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歌うことが嫌いなら読んで欲しいんですよねこれ

歌うことが嫌い。


以前、歌ったときに体験した
もう二度と感じたくない思いがある。

人前で歌ったら
「音外れすぎ!」
「変な声!」
なんて言われてしまったり

言葉で受けた訳ではないけれど
みんな、自分の歌を
下手だと思っているんだろうなぁという空気感…

何よりも、こんな下手くそな自分の歌を
人に聴かせるなんて苦痛、恥ずかしい

そのような経験から
やがて、歌うことが怖くなってしまった。


…といった経験だとか

はたまた

歌が大好き。

大好きだから、
大好きなのに、大好きだからこそ、

自分の歌が下手であることを
受け入れるには辛すぎて
もう嫌いになるしかなかった。

なんてことも、ある。

ヘイトはラブの裏返し、
っていうやつですね。

それもその思いが強ければ
憎悪、憎しみにまでもなりますからね。


憎しみ、っていうものは
対象に愛情を求めているのに
手に入らないからこそ生まれる。

だから、憎しみ深いということは…
そういうこと。本当は好きでたまらない。

でも手に入らない。だから憎む。

好きでいたら辛すぎる。
歌うのがこんなにも下手なのに。

こんなにも好きなのに下手だなんて。辛すぎる。
だから好きでいることはやめる、と決断した。

自分は歌うことが
嫌いなのだと振り切るしかなかった。

……なんてケースの方、結構います。


何よりも多いのは
自分は下手だから歌ってはいけないんだ、
なんて自分に課した決まり事を
握りしめている方。



いやーーーーーーー
勿体無い…………………


そして
めちゃくちゃ共感………………

ありますあります。そういうの。
わたしにだって、ある。ある。

超絶、共感の極み。


異論反論あると思うけれど



わたしの持論。
この仕事を始めた頃に
必ず伝えていた言葉があって。

欠点直しはしない。と。

上から順に
長所、普通、短所というゾーンが
あると想定します。

以下をグラフだとか図に見立ててください。





          長所


__________普通__________


          短所



こんな風に。




この、普通というラインが
短所と長所を合わせ鏡のような
関係にするところなんです。

短所を叩いて叩いて持ち上げて
普通、に近づけたとします。

すると長所も同じように
縮んで普通に近づきます。

普通、短所を直したら
長所が伸びると思うかもしれないけど
そうじゃない、って
わたしは思っています。
これ、普遍的に。

ものすごい、しごかれても
情熱を持っていて
短所を長所にしたい!
っていうポテンシャルがあるのなら
話は別ですけれど

そもそもそんな方は
悩んではいないんじゃないかと。

突き抜けちゃっていたら
悩むことができなくなるから。


精神論でしょそんなん、というツッコミ


いや、
もちろん、普通の歌を歌いたい方向けの
プログラムも提供はしています。

でも、わたしが本当に伝えたい
本質はそこにはない。

だけど、お仕事だから
求められているものを提供します。
できます。


発声練習したり
間違っているところを直したり。



でも………それでいいのかな〜



♪~<(゚ ε゚ )>


普通にうまい歌、本当に
歌いたいんですかねぇ〜〜

♪〜〜~<(゚ ε゚ )>


ってやっちゃう。

だって!そうじゃん!!
そんなの機械に歌わせれば間違いないのに。


機械の方が音程もリズムも適確に
外さずに歌えるんじゃないですか…

なのに? 

人間が機械みたいに歌うの?
機械の方が正確に歌えるのに?

間違えないように歌う歌って
そんなの…

さみしい。


歌いたい歌を歌おうよ。

歌いたい歌を歌って、音程外れちゃったんなら
もっと無我夢中になれれば外れなくなるから。
音を外せなくなるから。

間違えないように歌うよりも
歌いたいように歌って
音外しちゃったりしたほうが
絶対うたごころが育つから。

鼻息荒らげちゃうよ。
いつもレッスンで。

This isサガ。性分。

欠点叩きは、自分叩き


欠点を直したら長所も直っちゃう。
つまり全て普通になっちゃう。

普通の歌が歌いたい人は
それでいいと思います。

でも、わたしは
普通の歌じゃなくていい、って思うんです。

強制して直すなんておかしい、って。

もう既に今の自分のままでいい、と
思えると変化変容が始まっていく、と。

じゃあ、普通って何?
下手じゃない歌ってどんなもの?

