空虚感で支配される東京五輪
空虚感で私の心は支配されていた2021年3月25日。その原因は東京五輪である。
昼間にニュースを見れば聖火リレーが始まったと。
聖火リレーを始めたという既成事実を作りたくて多額に税金が投入させることへの空虚感…。
夜はどうせ五輪スポンサーのメディアは報じないだろうし、近くに用事もあったので五輪反対のデモ行進を見学して「この声が政権に届くことは絶対にないだろうな」と思い空虚感…。
この空虚感は翌朝、毎日新聞のトンチンカンな社説によりトドメが刺さった。
『コロナ下で、五輪開催に対する国民の不安はなお大きい。希望の灯をつないでいくには、安全最優先の心構えが欠かせない。』(文章の一部抜粋)
今や希望の光をつなぐことになっていない聖火リレー。多くの国民は開催に対する不安ではなく、”五輪は出来ないし、やるべきではない”という感情を抱いているのでは?
安全最優先の心構えが欠かせないならば、それはイコール五輪中止の一択しかないだろう!
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