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掌編小説|『エイプリルフール』

 例年より早めの桜が咲いた、三月の終わり。

 春休み中に自宅でゲームをしていたら、机の上の携帯電話が鳴った。見覚えのない番号だったけど、出てみたら聞き覚えのある声がした。

「澤田です。これって柿山くんの番号だよね?」

「澤田って、あの澤田さん?」

 誰なのかはすぐにわかったけど、あまりに想定外な相手だったので、僕はしどろもどろになって聞き返してしまった。

「あなたの隣の席にいた澤田です、って言えばわかるかな?」

 電話の向こうでクスクスと小さな笑い声が聞こえた。どうやらこちらがテンパっていることを悟られてしまったらしい。でも僕が動揺するのも無理はない。何故なら今話している電話の相手は、あの澤田莉愛(さわださりあ)なのだ。

 つい先日まで同じクラスだった澤田さんは、僕にとって高嶺の花のような存在だった。彼女はいつだってクラスの中心的存在だったし、社交的かつ明るい性格で運動神経も抜群。噂ではファッション誌のモデルもしているらしい。

 そんな澤田さんと陰キャである僕との間には、くじ引きで席がたまたま隣同士になったこと以外、どこを探しても接点など見つからなかった。無論、電話番号を交換した記憶もない。だからこんなありえない展開は夢か幻、ラノベかゲームでなければ説明がつかなかったのである。

「ごめん。僕の番号を知らないと思っていたから」

「甲野に聞いちゃったんだけど、迷惑だったかな?」

「いや、全然そういう意味じゃなくて。驚いただけっていうか……」

 そういえば甲野くんとは、授業でグループ作業をするとき同じ班になったことがある。その際にお互いが連絡を取れるように、電話番号を教え合ったんだっけ。

 でも甲野くんはイケメンでサッカー部のエース。さらに女子人気の高い陽キャで、僕とは住む世界が違っていた。澤田さんの周りには、いつだってそんな上級職の人たちが集まっていて、魔王を倒せる勇者ご一行様のような最強パーティを形成していた。

「今から会って話せないかな? ちゃんと面とむかって柿山くんに伝えたいことがあるの」

 電話の向こう側で澤田さんが照れくさそうな感じで言った。無論、憧れの女子にそんなことを頼まれて渋る男子など、この世にいるわけがない。僕はすぐに了解して、待ち合わせ場所の学校へとむかった。

 もしかしたら澤田さんに、好きだと告白されるかもしれない。

 これまでの経験上、冴えない自分にそんなラブコメのような展開がある筈もないことは、重々承知しているつもりだった。それでも淡い期待を捨てきれないまま歩いていると、校門ですれ違った生徒たちの会話の声が僕の耳に飛び込んできた。

「今日はわざとらしいフェイクニュースが多いな」

「エイプリルフールだからだろ?」

 そういえば、今日は四月一日だ。年に一度だけ嘘をついても怒られない特別な日。きっと彼らはネットニュースの記事や投稿サイトの動画を見て話題にしているのだろう。

 あれ、ちょっと待てよ。

 僕はここにきて、澤田さんに呼び出された理由が、なんとなくわかってしまった気がした。

 澤田さんはネットの動画サイトに自分のチャンネルを持っている。彼女が投稿している動画の内容はゲームの実況やコンビニ商品の食レポ、時には知り合いにドッキリを仕掛けるなど、いつもいろいろな企画に挑戦していた。

 彼女のチャンネルはこの一年で視聴者をどんどん増やし、今や動画を投稿する度に一万回以上の再生数を叩き出していた。そして最近投稿した動画の中で彼女は、「エイプリルフールにドッキリ企画を考えている」と宣言していた。

 つまり僕はその企画のターゲットとして、きっとこれから澤田さんにエイプリルフールのいたずらをされるのだ。僕の電話番号を教えた甲野くんもグルなのだろう。それなら、この信じがたいイベントが起きている理由にも合点がいった。

 だからといって、今さら引き返すつもりはなかった。ドッキリ企画のターゲットにされるのならそれも本望。自分が面白おかしく騙されて澤田さんの動画に貢献できるのなら、喜んでこの身を捧げようと覚悟を決めた。

 その数分後。僕は誰もいない中学の校舎裏で、澤田さんに愛の告白を受けた。

「今まで言えなかったんだけど、前から柿山くんのことが好きだったの。それに本当は席替えのとき隣に座りたくて、他の子と引いたくじを交換してもらってたんだよ」

 澤田さんの演技はあまりに完璧で、エイプリルフールだと気づいていなかったら、完全に騙されるレベルだった。

 僕の使命は、この演技を受け止めてちゃんと騙されることだ。なにせこうしている間にも、撮影用のカメラがどこかで回り続けているのだろうから。

「うれしいよ。僕も澤田さんのことが好きだったんだ」

「ホントに?」

 エイプリルフールの企画とはいえ、澤田さんに自分の気持ちを素直に伝える機会ができたので僕はうれしかった。演技は下手だけど、澤田さんを好きだという気持ちに嘘や偽りはなかった。

 そのとき、近くの植えこみがガサッと音を立てて、茂みの奥から甲野くんが姿を現した。告白されて数十秒で早くもネタばらしかと思ったけど、その手に撮影用のビデオカメラやスマホは握られていなかった。

