掌編小説|『噛みつき魔(承の巻)』
さて、今から語られるのは、カザミという名前の麗しき女性と、彼女を好きになった哀れな吸血鬼……つまりは俺自身の物語だ。
吸血鬼が登場するからといって、本作は、血なまぐさいホラー小説でも、吸血鬼ハンターと死闘を繰り広げるアクション巨編でもない。だから陰惨な人殺しやグロテスクな展開を懸念している方は安心してほしい。そしてそれを期待していた方はご容赦いただきたい。
さて、本題に入ろう。
十年ほど前、俺と姫君であるカザミは「血の契約」を交わした。「血の契約」とは、カザミが望む限り解除することができない、永遠の拘束力を持った約束だ。元々はお互いの合意の元に結んだ契約だったが、今の俺にとっては身を引き裂かれるほどに辛い、運命の楔になってしまった。
ちなみに「血の契約」にまつわる俺とカザミのせつない事情については、前作をご覧いただきたい。俺はこの契約のせいで永遠の命を持ちながらその自由を奪われ、毎日のように棺桶の枕を涙で濡らし、孤独な夜を過ごしているのだから。
そんな俺の元に朗報が舞い込んだのは先日のこと。なんとカザミがハンサムな恋人と喧嘩したというのだ。
いつもの放課後、月に一度の「血の契約」を果たすために漫画喫茶の個室で待ち合わせると、カザミはこちらの顔を見るなり、鬼のような形相で俺の右腕に噛みついた。
「痛たたたたっ! 八つ当たりはやめろ、カザミ! やめないか!」
「あんな男は東京湾でおぼれて、サメのエサになっちゃえばいいんだ!」
噛みついた腕にくっきりとした噛み跡を残した後も、カザミは延々と自分の恋人を罵り続けて、俺を相手に鬱憤を晴らそうとした。
聞けば喧嘩の原因は浮気だという。カザミの恋人はリュートという名前で俺たちとは別の高校に通う生徒だ。どうやらリュートは、自分の学校でも新しい彼女を作ってしまったらしい。
「ならばこの俺がそいつの血を吸いつくしてやってもいいぞ。東京湾に沈めるのはミイラになってからでも良かろう」
「余計なことしないでよ。あなたには関係ないでしょ?」
仕返しをしてやろうと提案したのに、なんたる言いよう。関係がないのであれば、腹いせで俺の華奢な腕に噛みつかないでほしいのだが。
ともかく俺はカザミを慰めるフリをしながら、このまま二人が別れてくれればいいのにと思っていた。
薄暗くて狭い漫画喫茶の個室の中、カザミはプンプンと怒りながら下着姿になると、いつも通りソファの上で胡坐をかいている俺にまたがり腰を下ろした。
「こうなったらもっとキレイになって、あいつをギャフンと言わせてやる。だから今日はいつも以上にたくさん吸ってよね」
「しかし『血の契約』は吸った分だけ美しくなれるというシステムではない。吾輩が協力できるのは、そなたの老化を止めることだけだが……」
「そんなこと言われなくてもわかってるわよ!」
「そ、そうか……」
不死身の吸血鬼が淑女の生き血をごちそうになる。本来ならこの儀式はもっと厳かな場所で粛々と行われるべきなのに、俺は一体なにをやっているのだろう。
釈然としない気持ちのままカザミを抱き寄せると、俺は白磁のような彼女の滑らかな肌に優しく牙を沈ませた。
それから時間は経ち、三日後の金曜日。
終業のチャイムが鳴って放課後になると、カザミはあわてて鞄を手に取り、わき目も振らず学校から出て行ってしまった。
リュートと会う約束をしたらしい。昼休みに教室で友達に「今日は浮気男と会ってくる」と言ってるのを立ち聞きしたので間違いなかろう。
無論、ずっとそのことが気になっていたので追いかけることにした。今が昭和なら純朴な高校生の行き過ぎた行動で済むのだが、現代のコンプライアンスに基づけば、これは立派な犯罪。いわゆるストーキング行為であった。
カザミは電車で二駅ほど移動すると、駅近くにある喫茶店に入った。それから誰もいない窓際の席に座ってスマホをいじり出す。俺はその様子を外から見守ることにして、彼女の目に触れない場所へと身を隠した。
間もなくして、一人の男子生徒が近づいてきてカザミに声をかけた。俺とは違う高校の制服。カザミに見せられた写真と同じ顔。加えて俺とは比べ物にならないほどのハンサムガイ。リュートに違いなかった。
リュートはヘラヘラしながらカザミの向かい席に腰を下ろすと、なんの前触れもなく彼女の手を握りしめた。
おい、浮気しておきながらカザミに気安く触れるんじゃない!
