シーサーペントに少年たちは本当に食われたのか!?ペンサコーラ事件とは?
シーサーペント(Seaa Serpent)。神話の時代から世界中の海で恐れられているUMAです。その姿は、名前が表す通りの巨大なヘビから未知の巨大な哺乳類やイカ・タコのようなものまで様々な形状があります。目撃例は中世より現代まで続いており、その件数は膨大なものになっています。
しかしシーサーペントによる直接的な人類への被害は神話や伝説を除きほとんど存在しません。これは目撃場所に関連するものかもしれません。というのは洋上で発見した場合、発見者たちの乗っている船舶は沖を航行していることが多いので、それなりの大きさがあります。
シーサーペント本体は望遠鏡や双眼鏡などを使ってかなり離れた位置から発見されています。陸地から観察した場合も同様に、ほとんどの場合は彼らからは相当な距離を置いています。こうしたことから、シーサーペントによる人類への直接的な攻撃というのは少ないのだろうと考えられます。
ただ皆無ではありせん。
今回紹介するアメリカ合衆国のフロリダ州ペンサコーラで起きたシーサーペントによる襲撃事件は表題の通り、とてもショッキングな事例です。
事件のあらまし
事件が起きたのは1962年3月24日。場所はアメリカ合衆国のフロリダ州ペンサコーラ(Pensacola)。フロリダ州の付け根にあたる北西部の町です。現在は美しい海と海岸に恵まれ有数の人気観光スポットとなっています。ダイビングスポットとしても人気の場所で、多くの魚が集まっておりダイバー垂涎の場所になっています。
1962年3月24日。事件の当事者となった5人の少年たちは、沖合にある沈没船USSマサチューセッツに手漕ぎゴムボートで向かいました。快晴で絶好の海日和に素潜りをしに行こうとしていたのです。目的地で素潜りを楽しんでいると、突然の嵐に見舞われ、彼らは風雨や波に翻弄されたあげく、嵐が止むと濃霧の海に取り残されてしまいました。そして悲劇が始まりました。
視界の効かない濃霧の海の中から、3mを超える電柱の様なものが現れ、シュッ、シュッという威嚇音とともに少年たちの方に向かってきました。間近で見るそれは電柱ではなく怪物だったのです。電柱の様な首の先にはウミガメを細く鋭角にしたような頭があり、楕円形の緑色の眼と広げた口の中にはズラリと歯が生えていました。
パニックになった少年たちは持ってきていた足ヒレなどの装備を身に着け、我先にと海に飛び込みましたが、怪物は彼らを一人づつ襲い食らったのでした。翌日、唯一の生き残りとなったエドワード・ブライアン・マクレアリー氏(Edward Brian McCleary)は近くの海岸で発見され、病院に搬送され一命を取り留めました。事件については氏の口から語られたものです。その後、1週間ほどして一人の少年の遺体が発見されましたが、残りの3名については行方不明のままです。
以上がペンサコーラのシーサーペントに関する事件のあらましです。まさに怪獣映画に出てくるシーンそのものの内容です。はたしてこの事件は本当に起きたものなのでしょうか。
事実の確認
まず最初の確認事項として、当日、5人の少年たちがペンサコーラの沖で遭難したということは事実です。翌々日の1962年3月26日付の地元の新聞「オカラ・スター(Ocala Star)」に小さな記事ですが掲載されています。
記事の内容はペンサコーラで5人の少年の乗ったゴムボートが流され、4人が行方不明という事実と遭難した5人の少年の名前と年齢が載っています。加えて、生き残ったマクレアリー氏の証言と流されたボートが水中眼鏡と靴や足ヒレを載せたまま発見されたことも記述されています。マクレアリー氏の事故に関する証言も載っており、それによると「彼らが素潜りをしていた時、潮の流れでボートが流され始め、波でボートが転覆した。ブイにボートを繋ごうとしたが失敗したので、諦めて陸に向かって泳いで行った。」というものでした。シーサーペントについてはこの記事では一切触れられていません。
話の出どころは?
で はシーサーペントに襲われたという話はどこから出てきたのでしょう?
これは地元の新聞「ペンサコーラ・ジャーナル紙(Pensacola Journal)」と「プレイグラウンド・ニュース紙(Playground News)」に掲載された「My Escape From a Sea Monster」とい題名の手記と、ネッシー研究で有名なT. デインスディール氏宛に送られた書簡の2つがあります。いずれもマクレアリー氏本人の手によるものです。内容についても大きな差異はなく、先の概略のような内容が書かれています。
二つの手記に大きな差異がないということは、シーサーペントの襲撃事件は事実だったのでしょうか。
検証
それについてはアメリカのミステリー関係の雑誌「フェイト誌(Fate)」が先の「My Escape…」の全文を載せたうえで、報告書としてマクレアリー氏の証言と客観的事実の相違について述べています。以下にその相違点を5つ挙げておきます。上はマクレアリー氏の証言。下は救助隊や警察等の発表によるものです。
相違 1. 逃げる時にそれぞれ足ヒレなどの装備を身に着けて逃げ出した。
発見されたボートには水中眼鏡や足ヒレが残されていた。
相違 2. マクレアリー氏は浜辺で発見された。
沈没船の砲台の上にいるところを海軍のヘリコプターにより発見され
救助された。
相違 3. 犠牲者たちは次々に怪物に食われた。
約1週間後に発見された遺体は溺死によるものだった。
相違 4. 怪物に襲われた最初の犠牲者はブラッド・レイス(Brad Rice)だった。
発見された遺体について、マクレアリー氏は「私の知る限り、遺体は
ブラッド・ライスだと確認した」と証言している。
相違 5. 逃げる際に足ヒレなどを付けて海に飛び込んだ。
発見されたボートから水中眼鏡や足ヒレが見つかっている。
これらの相違点をどう考えたらよいのでしょう?
考察
マクレアリー氏を保護及び治療をした海軍の医療センターによると、彼は8㎞以上の距離を泳ぎ、海中には12時間ほど浸かっていたと推測されています。また彼は重度の日焼けにも苦しんだとも記されています。
そうした過酷な体験と友人たちが亡くなったショックから、記憶が混乱し妄想を膨らましてしまったのでしょうか。あるいは本当に怪物が彼らを襲い死に至らしめたのでしょうか。
これについての意見は未確認動物の研究者の中でも意見が分かれています。肯定派の代表は T. デインスディール氏であり、否定派は未確認動物学の父と称される B. ユーベルマン氏です。
ただ残念なんことに、この事件の真相を知ることはできそうにありません。なぜなら、事件の唯一の生存者であり証言者でもあるマクレアリー氏はすでに鬼籍に入られたようですので。
シーサーペントによる人類への直接攻撃!
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