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【没った小説】夏天

 かむいゆきひこという、ひとりの人物の風景。
 マクロレンズで覗いたように周辺はぼやけており、ひとつの存在だけが――ただハッキリと写っている。
 ぼくはそんな中で、ひとり自分の在り方を探している。ぼくは何者なのか、なぜここにいるのかを。
 〝はじめてのせかい〟は、長い眠りから覚めたような鈍い痛みからはじまった。
 目覚めたら、ここにいた。抜け殻のようなぼくにあったのは、意識がない状態から覚めたことと、人外であること、そして――〝カムイ〟という名前だけだった。
 なぜそれだけがここに残ってるのか、知りたい。
 だからぼくはうごきはじめた。
 しらない世界を歩く感覚。なぜか知っている言葉を、しゃべる感覚。
 そのすべてが新鮮で、楽しいものだった。

 〝はじめてのせかい〟から数年後――ぼくは、さまよっていたところをひとりの学生さんに助けられ、好奇心のままに学園生活をすることになった。
 それから何ヶ月かが経ち、凍えるような寒さが走る冬の日のこと。4時間目が終わり、昼休みになったときだ。
 相変わらず、やることが見当たらなくて退屈だなぁ。
 でも、不思議とぼくはひとりでいたい気分だった。こういう時、いつもならターナを誘ってるはずなのに、どうして今ひとりでいたい気分なんだろう。
 それを言葉にできないせいで、不安で仕方ない。嫌ではないはずなのに、どうして。
 ふと耳をすますと、鳥の声が聞こえる。虚しいのかなんなのかよくわかんないこの気持ちを紛らわせるようにピチチ、チヨチヨと。
 ……こんなこと考えても、どうにもならないや。
変わらない日々は自分で打開していきたい。好奇心のままいきたい。
 このままでいたくない。そう思った頃にはもう、校舎を出てどこかへ向かっていた。

 あつい。4時間目になってから突然晴れてきたんだけど、日差しがあったかくて、暑がりのぼくには溶けてしまいそうだ。冬の日とはいえ、暑い日はあるんだと。
 逃げるように街を駆け抜け、気づいたらぼくは代々木のケヤキ並木へと辿り着いた。
「また鳥だ」
 ピピピッ、とぼくの横を通り過ぎていく鳥の姿を見て、自身のちっぽけさを改めて自覚する。
 ああ、さっきまで退屈と言っていたのが、なんともばからしいや。
 あの鳥のようになりたい。それは悠々とした姿に見えたからか。あるいは、退屈だと言ってられないほど必死な姿に見えたからそう言ったのか。
 少なくとも、退屈から逃げたいという気持ちがうらやましさを駆り立てたのだと、ぼくは思う。
「なんでこんなことを考えてんだろ」
 そうつぶやいた瞬間ぼくのお腹がギュルル、と鳴った。きっと、お腹が空いたからこんなこと考えてるんじゃないかって。そうに、違いない。
 幸いにも、近くに売店があったのでぼくはそこでお昼ご飯を買うことにした。いっこ400円のホットドッグと、300円ほどの紅茶。
 いつもはお弁当だけど、今日はお弁当を忘れちゃったしちょっとしたご褒美として、こういうのを食べるのも悪くない。
「いただきます」
 ソーセージに、ケチャップとマスタードをかけたシンプルなホットドッグ。いつもだったらチーズドッグかスペシャルドッグを頼んでいるはずなのに、今日はそれすらも食べたいと思わなかった。
「……ん、おいしい」
 でも、おいしいことは確かだ。できたてだというのもあるが、素材のうまみを活かしたシンプルな味付けだからこそ、ソーセージの味が際立ってより一層おいしいと感じるのだろう。
 食べ終わったので、紅茶を一口飲んでしばらくボーッとする。
 眠い。このまま寝てしまいたいけどケータイ盗られたら怖いし、眠気覚ましがてら公園内を練り歩こうかな。