俺は心の中で張り裂けんばかりの声を出して吠えた。ムッとしていたカザミもそんな彼の行動に驚いたらしく、戸惑いの表情を浮かべた。
続けてリュートはカザミの手を握りしめながら、彼女に何かを語りはじめた。無論、この場所からでは声が聞こえないので、俺は吸血鬼の特殊能力を使って聞き耳を立てた。こうすれば距離や壁がどんなにあろうとも、遠くの音を聞分けることができるのだ。
「カザミちゃん、本当にごめん。でもこれだけは信じてほしい。僕が本当に好きなのは君だけなんだ」
聞こえてきたのはリュートの弁解だった。それから彼は三十分以上もの間、自分がいかにカザミを好きであるかを語り続けた。
はじめは眉間にしわを寄せていたカザミの険しい顔もやがては解けてしまい、気が付けばいたずらっ子を優しく見守る母親のような表情になっていた。
「わかったよ、じゃあ今回だけは許してあげる。でも次はないからね」
窓の向こうで、カザミがリュートにむかって言った。
ああ、カザミはなんてお人好しな子なんだろう。俺は彼の言葉を信用してなどいなかった。理由は簡単だ。女性を裏切って簡単に浮気をするような男は、どの時代も大嘘つきだって相場が決まっているからだ。
だから俺は、吸血鬼の能力である読心術を使って、リュートの心の中を覗いてみた。
すると予想通り、リュートは今でも浮気相手と付き合っていた。
それどころか彼には、カザミと浮気相手以外にも恋人が複数存在していた。その上、彼がこの場につけてきた腕時計は、別の彼女から貰った贈り物だったのである。
大悪党の詐欺師め。口八丁でカザミを騙せたとしても、この俺を騙すことなどできないぞ!
俺は興奮して喫茶店に乗り込み、店員の案内を断ってカザミたちに近づいた。二人がいるテーブルまでたどり着くと、ちょうどカザミがリュートの腕時計を指さしながら、「それかっこいいね」と褒めているところだった。
「カザミ、そんな奴と付き合ってちゃダメだ!」
「どうしてあなたがここにいるのよ?」
俺に気づいたカザミが目を丸くして聞いた。しかし俺は質問に応える代わりに、にっくきイケメン男を睨みつけた。
「おい、そのかっこいい時計は誰から貰ったものなんだ?」
「誰だお前? っていうかこの人、カザミちゃんのお知り合い?」
リュートが汚物を見るような目で俺を一瞥してから、カザミに聞いた。
「えっと、この人は……その……」
カザミが言葉に詰まっていると、リュートはなにかを思いついたかのように頷いてから、意地悪そうな顔をして口を開いた。
「なるほど。これはつまり僕に対する嫌がらせだね。浮気された当てつけに、自分も新しい相手を見つけてきたってわけか」
ちゃんちゃら可笑しい。まったくの誤解である。こいつはなにをもって、そんなバカげた発想に行きついたのだろう。カザミがそのような真似をする女性でないことは、吾輩が一番よく知っていた。
「ち、違うよ。そんなわけないじゃん!」
「それにしてもさ。もう少しマシな奴を調達できなかったの?」
「えっ?」
「こんなブサメンのダサ男を連れてきたくらいで、この僕が嫉妬するとでも思っていたのかな?」
リュートがため息交じりに、いやらしい笑みを浮かべながら言った。それは吸血鬼を侮辱するには十分すぎるほどの下品な振る舞い。しかしカザミに報復を禁止されていたので、俺は牙を食いしばって彼の喉笛を噛みちぎる蛮行を我慢した。
「まぁでも、君がこんなことをしたのは、元を正せば僕の浮気が原因だからね。カザミちゃん、許してくれ。僕は本当に心の底から反省しているんだ」
リュートが再び謝って彼女の手を握ろうとしたとき、カザミがその手を振り払って立ち上がった。それから腕時計を付けている彼の腕を掴むと、勢いに任せてその前腕に噛みついた。
「うぎゃあああああ!!」
店内に響き渡る悲鳴。カザミは口を離して涙を浮かべているリュートを確認すると、満足そうな表情を浮かべた。
「どうせこの腕時計も浮気相手にもらったんでしょ? でもあなたみたいな嘘つきには、その歯型の方がずっとお似合いよ!」
ぼう然としているリュートを残したまま、俺はカザミに掴まれて喫茶店を後にした。カザミは駅に向かう間、ずっと沈黙したまま話そうとしなかった。
「急に乗り込んでしまって……申し訳ないと思っている」
この重たい空気をなんとかしたくて声をかけると、前を歩いていたカザミは振り返りもしないでつぶやいた。
「ストーカー行為は犯罪だって知ってるよね?」
「無論だ。できれば通報は勘弁していただけないだろうか……」
「バカね、あなたが逮捕されたらこの先、誰が私の血を吸ってくれるっていうの?」
「よかった……許してくれて恩に着る」
「誰も許したなんて言ってないけど」
「えっ、そうなのか?」
「まぁでも、あの男の本性を暴いてくれたから良しとするか……」
カザミの機嫌が少しでも回復したように見えたので、気になっていたことを聞いた。
「それにしても、どうして最初はあいつを許していたのに、途中で気が変わったんだ?」
普通に考えればその答えは、「おい、そのかっこいい時計は誰から貰ったものなんだ?」という俺の匂わせ発言で、あの腕時計が浮気相手からの贈り物だと勘づいたからだろう。なにせカザミは、俺が読心術使いであることを知っているのだ。
でもじつのところ、俺は心の中で妄想に近い別の答えを期待していた。もしかしたらカザミはあのとき、リュートが俺をバカにしたからそれに腹を立ててくれたのではないかと。
「う、うるさいな! 別にいいじゃん! あなたには関係でしょ!」
するとカザミは顔を真っ赤にしてそう吐き捨て、一人でスタスタ歩いて行ってしまった。
その夜、ラブコメの漫画やラノベが好きな俺は、あのときの彼女の言動を都合よく解釈したくて、十字架を手に天を仰いで神様に祈った。
「どうかカザミが、漫画のヒロインのようなツンデレ属性でありますように……」と。
おわり
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
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