ジブリ最後の儀式に観客は贄(にえ)となった「君たちはどう生きるか」 感想・レビュー
エヴァの庵野監督に"自意識の井戸を掘ってもしょうがない"とまで言ってた彼は、死を前にして自らの補完を始めた。この映画は宮崎監督と鈴木プロデューサーによるジブリ最後の儀式ために、僕たち観客が贄(にえ)となって劇場へ足を運ぶことになった物語だった。
ネットでは事前に説教くさそうだとか言われていたが、そんなチャチなものではなかった。事前情報で冒険活劇ファンタジーと聞いてラピュタのようなものを期待した人たちは秒で振り落とされた。よっぽどの宮崎駿・ジブリ研究者でもない限り考察不能な設定とプロット。話のテンポが悪いとか演出衰えたとかそういうレベルの話ではない。物語をわかりやすく観客に理解してもらおうとする姿勢は早速放棄されていた。これまで「子供たちに希望を見せたい」と言っていた彼は、本作では物語の一部として縮退していて、遠慮のない絶望が描かれていた。
僕は本作は人間に向けて作った作品のようには思えなかった。それは神とか世界とか個人より大きな存在に向けた祈りや詩に近く、死を前にした彼がそれらの前で自身を完全に述べるために、過去作品で稼いだブランド・期待値・信頼・人脈・観客のお金にいたるまで、ありとあらゆるものと引き換えにして表現しようとしたものに感じた。おそらく鈴木プロデューサーも彼の計画に乗ることにしたのだろう。ジブリパークなどの最近の商業路線もこのためだったのではとさえ邪推してしまう。こんなすべてを投げうった自主制作映画は見たことがない。作品の隅々にまで死と自己愛が漂う。宮崎駿に誰も何も言えなかっただろうし、むしろ、何も言わなかったのだろう。逆に言えば「ジブリとは一体何だったのか」を本気で知るためには、この映画は彼の死後も絶対に見なければならない一級資料になるはずだ。
正直、僕は宮崎監督が全裸になってくるとは思っていなかった。事前情報がまったくなかったこともあり、完全にノーガードで食らった。見ている途中から激しく動揺した。いや、「君たちはどう生きるか」というタイトルだし、自伝的だとも言われていたから、遠回しなお説教ぐらいは十分に覚悟していたのだ。それが、かろうじてファンタジー冒険活劇のフィルムで覆われてはいるものの、宮崎駿は完全な裸体で、もう何も隠そうとしていなかった。この点、エヴァンゲリオンの場合には、庵野監督が全裸で自分を描く人だとファンは分かっていたので、完結作であるシンエヴァンゲリオンを見るにあたって覚悟があった。しかし、本作は徹底的に事前情報が伏せられていたため、コアなファンであればあるほど、突然はじまった彼の全裸の吐露と補完の儀式をノーガードで見届ける形となった。僕が見たのは公開初日、しかも初回だったため、周囲はコアなジブリファンがほとんどだったと思う。エンドロールが終わった後は、みんな呆然としていた。
作品冒頭こそ、本田氏作監の本邦最高水準のアニメーションや久石譲の美しい音楽を見る余裕があった。しかし途中から、蛇口が開きっぱなしとなった宮崎駿によりスクリーンから彼の人生のメタファであろうキャラやら建物やらモチーフやらが彼が語りたいペースでどうどうと流れ出し、観客は必死にそれらを飲み込んで消化しようとするもお腹はパンパンになり、一様に苦しみはじめた。やがて最高の作画も音楽も儀式の贄になった。
作品中、彼を苦しめていたのだろう呪いの数々が(もちろん直接的にではないが)たっぷりと語られていた。あれだけ監督がこだわって描いていた人と森のテーゼも物語の一部として止揚されていた。いままでの宮崎作品で最後までリアリティのなかった「親子」が終始根幹として描かれ、宮「崎」吾郎と、宮「﨑」駿が描かれた。7/14公開日当日の金曜ロードショーなのが吾郎氏のコクリコ坂である理由も僕の中では回収された。そして宮崎作品で一貫して「毒を受け苦しみ、本音を語らない女」として描かれてきた「母」についても、本作ではついに直接的な言葉でその本音を叫ばせしめた。
そして、エンディングは衝撃だった。物語のクライマックスでインパクトによってジブリは崩壊し世界は再構築された。主人公が東京に戻ると言うと、そこで物語はぶっつりと終わってEDが始まった。観客は急停車した映画から転がり落ちていた。米津の曲が流れ、ロールには木村拓哉、あいみょん、柴咲コウほか豪華キャストの名前が流れたが、彼らも観客と同じ儀式の贄のように感じられた。僕は、ジブリ過去作にない異様な雰囲気のエンディングに驚き、せめてジブリお約束の最後の「おわり」の一枚絵を見ようと、ロールの終わりを待った。宮崎駿の辞世の句でも出るかと思っていた。しかしなんと、そのままスクリーンは黒くなり、シアターに明かりが戻った。作品の世界では主人公が東京に戻り、現実世界の僕たちはシアターから出ることになった。登場人物曰く、これから世界は火の海になるとのことだった。作品から「おわり」とは言われなかった。とんでもない後味だった。
さよなら、すべてのスタジオジブリの仲間たち。父にありがとう、母にさよなら、そして、全てのチルドレンに、おめでとう。
2023/7/19 もう少し具体的な解説を書きました。 これを読んでからもう一度「君たちはどう生きるか」を見てほしい