 頭は考えてない。なのに、足取りは軽いしどんどん好奇心が湧いてくる。
 虚しさにも似た気持ちを抱いてたはずなのに。いつも行かないところだから……?
 いや、食べたから? どっちにしろ、さっきまで抱いてた名前のない感情はもうぼくの中にはないのだと知らされる。
「あれ、ノスぴ?」
 クロノス……こんなところで、ひとり?
 まぁ、彼にもひとりの時間は欲しいだろうな、と知らないふりして通り過ぎるのを勘づいたようにクロノスは、ぼくを見て話しかけた。
「おや、ゆきひこ」
「ひにゃっ!?」
 変な声でたじゃん……それを聴いて彼はからかうようにくすっ、と笑った。
「なんだよもう、恥ずかしいじゃん」
「失礼、ちょっと面白かったから」
 最近クロノス、ぼくに対してからかうようになった?
 いや、気のせい気のせい。からかっていたとしても心を許してるってことだから、別に気にしないもん。
「せっかくここで会ったんだから、ちょっと話さないか」
「うん、いいよ」
 ぼくたちはベンチを探しに歩き始めた。
 どうも、彼はたまのリフレッシュにここへ訪れるのだという。ぼくが普段行かないというのもあるけど、まるで待ってたと思わせるような偶然にびっくりしてしまった。
 大好きなクラスメイトといることが増えた彼だけど、最近はじぶん時間を確保することが増えたと言われてドキッとした。
 珍しいね、という心の声は表に出さなかったけど、実は聞かれていたのかも。
「お、長いベンチだ」
「ちょうどいいな。ここに座るとするか」
 気がつけば、ぼくたちは貯水池に着いていた。座れるところがあるから休憩しよう。

「あったかいね、今日」
「うん」
 あれ。なんでこう返しているんだろう。暑いのに。
 少なくとも、眠いからではなかった。クロノスの隣がほんとうにあったかかったからうん、と返したんだ。
「まぁ手は冷えるがな。カイロをいくつ使っても全然ダメだ」
 気がつくとぼくは、冷たそうに手をこすり合わせていた彼の手をとっさに握っていた。
 えっ、という反応は妥当なものだ。いきなり手を握られたらそりゃびっくりするはずなのに、ぼくはなにをやっているんだ?
「どうしたの」
「さむそうだったから」
 こう答えたけど、実際その理由はよくわかっていない。自分の言動のおかしさに、乾いた笑いが出てくる。
「そういえば、今日はあまり調子がよくなかったね」
 的を射る言葉がぼくの頭に刺さった。いや実際そうなんだろうけどちょっと言葉が違う気がする。
 虚しさに似た気持ちが、なぜそうなってるのかがわからないから? いや単にさみしいからなのか。
「やっぱね、今日変な気持ちなんだ」
 この気持ちは、ぼくがはじめてこの学園に来た夏の日以来な気がする。この時も、ぼくはソワソワしていて挙動不審になってたのを、今まさに思い出した。
 夏の日のぼくにちょっと似てて、ソワソワするというかなんというか……って、もう既に挙動不審になってる。
「なるほどね」
 挙動不審になって焦るぼくを庇うようにクロノスは、励ましの言葉をかける。単に不調が生んだものだから仕方ないさと。
 納得いかないような何とも言えない気持ちだった。多分ぼくは、答えを求めてないんだと。言うだけでよかったんだと思う。多分。
 夏の日差しを浴びたかのように汗がぶわっと滲み出て、とっさに首に巻いていたタオルで顔をごしごしと拭いていた。
 この暑さが、ちょっとあの時と似ていて懐かしさと恋しさを覚えた。
 なつかしいね、とつぶやいたぼくの言葉をクロノスは返してくれなかったが、言葉の意味を理解した瞬間、彼の口元は綻んでいた。
 あの時も暑かったしソワソワしていた。今でこそこんなことはないのだろうけど、また同じような気持ちでいられるのがおもしろくて少し安心感を得た。
 こうやって笑っている今だから言えるんじゃないか。はじまりから今に至るまで、ずっと抱えてきた想いを。
「ぼくは――なにもの?」