音程が外れていなくて
リズムも外れていない。
声も裏返ったりしなくて
滑舌も悪くない。

そんな、普通の歌。



そんなの、あなたじゃなくたって
歌えるじゃん、って。

あなたにしか歌えない歌は 

音程が外れていようが
リズムも外れていようが
声も裏返ったりしようが
滑舌も悪かろうが
それがあなたの歌なんだ、と 

まず思えたところから
その欠点だと思われていたものが
個性に変わっていく。

しかも直そうしなくなったら
勝手に直っていく。
何故なら分離していないから。 

直そう直そうとしている時は
自分を全体性を持って見ていない。

ここはだめ、それは良い、と
自分を切り取って裁いて
切って貼って継いで、なんてやりだすと
囚われだす。

とにかく音と、歌と
何もかも一体になることを覚えたら
音程は外れなくなる。
リズムもは外れなくなる。

外しちゃいけない、なんて
囚われていた時のそれとは違う。

もう、外れたくなくなるんだから。
調和していないと嫌になる。
違和感になる。

伴奏と自分の歌うメロディに
分離があると
たまらない違和感が感じられるようになる。

ジャッジして止まるんじゃなくて。
「あ!外れた!戻りたい!」って。

そこで違和感を感じて諦めだすから
歌が下手とかいう思い込みになるけど
諦めたくなくなるから。

調和した気持ちよさを知れば。
調和し続けていることがデフォルトになる。

イマドキの歌には
適用しにくい考え方ですけれどね。
普通で無難な歌がウケてたりして。

例えば、忌野清志郎さんが
普通に上手に無難に歌ったら?

がならずに、裏返らずに
音程を外さずに、はみ出さないように
正しい発声法でお行儀よく………

それ清志郎さんが歌わなくて良くない?

サザンの桑田さんが
透き通るようなクリアな歌声で
無難に歌い始めたら?