「澤田、今のってもちろん冗談だよな?」

 甲野くんは僕に「ドッキリ大成功」と宣言することもなく、眉間にしわを寄せたまま澤田さんに詰め寄った。

「ちょ、ちょっと。なんで出てきちゃったのよ?」

 甲野くんの登場に少しあわてたものの、澤田さんはすぐに言い返した。その口ぶりからして、やはり彼女は甲野くんが隠れていたことを知っていたみたいだった。

「それよりも、これがどういうことなのか、ちゃんと説明してくれ」

「説明もなにも、証拠を見せろって言ったのは甲野でしょ?」

 理由はわからないけど、二人は揉めているみたいだった。

「あれは俺を振るでまかせだと思ったんだ。だって今日はエイプリルフールだろ? それにおまえが告白した相手は……クラスのド底辺じゃねぇか」

 クラスのド底辺。甲野くんが僕を指さしながら遠慮なく叫んだ。以前からその自覚はあったものの、いざ他人に言われるとショックが大きかった。

「甲野の気持ちに応えられなくてごめん。でも私は本気なの」

 澤田さんが甲野くんを寂しげな表情で見つめながら呟いた。

「だってどう考えてもコイツなんかより俺の方が……澤田、マジで言ってんのかよ?」

 甲野くんの振り絞るような問いに、澤田さんは無言で頷いた。とたんに彼の顔が悲しげに歪んで、すぐに怒りの表情へと変化した。

「くそ、バカバカしくてやってられるか!」

 甲野くんが悪態をついて姿を消した後、澤田さんは僕に向かって深々と頭を下げた。

「こんなことになっちゃって、本当にごめんなさい!」

 それから彼女は茫然としている僕の手をぎゅっと握りしめ、真剣なまなざしになった。

「じつはさっき、部活中に呼び出されて甲野に告られたの。でも他に好きな人がいるからって断ったら、証拠を見せろって言われて。本当にあなたのことが好きなら、今すぐにでも告白できるだろって!」

***

「つまり彼女の告白は、エイプリルフールの企画とは関係がなかった。そういうことですね?」

 昭和の佇まいが残る古びたカクテルバーの一角で、黙って話を聞いていたほろ酔いの男性が、僕に澤田さんの真意を確認した。

「はい。信じられないかもしれませんが、おっしゃるとおりです」

「なるほど、それはじつに興味深い。いやいや、話の腰を折ってしまって失敬。続きをお願いします」

 そこにバーテンダーが顔を出して、男性に伝票を差し出した。

「あのお客さま。申し訳ありませんがそろそろ……」

「もうそんな時間か。時の流れというものはあっという間ですな」

「ええ、本当に」

 店内を見渡すと、さっきまで居たはずの他の客の姿がなかった。すでに会計を済ませて店を出ていったらしい。

 それにしても、どうして澤田さんみたいな子が僕に告白をしてくれたのか。その理由も最後まで語りたかったけど、閉店の時間なら仕方がない。

 喉を湿らす酒も尽きたことだし、この続きはまた来年、この酒場で話すことにしよう。何故なら今日は四月一日。こんな作り話を楽しく語って許されるのは、年に一度のエイプリルフールしかないのだから。

 話のネタなら他にもたくさんある。懐かしき中学の林間学校。夏祭りで試された勇気。嵐の中の放送当番。エトセトラ、エトセトラ。

 これらはどれも自分が体験した大事な想い出の断片だけど、物語の結末は現実と異なるし脚色されている。つまりはフェイクだ。無論、聞き手はそれがわかっていて傾聴しているし、物語の最後にはハッピーエンドを期待している。もちろん物語の中には事実も介在しているけれども、それがどれなのかを教えるのは野暮というものだろう。

 なお、古い時代の物語なのに最近の言葉が登場したりするのは、どうかご容赦いただきたい。なにせ今を生きる中年が、酔った勢いで昔を辿りながら語っているのだから。

 とにかく僕は、これからもハッピーな嘘を語り続ける。来年もエイプリルフールが訪れる限り、一杯おごってくれる人を見つけては、妄想に飾られた想い出話に華を咲かせるのだ。

 バーテンダーに次の来店を約束して、水辺にある小さな店を後にした。川の水面に映る桜が満開だったので、顔を上げて月と一緒に本物の桜の花びらを眺めた。

「桜も想い出も、散るほどに美しいということかな」

 川縁の風は春でも少し冷たい。すぐに酔いが冷めて現実に引き戻される。

 今週は仕事中に大きなミスをした。明日こそは挽回しなければいけない。携帯電話の時計を見ると、数分前にその明日が訪れていた。

 ザザザと風が吹いて、舞った花びらが顔を撫でた。もう終電はない。タクシー代がもったいないので歩いて帰ることにした。このまま川沿いに行けば、一時間もしないで自宅にたどり着くだろう。

 現実は世知辛い。だけどもしあのとき、本当に約束の場所に訪れていたら、僕と彼女はどうなっていたのだろう。やはりエイプリルフールの嘘だといって、僕は笑い者にされていたのだろうか。

 二〇二四年の春。夜空に浮かんだ白い月を眺めながらそんな想像を巡らせ、僕はすでに別の世界線で、次の物語の構想を考えてはじめていた。

おわり

最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。

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