掌編小説|『ふしぎな夢』
このところ、毎日のように、ふしぎな夢を見ている。
最初は見知らぬ女性が目の前に現れて、魅力的な笑顔で僕に話しかけてきたところで目が覚めた。それからは眠る度に彼女の夢を見るようになり、僕たちはこの現ならぬ世界で、二人きりの時間を過ごすようになった。
夢の舞台は決まって、今住んでいる場所の近所にある夜の公園だった。僕はブランコに乗っていて、隣を見るといつも彼女がいた。そして目が合い、「また今夜も会えたね」とほほ笑んでくれるのだ。
現実の世界で奥手な僕にとって、これはまさに夢のようなシチュエーションといえた。ところが僕は夢の中でも冴えない性格のままで、ほほ笑む彼女を前に、はにかむことしかできない。あげくには名前さえ聞けないまま目が覚めて、毎朝もどかしい思いをしていた。
◇ ◇ ◇
その日、僕は同窓生の鈴木と会う約束をしていた。
鈴木は学生時代から女子に人気があってモテる男だった。だから彼に相談すれば、なにか良いアイドバイスがもらえるのではないかと思ったのだ。
とはいっても、彼とは高校卒業以来一度も会っていないし、学生時代も特に仲が良かったわけでもない。
しばらくはこんな形で連絡を取って良いものか迷ったものの、僕には他に相談できる友人がいなかった。そこで思い切ってメッセージを送ってみたところ、たまたまお互いの住所が近いことが判明し、近所の喫茶店で会う算段になったのである。
「本当はもっと彼女のことが知りたいのに、名前すら聞けてないんだ」
恥ずかしさを堪えて悩みを打ち明けると、鈴木は呆れて言った。
「恋愛相談だと思って来てみれば、夢に登場する女の話なのか?」
「彼女は毎晩のように現れるんだ。これはどう考えても普通の夢なんかじゃない。君もそう思わないか?」
「はっきり言うけど、ぜんぜん思わないね」
恥を忍んで話しているのに、人をバカにしたような彼の態度に腹が立った。けれど揉めても仕方がないので、「とにかく相談に乗って欲しいんだ」と頭を下げた。
「夢の中ならなんでもありじゃないか。名前なんて聞いている暇があったら、遠慮なく押し倒しちまえばいいんだ」
この男はなにを言っているんだ?
彼の野蛮な意見に僕は愕然とした。どうやら相談する相手を間違えたらしい。彼には以前から女性関係における悪い噂があったけど、こんな話を聞くとその評判は正しいように思えた。
「じゃあ行くわ。これから久しぶりに彼女とデートなんだ」
「わざわざ来てくれてありがとう」
さっさと店から出ていく鈴木の背中にお礼だけ言うと、僕は打ちひしがれた気分で伝票を手にして立ち上がった。
◇ ◇ ◇
帰宅したその夜、またあの女性の夢を見た。しかし彼女は僕の顔を見るなり、気まずそうにして告げた。
「今日、貴方のお友達とデートをしたわ。その人と付き合うことにしたの。だからもう会わない方がいいと思って」
「僕の友達って誰のこと?」
「今日の昼間、貴方が会った人のことよ」
そんなバカな。じゃあ鈴木のデート相手はこの子だったというのか?
夜中に目が覚め、僕は怒りに身を任せて彼のアパートに向かった。
冷静に考えれば誰でも分かるのに、何故かこのときは夢と現実の区別がつかなくなっていた。だから僕はまるで自分の恋人を横取りされたような気持ちになっていたのだ。
鈴木のマンションに到着して玄関のチャイムを鳴らした。部屋が明るいのに出てこないので、今度は玄関をドンドンと激しく叩いた。やがてドアが少しだけ開いて、彼が顔を出した。
「こんな時間になんの用だ?」
露骨に不機嫌そうな彼の背後には、ベッドで毛布に包まりながら素肌を隠す女性の姿が見えた。
紛れもなく、夢の中で会っていた彼女に違いなかった。
◇ ◇ ◇
「大事な女性を盗られたと思って、ついカッとなってしまいました」
取調室の中、僕は担当の刑事にこれまでの事情を話していた。
「夢の中に現れた女を盗られたなんてばかばかしい。それに彼女はずっと前から、君が殴った友人の恋人だったそうじゃないか」
「本当に知らなかったんです。たしかに夢の登場人物が現実に現れるわけがない。僕がどうかしていました」
「じゃあ今は一応、目が覚めているというわけだな」
「彼に申し訳ないことをしたと思っています」
僕はあの後、パンツ一丁の鈴木に殴りかかって揉み合いになった。それに気づいた近所の人が通報して、僕は駆けつけた警官に取り押さえられた。
幸いにも鈴木に怪我はなかった。警察署に連行された僕は少しずつ冷静さを取り戻し、自分がどれだけバカげた行動を起こしたのか痛感していた。
◇ ◇ ◇
その頃、別の部屋では、若い刑事が被害者の恋人に事情聴取をしていた。
「あなたの恋人を殴った男とは面識があったんですか?」
「いいえ。でも夢の中では会っていました」
「夢の中で?」
「浮気された仕返しをしてやろうと思ったんです」
「えっと……それはどういうことですか?」
刑事が頭をかきながら聞くと、彼女は「なんてね、冗談ですよ」と言って小さく笑った。
◇ ◇ ◇
明け方まで絞られ、疲れ果てて帰宅した僕は泥のように眠った。するとまた、夢の中に彼女が現れた。
「また来ちゃった」
「どうして? もう僕とは会わないって言っていたのに」
「お礼が言いたくて。昨晩はあの人を殴ってくれてありがとう」
「えっ?」
「彼って浮気性なの。おかげでせいせいしたわ」
彼女が現実で起きた出来事を語り出したので、僕は言葉を失った。
「じつを言うとね。私には他人の夢に入り込む特殊な能力があるの。でもまさか貴方が彼の知り合いだったなんて知らなかったわ」
急にそんなことを言われても信じられなかった。だけどこれが事実なら、僕が現実と夢との境界線を見失った理由も、少しだけ説明がついたような気がした。
「私たちって気が合うみたい。だからこれからも夢の中で会いましょうよ」
「でも君には恋人がいるじゃないか」
彼女はブランコから立ち上がると、後ろから僕の背中をぎゅっと抱いた。
「でも夢の中なら話は別。ここで貴方が私にキスを迫ったとしても、誰も咎める人はいないでしょ?」
彼女からの淫靡な誘い。どうやらこの子も奴と同じような野蛮人らしい。それともこれはやっぱり夢で、僕の未練がこんな形で彼女を召喚してしまったのだろうか。
だとしたらとても恥ずかしい話だ。それにもしこれが現実の延長線だとしても、僕は彼女と決別する覚悟を決めた。
「君と会うのはこれでやめにするよ。さようなら」
この日以来、彼女が夢に現れることはなかった。少し寂しい気もしたけど、これでよかったのだと自分に言い聞かせた。
この件で僕は大いに反省し、奥手な自分を変えていこうと心に誓った。それでも現実で女性に声をかける勇気はなかったから、まずは夢の中で別の女性を見つける努力を始めることにした。
おわり
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
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