「いきなり、どうしたんだ」
「なんかね、急に」
 ぼくは、何者なのかという原点に帰る。目が覚めてから記憶がないのに、確かにぼくがぼくではないということだけが残っている。
 確証なんてそこにないのに。力もなにも、持ってない。なのに、人外と言い切れる。
 そんな、曖昧な人外を。ぼくはやっている。
 ぼくはギターを手に弾き語るミュージシャンのように、あるいは街頭演説のように自分の想いを話した。
 自分の曖昧さが未だ受け入れられないこと、秋以降ちょっと調子がわるいこと、ターナとの距離感……渦巻いていた気持ちを、書きなぐるように。
 そして話していくうちに、頭の中の状況が整理されてきた。
 やっぱり今日、相方と距離をとりたいみたい。
「今日ばっかりは、ターナと距離とりたくて」
「おや、なにかあったのかい」
「いやべつに。でも最近、ターナに羨ましいと思われて『なにもしらないくせに』って思うようになっちゃってさ。そんな自分がばかばかしくて」
「ふむ」
 自分の中に染みついた黒い感情を、すこし吐き出してみた。
 相方には言えないこの気持ちを。
「お互い大好きだから、こう思うんだろうね」
「だいすき?」
「ターナは、ゆきひこのことが大好きなんだ」
「えっ、そうなの」
「だからひとりの友達として気を使わずに対等に接したいって気持ちがある。ゆきひこだって、気を遣いたくないだろう」
 クロノスは改めて相方の気持ちに気づいたぼくに、くすっと笑いながらターナのことを語る。
「彼はこだわりが強いし、負けず嫌いだからね。一度そう思ってしまうとどうしても負けたくないって気持ちに呑まれてしまうんだ」
 納得いくように頷くと、クロノスはこう返した。
「最近彼は色々考えがちというかね。上手くいかないことや体調のこともあって繊細になってるだけだから悪気はないんだよ」
「わかってるよ……」
「というか、元から彼は些細なことで傷ついてしまうような子だったからね。仕方ないさ」
 納得いかないように返してしまった。悪気がないのはわかっているのに。
「ゆきひこもきっと、同じように繊細になってるから傷ついちゃったんだよね。言ってくれてありがとう」
 朗らかに口角を上げてぼくの肩をぽん、と叩いた。その時、鉛のようなものがスッと落ちていくように心が軽くなった気がする。
 そばにいてくれるひとがいるんだなって。自分に寄り添ってくれるひとが、ここにいたんだって。
「でも、ターナにそれ言わなくていいからね」
「わかってるよ」
 善意で注意してくれたんだろうけど、ちょっとおかしくて吹いてしまった。やっぱり、クロノスは面白いなって。
「羨ましいって言われてから、改めて自分ってなんだろうなって感じちゃってさ。客観的になら中途半端を許せるのに、自分が中途半端な人外してるとこはなぜか許せなくて」
 その答えは未だ見つからないまま。それゆえに妙な気持ち悪さを感じている。どうしても、人と人外の境界線にいるのが嫌だった。
 そんなことで、悩んでいる。この世界に生きたからには短い命なんだ。このまま終わっても、いいのかな。
 答えはNOだ。生き方の答えが見つからないまま悩むのを、繰り返したくないから。このまま、終わってしまいたくないから。
「中途半端な人外として生きてくのが嫌だから、もう、自分で答えを作っちゃおうかって。ぼくはぼく、じゃないけど」
 曖昧なことで悩んでばかりなら、もういっそのこと自分だけの答えを導きだしてしまおうと。
「そっか」
 クロノスは肯定も否定もしなかった。でも、自分で決めたならそれでいいんじゃないかって、ぼくが思ったのだからなんとも思わなかった。
 毎日自分のことばかり考えてつまらないと思うなら、その日々は捨ててしまった方がいいって。
 つまらない日々を捨てて、カゴの外へ行きたい。晴れやかな空のように、生きていたい。
 そう思えたなら。

 もうすぐ、寒さのピークが終わってあったかくなる。それと同じようにぼくも、明るくなっていけたら。
 ぼくの未来は、そんな未来だと信じたい。いや、そういう未来にするために、ぼくはうごきつづけるんだ。
「あ」
 さっきぼくの横を通り過ぎた鳥だ。白と黒の鳥。
 なんか、きみのおかげでまた明るくなれた気がする。
「ありがとう」
 ぼくは、手元にあったパンの欠片をひとつ渡した。ほんとはダメだけど、ありがとうの気持ちとして伝えたかったんだ。
 鳥はパンのかけらをつまむと、首をかしげてこちらを見つめた。もうひとつだけだよ、と渡したパンを再びつまむとピチチ、チチと鳴いて飛び去って行った。
 なにかを伝えたかったのかな?その意図が伝わらなかったらごめんね。
「かわいいなぁ……」
「鳥?」
「うん」
 さっきの首をかしげる姿が、すごく可愛くてほっこりした。そういうことがあるから、くよくよしてらんないなって思う。
 悩んでる時間は、どうしても素敵なことが目にとまりにくい。些細なことでめげるのは勿体ない。
 もっと明るく、天真爛漫に生きたい。だからぼくは、あの日の夏空みたいなひとでいたいと、改めて誓った。
 だったら、どうするのか。その答えを探す旅が今、始まった。
 土砂降りの雨が降ろうと、ぼくはめげない。だってぼくだから。
 さて、昼休みも終わるし、心機一転したところで教室へ戻ろう!
「大丈夫大丈夫、ぼくならできる!」
 これからがたのしみ。
 だって、ぼくの未来は明るいものだって、確信したんだから。

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