嫌い。

常にイラついていた。

イラつきがデフォだったんですね。
自分という人間は。

ちなみに、成人してから幼馴染に会うと
昔とのあまりの変わりように驚かれた。  

「さくら、と言ったら舌打ちだったのにね……」
「何か宗教でもやってるの?」
とか言われたり。

とにかく、十代・二十代・三十代・四十代、と
違う人生やってるような移り変わり方をしています。

まぁ、とにかく小中学校時代は、
妙にナイーブな面がありながら 
気性が荒いという、自分のことを
自分では手に負えない。
コントロール不能な日々でした。

しかし、救いは祖母にあった。

ばあちゃん。


ばあちゃんだけは
ばあちゃんだけは
わたしを可愛がってくれた。

わたしって可愛いのかな、って思えた。
もうちょっと言えば、
わたしって人間なのかもな、と思わせてくれた。

自分は人間じゃない何かだと
真剣に思ってましたからね。

悪魔、ゴミ、クズ。男になれなかった女。
女になれない、何か。

きっと本当は男なのに
男に生まれて来れなかったんだ、って悩んでいた。

男とか女とかそれ以前に人間ではない、
欠陥人間。

適切な感情を持ち合わせていない精神異常者。


こんなにも自分が人と違うのは…
生きづらいのは…
脳がおかしいからなんだ、と… 
早く、病名を探さなければ、って。

ははは。

いやー…ちょっと、

ちょっとこれは地獄ですね。

この言葉の羅列の悲惨さ。
どうしましょう。朝から。

ポップさのかけらもない。

大丈夫ですか、読んでくださっている方。
キツイ方はどうぞ、また他の機会に…!


深呼吸。してください。ふぅー。


いきますよ。



とりあえず、十代、病んでたんでしょうね。
わたしは。

そりゃ、そうです。
家庭終了してたんだから。
ただそれだけのことです。


小学校高学年の頃、叔母から心配されたわたしは
六本木だかの、なんだか腕のいい漢方系の
医者に連れて行かれました。

この子、自分と同じ匂いがする、と。

叔母は重度の鬱病(躁うつ)を患っていた。
つまり、そういうことだったんです。

そういった病院を受診させたことを
父が激怒して、通院は取りやめとなったのですが。


一方で、わたしは友達がたくさんいた。
明るかった。やけくそだった。

明るくない人間は生きる価値ない、と
本気で思っていた。

すなわち、自分は明るくなければ
生きる価値がない、という
思い込みがものすごかったんですよね。

ペルソナを上手に使いこなして生きていた。

剥がしたら死ぬ。生きている価値なし、と。
剥がす選択肢なんてなかった。
(のちにパートナーと出会い、ベリベリに剥がされていくんですけどね。)

明るくない父母を見て、反面教師にしていた。
いや、外面の良い父にそっくりだったのかも。

とにかく、友達。友達命。
友達がいるということが
存在価値そのものでもあった。友達信仰。

それに、何故かすぐ友達ができた。

転校した初日から
「ザリガニ取りに行こうぜ!!!」と
家にクラスメイトの子たちが訪ねて来るほど。

なんでうち知ってるの?って聞いたら
わざわざ先生に聞いて訪ねてきたとか。

わたしは内心行きたくなかった。



転校先の住まいには荒川があって。
「3年!!!B組!!!」

と、金八先生が生徒に点呼してる
あそこです。もろ。荒川。

荒川に行って
ザリガニ取りに行くんだけど怖くて。
わからなくて。作法が。

しかも誘いに来たメンツが
なかなかのツワモノ揃いで。

クソが付くほどの
ヤンキーの妹、弟、ゴールデンメンバー。
なんか盗んだりしちゃうような。

わたしは、そんな系統の子も
教室の隅の隅の隅の方にいる子も
みんなと友達になった。薄く。属さず。

劣等感がものすごいのに
変にプライドや信念、理想は高くて。 
誰とでも仲良くしたかった。

特に嫌われている子の良い所を探して
わたしだけは知ってる、と誇りたかった。

わたしは違うんだ。
幼稚な考え方なんかしたくない。
わたしは子どもじゃない。

なんて、プライドくらい高くないと
生きられないほど自己価値が地の底レベル
だったんですね。要するに。

なんでこんな話をするかって言うと
要するに子どもらしくなかった、という
説明をしたくて。

母に対しても対等、もしくは
わたしが母をなんとか守らなければと
母の母になろうとしていた面もあった。

無邪気でない。
目に光の無い、子ども。


そんな毎日を生きていても
可愛い孫、という存在になって寛げる場所。

自転車で行ける距離のばあちゃんち。
まさにオアシスだった。

ばあちゃんちに行けば呼吸ができた。

しょっちゅう遊びに行っていた。
行けば喜んでくれた。

ばあちゃんちに行くと
いつもクランキーチョコレートがあって。
楽しみだった。

パチンコの景品だったらしい。
ファンキーなばあちゃん。

わたしがお母さんのことを愚痴っても
ばあちゃんは絶対に、誰の肩も持たなかった。

人間的にできている人だった、と尊敬している。

自分の息子の嫁、
つまりわたしの母の至らなさを
一切、咎めたりしなかった。

母もそれは良く言っていた。
本当のお母さんだと思っていい、と
言ってくれる人だったと。

そんなばあちゃんに対して
わたしは弟が嫌だ、お母さんが嫌だと

誰にも言えない悩みを話したりした。
泣いたりもした。

さすがに父のことは言ったら可哀想だ
なんて、気を使うような心情は働いていた。
こどもながらに。


お母さんがこれだけ酷いんだー、
わかってくれないんだー、なんて
愚痴をこぼすと

ばあちゃんは
そうかー、おお。そうかー。と聞いてくれた。

ただ、聞いてくれた。

聞くだけ聞いたら最後には一言。
「お母さんを悲しませるな。」と。

それも、わたしを咎める言葉ではないのだと
肌で理解できるあたたかさがあった。

お母さんを悲しませることは
良くないことなんだよ、と
わからせてくれたような

その言葉に、違和感はなかった。
ベストアンサーだった。

そうだよな…って納得していた。
そうやって生きようとした。

大好きだった。
無条件に愛されている、っていう感覚

なんとなく
ばあちゃんからは感じていたように思う。

わたしにとって、ばあちゃんだけは。

わたしにとって、ばあちゃんがいれば。
 
ばあちゃんさえいてくれれば
わたしは大丈夫だった。

逃げ込めた。辛い日々から。
ばあちゃんちに行けば大丈夫だった。


《続きます》


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