そういうことを
やろうとしている人だらけなんです。

もしくは、すごくクリアな歌声が
持ち味なのに
誰かになりたくて、がなり出す。

そして、完成です。

自分ではない誰かになりたい人の
歌う歌声が。

そして、人に感動して欲しい。
上手いって言って欲しい、と
思いながら歌う人。

その人の歌は
人に感動してほしくて
上手いって言って欲しいと思いながら
歌っている人の歌。

です。

それ、誰が聞きたいのんって。

そして、そんな風に歌っていて
本当に本当に本当に
自分自身喜んでいるの?って。

しんどくない?って。

突き抜ける

歌の上手い人っていうのは
突き抜けているんです。

突き抜け続けてきたから
結果として技量もそこに伴ってきた
と、わたしは思うんです。

みんな清志郎さんになろうよ、
って事ではなくて。

要するに、欠点直しではなくて
長所を伸ばしていこうよって。

長所を伸ばすっていうか
自分を出していこうよ、って

自分を出すっていうか
自分の「本体」を出してこうよ、って。

「本体」です。


まぁ、話を戻して
欠点直しをせず長所を伸ばしていったら
勝手に欠点も持ち上がるんです。

直そうとしたら直らなかったのに。


欠点を直そうとする行為って
本当に人間的な作為そのものです。

雑草が邪魔だから除草剤撒いていたら
作物自体育たなくなっちゃった、みたいな。

理想論?いや現実、そうなんです。


まぁ、最初から音感が
優れている、優れていないとか
そういうものもありますけれど…

そこに囚われなかった人が
突き抜けていくんだと思うんです。

人の心を揺さぶる部分って
そこだと思うんです。
その突き抜けたもの。

それが声になり歌になっているから
心に響くんだと思います。

屈さない。諦めない。
というか「ない」ではなく
「ある」にフォーカスし続ける。

想いを放ち続ける、というそれ。

プロで歌手として活動している人だって
幼少期から飛び抜けて
歌が上手かったという人のみ、ではない。

じゃあ、何が違うのか。

うたごころを育て続けた。
ただ、それだけだと確信しています。

何にでも天性、とかそういうものもあるけれど
天性がなきゃ上手くなれない訳では無い。

うたごころを育てやすい
環境やマインドで生きられたかどうか
そこのみにかかっている、と。

じゃあ、環境悪かった人は
諦めなきゃいけないね、って
NOです。

ここからです。
育て直すんです。

というか、出すんです。
自分を。

出せば出るから。出てきちゃうから。
出さなきゃ出ない。引っ込んじゃう。

しかも…
すんごいんですから。

これまで埋もれていた分…
うたごころで歌い始めた時の
喜び、輝き、命。

自分の中に…
こんなの…あったんだ!!!!って
触れた時…

何の不自由なく育ってきた人とは
比べ物にならないほどの
喜びに触れることになるんです………

すごいですよ。昇天。


三つ子の魂百までも


3歳から歌い始めて
周囲から優しく扱われてきた人。

歌えば、上手ねと褒められた
周囲が喜んでくれた。楽しそうだった。

自分が歌うと良いことがある。
楽しい、嬉しい。気持ち良い。

………という環境で10年生きる。

うたごころ、10年育ちます。
そうやって、ずっと生きていく。
そんなん、良い歌を歌う人に決まってますよね。


一方、歌い出すと笑われる。
音程をはずすな、と言われる。
周りから酷い扱いを受ける。

もしくは、周りからは
そんなに酷い扱いは受けなかった

でも、自分で自分に対して
酷い扱いをしていた。

歌い出すと脳内に行き交う言葉
「変な声…」
「きも〜…!」
「下手くそだな〜…!」
「よく恥ずかしくないもんだねぇ」
「自分は下手だと気づいたほうがいいよ」

なんて。

そんな状態で10年行きた。
そりゃ、うたごころ枯れますって…。

そして、10年どころか…
実年齢分の月日なんですから。

歌が下手とか、結果を見すぎないで
まず、このうたごころを育てたいんです。

枯れていたとしても生きてはいるから。

だって、素敵な音楽を聴けば
感じるものがあるでしょう。

それは、うたごころに響いているから。

自分の内側にあるものに響くものを
「好き」だとか、何かしら感じるんです。

歌うんです。うたごころで。


その10年育てたうたごころで歌う歌。
すごいんですから。
ナメたらあかん。

本当に素晴らしいものを持ってるの。

苦笑いしてしまう


こうやって文字にして並べ立てると
理想論めいて伝わってしまう
かもしれないるなぁと苦笑いですが

実際レッスンでこの通りの内容をやると
本当に見違えて誰でも歌が輝き出します。

今の自分ではダメだから
この自分を捨てて、
新しく素晴らしい自分を仕入れたい、という
思いではなくて

今の自分のまま、そのままで
よかったんだ…というところから
初めて、うたごころが生き始める。

その、うたごころで歌うんです。


じゃあ音痴はどうするのさ


歌で音程を外す人は
伴奏と歌を分離して捉えている。

大縄跳びの縄が伴奏で
飛んで入る行為を歌だとすると

自分の足の運び方、飛び方など
自分の動きばかり気にしていて
縄の動向を捉えていないと
飛ぶことができない。

リズムがわからない。
リズムと調和していない。


水族館で、一斉に魚の群れが
右方向に泳いだり左方向に泳いだり…と
やっているあれだって

「自分はどんなふうに動こうかな…」
なんてやりだした途端
群れから外れて動き出すだろう。

リズムに乗っている。調和している。
全体と一体になっている。


歌だってそうだ。
イントロが始まって、歌い出しまでの間を
「えっと、サビは…ア、ア〜」
「出るかな、あの高い所…」

なんてシンキングタイムに使っちゃって。

カラオケで歌う時も
採点機能を使って、画面の上部には
メロディの高低を示すガイド(棒状の)
あれを見て、あれに合わせて
あれを外さないように歌う作業。

はい、出ました作業。

カラオケの歌詞の色が
変わるのを見ながら、そのタイミングに歌う。
歌なのに。
耳で聴いて合わせずに。
目で見て合わせて歌っている作業。

はい出ましたこれ、作業です。

不安や恐れに基づいた行動によって
身体を動かす。運動。体操。

体操みたいな歌。
どうですか?体操みたいな歌。
軍歌でしょ、それ。

軍歌も軍歌で味があります。
いいんです、あれはあれで。

でも、軍歌を上手に歌えるように
なりたくてレッスンに来た人は
ひとりもいなかった。これまで。

もっと伸びのびしていいんです。
伸びのびすると音程が外れてしまうのなら
調和していないから。

伸びのびと歌ったら失敗するなんて
思い込みがあるのなら、大丈夫。

伸びのび歌っても失敗しないから。

伸びのびと。調和する。
それだけで十分です!
それができれば育ってる。

うたごころがあれば大丈夫。


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