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魔法がつかえなくなっちゃったみたい②


《続き》



まず、もう歌いたくないと思っている
彼女がスタジオに来てもらうところから
スタートしなくては。

歌わなくてもいいから
ただお話だけしに来ない?と誘ってみた。

これも、すぐに
はい。わかりました、とは行かず

わたしの腹の中も正直に
打ち明けるしかないなと観念して

自分も声が不調になって
もう歌いたくないと悩んだことがある話や

大好きな歌が、歌えなくなる時の
苦しさを味わったことがあるからこそ
その苦しみが痛いほど伝わってくるということ

そして喉が不調なときには
声を出すと負担がかかるから
歌わないほうがいいかもしれないし

声を出さなくても歌えるのだということを
お母様づてに伝えていただいた。

それでも
彼女は、もう歌うという行為自体を
避けたいという想いによる反応だった。

何度かそんなやり取りを経たけれど
遂に彼女がスタジオにきてくれることになった。

スタジオのドアを開けて入ってきたけれど
もう、それまでの彼女ではなくて
心を完全に閉ざしていた。

わたしも彼女を助けなくてはなどというような
大それたことを書いているけれど
わたしのほうこそ彼女に
随分と助けてもらってきた。

自分自身、もう人前で歌ったりする
音楽活動から気持ちが離れていたけれど
職業として音楽を伝えさせていただいていて。


私生活では、
自分自身がただ生きるということすら
大変に困難な時期が長く続きながらも
レッスンをさせていただくという
立場をやらせていただいて

もう、身を起こすこともできないような
精神と身体の限界であった時でも

立ち上がって、スイッチを切り替えて
自分をただ出し切るということを
させてもらえるという
レッスンの場があったということは
本当に幸せなことだった。

立ち上がりたいと思えるから
立てていただけのことであるだけで
いろいろと限界を超えていた。

音楽を通じて喜んでもらえることが
本当に幸せだった。
自分も倍、喜ばせてもらっていた。

相手が求めているであろうことを
自分なりに出し切っていくと
自分もその出したものに
励まされたり、力をもらっているようだった。

だから、
特に歌の力を求めている彼女との
レッスンにおいては
わたしは自分を奮い立たせてもらえるような

もはやわたしではない
何かが動かしてくれるままに
レッスンをさせてもらえることばかりだった。


だから、わたしが
スランプに陥った彼女を救うというよりかは

ただ、彼女のことが好きで
必要な存在で、
会いたくてただ伝えたいことばかりだ
という気持ちのほうが大きかった。

だから、大人としてだとか
先生として諭すだとか
そういったことではなくて
彼女が感じていること
悩んでいることをただ知りたかった。

彼女は席に着くも
スタジオの場に身を置くことを
拒否しているのがすごく伝わってきて

これはもう回りくどい話は必要ないと判断して
いきなり直球で彼女に問うた。

もう、歌いたくなくなっちゃった?と。

それまで
わたしとの間に分厚く張られていた
バリアのようなものが解除されたように

緊張がフッと緩んだように見えた後に
本心を打ち明けてくれた。


前は歌うことがただ楽しかったのに
いろんなこと考えすぎちゃって

考えすぎて楽しくなくなっちゃっていると
自分でもわかっているということ。

だけど、声がおかしくなっちゃって
歌うと耳の聴こえが気持ち悪いし
自分の声を聴きたくなくなっちゃって
もう歌いたくなくなっていること。

それが本当に耐えられないほどの
苦痛で仕方がないということ。

そして、他の何を差し置いても
自分が唯一これだけは、とすべてを
注ぐことが出来た歌だったのに

その歌がだめになってしまって
自分の存在意義が感じられなくなっていること。

赤裸々に想いを語ってくれた。

喉を詰まらせて、身体を震わせて
思いのままに伝えようとしてくれる
真剣さと共に大粒の涙が溢れていた。

こんなことは初めてだった。

いつも、何が好きで
何が楽しくて
どんな歌にハマっていて
今度はどんな歌を歌いたいか

そんなことをいつまでも話してくれる彼女が
はじめて見せてくれた、心の苦しさ。


いや、こういう彼女を見たのは
初めてではなかった

レッスンに通い始めてくれた当初
音程が上手く取れなかったり
ギターのコードを覚えられず悔しくて
先に進めなくなるほど泣いたり

当初はかなり幼かったから
そんなことはあった。


だけど
それは、つまり
彼女の言う「魔法」が使えない状態

それで自力で頑張っていた頃。

自分の理想と現実が
あまりにもかけ離れていて
耐えられない苦しさを感じながら。

ひょっとしたら
その当時感じていたものと
似た感情を感じていたのかもしれない。

いや、それより更に
苦しい、絶望があったはず。

自分には羽があったのだと気付いて
自由に飛んでいたのに
周りにいる、素晴らしく
美しく飛ぶ人と自分とを比べてみたり

そもそも、どうやって飛べていたのか
よくよく考えてみたら
わからなくなってしまったり

飛ぼうとしても飛べない。

どんなに頑張っても
元に戻れなくなってしまったという悲しみ。

どんなに頑張っても無理だったという諦めと
もうこれ以上失敗して傷つきたくない痛みから

正しい飛び方を頭で考えるようになり
その頭で考えたものを握りしめて
羽が開かなくなっていた。

こんな時欲しいものはアドバイスじゃない。

どうしたら良いのかなんて
改善だとかそんなものは要らない。

そのまま、ありのままの彼女を
心でそのまま抱きしめること。

痛みに寄り添うこと。
必要なのはこころからの共感だ。

だけど、50分。
レッスンの時間は50分と限られている。

こうやって彼女は苦しさを
吐き出すだけでも
幾分かは気持ちが楽になるかもしれない。

だけど、もうこれで彼女は
ここに来るのが最後になるかもしれないという
気がしていたから

そういうわけにはいかなかった。

正直、焦っていたかもしれない。

だけど、うたごころというものは
本当に繊細だから
真剣に向き合いながら
非常に注意深く、そして大胆に行かなくてはと
駆り立てられていた。

大丈夫だよ〜、などという浅い慰めや
また次もおしゃべりしようね〜、とか
そんなもので通用するとは思えなかった。

レッスン時間を延長したってよかったけれど
ご家族の送迎や予定などの兼ね合いもあり

約束の時間までに
彼女がこの部屋を出る時に
その苦しさを全部置いていって欲しかった。

そして、それだけに留まらず
己のうちから湧き起こる歌に
満たされて帰ってほしい、と
わたしは本気だった。


《続きます》

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