カサブタ
山奥の無人駅。私以外には誰もいない。時刻表の、一時間に二本ずつしか列車が通らないことを示す数字が、掲示板に浮いた錆と共に、この土地の中途半端な淋しさを物語っていた。
待合の、コの字型に配置された木製のベンチの端に腰掛ける。私以外には誰もいない。時刻は午後四時。そろそろ夕暮というものが山肌を紅く焦がすであろう。ベンチの背凭れの上に開いた吹き抜け窓の向こうに、所々紅葉し秋の気配を孕んだ山が聳える。
次の列車が到着するのは三十分後。私は立ち上がり、ホームから身を乗り出してレールを眺める。傾いた陽を反射させ、銀色に光るレールを、私は飽きることなく眺め続けた。
不図、私は考える。このレールに私の細い首を載せたらどうなるだろうと。
四方を見渡す。私以外には誰もいない。私はホームから飛び降りた。
列車は、きっと駅の手前で減速する。そうしたら、私を轢く前に私の存在に気付き、列車は止まってしまうだろう。
進行方向の反対側は大きなカーブを描き、林の中に消える。私はカーブに向かって歩く。ホームが切れてなくなった少し先で、片方のレールに首を載せ仰向けに横たわる。生い茂る杉の葉の先に、秋晴れの空が、遠く浮いていた。目を閉じる。乾燥した空気が、どこか遠くの金木犀の香りを微かに漂わせる。肺が潰れる程に息を吐き、またゆっくりと、肺の細胞に空気を滲ませるように息を吸う。
レールが冷たい。容赦のない無機質な冷たさが、私の脳裏に死というものの、静謐で絶対的な暗闇を想わせる。
何分もそこに寝そべっていると、レールが私の体温を奪い、身体が冷えていく。それだけでも死ねるのではないかと錯覚に陥る程に。
列車はまだ来ない。
私は上体を起こし、カーブの先を見詰めながら、自分の人生を振り返る。何もかもくだらない。悲劇にも、喜劇にもならない、普通に苦しいだけの人生。終わらせることすら面倒なだけの人生。
レールに触れている手が、微かな振動を感じ取った。列車が近付きつつあることが判る。
レールを見詰める。このままもう一度レールに首を載せたら、私は死ぬことができるだろう。列車に押し潰されて千切れた首の成れの果ては、あまりに無惨で穢らしいだろう。そんな状態で葬式をされるのは気が引ける。閉ざされた棺の中で、哀れな姿を曝す自分を想像して、興醒めした。
ただそれだけの理由で、私は死ぬことを諦めた。
レールに伝わる振動が強さを増す。いよいよ列車が私の眼前に姿を現すだろう。
私はホームに向かった。何本もの枕木の間に敷き詰められた石塊が、ホームに戻ろうとする私の邪魔をするように、脚を縺れされる。ホームに手が触れる所まで戻ると、カーブの先に電車が見えた。汽笛がけたたましく鳴らされる。私は急いでホームによじ登る。コンクリートに両手を載せ腕力で身体を引き揚げる。右足をかけ立ち上がろうとした時、左の脛をコンクリートの縁に打ち付けた。汽笛は鳴らされ続けている。ここに留まれば車掌に詰問されることは明らかである。逃げなければ。私は脛の痛みを忘れ、振り返ることなく、無人駅を走り出た。後ろでは、ブレーキ音が途切れ、代わりに車掌の叫ぶ声が、耳鳴りのように、響いていた。
川岸に腰掛ける。ズボンの裾を捲り打ち付けた脛を見ると、想像以上に出血していた。川の水で脛を洗う。清浄な水が、私の紅い穢れを攫っていく。痛みはなかった。ただ、車掌が最後に放った言葉が脳裏から離れない。
「死ぬなら他所でやれ!」
言われなくたってそうするさ。いつかの、どこかで死んでやるさ。死んでやるとも。腐った繰り言を心の中にぶちまけながら、捲った裾を戻す。
夕暮が山肌と私の背中を焦がす。私は長く延びる自分の影を睨むことしかできなかった。
次の日、自宅で風呂に入ろうとした時、ぶつけた脛にカサブタができていることに気付いた。それは泥を含んだように黒く、穢かった。
カサブタは本来、傷口の修復をするために生成される。しかしどうだろう。このカサブタは、グロテスクな傷口を更に穢くしてしまっている。きっとこの傷が癒えても、私の脛には跡が残るだろう。痛々しい傷跡が。
私は俄かにこのカサブタが疎ましくなってきた。指先でカサブタの端をめくり、そのまま勢いに任せて引き剥がした。見事にカサブタは全て取れた。それと同時に、軟白な真皮から紅い血が流れ出た。この痛みはいつまで続くのだろうか。キリのないことを考え始めた脳みそを振り乱し、カサブタをゴミ箱に投げ入れた。カサッという空しい音を立てて、カサブタはゴミ箱の底に転がっていった。
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