体育ではスポーツマンシップは育まれないと思った
日本スポーツ界の最大級のミスは、スポーツを"体育"と訳してしまったことだと私は思っている。それを下記の記事を読んで確信した。
そして、日本の体育によってトップに君臨するようになった多くの人間が社会性の無い"競技バカ"になってしまった。
もし日本人選手の中に東京五輪が『多くの犠牲が強いられる中に開催される、平時とは全く違う五輪』という意識があるならば、ハネス・アイグナー選手のような振る舞いや言動を発することが出来るはずだ。
昨日も記したが、五輪を支えるボランティアや医療従事者等に向けた感謝を述べた日本人選手を私は知らない。
体罰を奨励する先生様が『○○(競技名)を通じて人間教育』などと真顔を言い、浮世離れした人間達が日本のスポーツ界を支え体育の現場を担っている。
社会性の無い競技バカな大人達が、社会性の無い競技バカな選手を育成してしまう。残念ながら、これが日本スポーツ界の現実だと思う。
メダルは量産されているがスポーツマンシップでは世界から大きく離されており、これは"日本の体育"が時代遅れで限界に達していると私は思えて仕方ない。
社会性を持つ選手を育成するにはどうするべきか?五輪後に日本スポーツ界が取り組むべき喫緊の課題であろう。
最後に五輪とは国民の犠牲によって開催されていることを知っていただきたく、下記の記事を紹介します。もしも五輪選手が記事を読んだら何を思うのやら…。
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