【極東見聞録第一部】最寄りのコンビニまで徒歩2時間【ログ】

新天地の宿は標高700メートル

 東京都檜原村神戸で働くことになった私が最初に扉を叩いたのは、同じく東京都檜原村で猟師をしている友人の家だ。彼のプライバシーもあるので明確にどういった集落で、とかは話せないけれど、激坂に激坂を重ねたような場所にある小さな集落だった。

 大学生後半に色々な経緯があって手に入れたジムニーだからこそ登れるなといった坂道で、生半可な乗用車じゃすぐに音を上げてしまうんではないかという道は東京ディズニーシーにあるインディージョーンズのようなスリルがあって楽しかったのを覚えている。

 まあそんな危険な道で楽しいなんて思っていたからこそあんなことになってしまうんだけど――。

 そんなこんなで辿り着いた家は意外と広めな古民家だ。

 今時YouTubeを調べると田舎暮らしとか古民家暮らしとか色々出てくるけどイメージはそんな感じ。

 六畳くらいのダイニングと、同じく六畳くらいのリビング。それに三畳くらいのところに押し込められたトイレ、風呂、洗面台。でもユニットバスじゃない。

 家主が猟師であるから、獲物の毛皮とかがその辺にぶら下がっていて、外にいる時より家の中に戻ってきた方が非日常を味わえるようなそんな家に私は確かに愛着が沸いて言っているのを感じた。

 ここが私の新たな拠点になるという新生活のワクワクと同時に、家賃無しで間借りさせてくれると言う友人にどこか拭いきれない引け目を感じていたのを覚えている。

 家の中もそうだが、標高700メートルという場所に存在している時点で家の周りすらも非日常であることは言わずもがな。

 大学は吉祥寺、バイト先は渋谷という生活を四年も続けていた自分にとって、街灯がないゆえにスマホのライトがないと家の帰り道を歩くのに躊躇するレベルの道はお化けが出るとかそういうことではなく、単純に足を踏み外すのではないかという恐怖に苛まれる。

 都会とのギャップというのについて話したいことは山ほど、言葉通り山ほどあるのだが、まずは時系列順に、追っていこう。

約一週間の療養

 新卒一年目の5月。

 五月病とか、根性無しとか、色んな言い方はあるけれど私は例に漏れず、まるで当たり前のように四月に入った会社をひと月で退社した。

 好きなYouTuberに「世界一のゆっけ、」という人が居るのだが、彼女は半年で辞めたと言っていて、大学時代「半年で辞めるって勇気スゲーなwww」と笑っていた手前、辞めることへの勇気なんてものは微塵も必要ないことを知った。

 もちろん仲良くなり始めていた同僚とか、仲良くなれそうだなって思った先輩への罪悪感がなかったわけではないが、致命的に自己肯定感の低い私は、別に私がいなくなってもなーんも変わらないでしょと言った心持でいた。

 と、今となっては盛りに盛って強気なことを書けるが、体調を崩したことで退社したから当時の自分からすれば「一か月で退社」を笑えるようになる日がこんなに早く来るとは思っていなかった。

 でもそう言えるのは自分の周りに変わらずにいてくれた多くの人や、新たに出会った心強い仲間たちのおかげであるのは確かで、恐らくかつての自分より友人や仲間と自分が認めた人たちへの愛は大きなものになっているのを感じる。

 その一人が先述した猟師をやっている友達で、体調を崩した自分を真っ先に受け入れてくれたのは彼だった。

 突然というわけでもないが職を失った私にとって、明日の金を稼ぐことすら難しくなった私は、まず大学時代に作り上げた伝手を辿った。

 檜原村で農園を所有している――猟師の人繋がりで知り合った別の知り合い――が定期的に農園を管理する日雇いバイトを募集していたので、目先の金に飛びつくが如くその仕事に飛びついた。

 今考えてみれば実家から檜原に向かうガソリン代でそんなバイト代は消えてしまうのだが、どうしても私には自然へと立ち返る理由が必要だったのだと思う。

 やったのはお茶摘みで、紅茶にするためにお茶の新芽を摘んで欲しいと言うことだった。

 檜原に長らく住むおばあちゃんたちと一緒に、五月の日差しが照り付ける中斜面を登ったり下りたり。一つの株から全ての新芽を摘み取るのはかなりの重労働であったのをよく覚えている。

 コロナ禍真っ只中と言うこともあって、最初こそ私に警戒の眼差しのようなものを向けていたおばあちゃんたちもコミュニケーションをとるごとにだんだんと心を開いて行ってくれ、お茶の綺麗な摘み方とか、若い頃の話をたくさん聞いた。

 檜原は山間部にある村だから畑も家も大抵斜面に存在している。だから高低差がかなりあって、ふと作業に疲れ辺りを見回すと、眼前に広がるのは雄大に広がる山と森とという新緑に包まれた大自然だ。

 そんな自然の中で汗を流しながら、少し駄弁りながらする仕事は、確かに私の心を癒していた。緑を見ると目が休まるなんて話を聞いたことがあるが、恐らく目だけでなくメンタル的にも何か静養の効果がある気がする。

 それこそ人工と自然という対立がある世の中において自然というものに惹かれている自分が自然に対してある種、神聖視のようなものを抱いているのも確かだと思うが、あの仕事と景色から得たのは良質な疲労と癒しだった。

 それから猟師の友人の家へ車で赴き、家の扉を叩いた。どうしようもないほどに疲弊しているわけではないが、明らかに心身ともに「やられていた」私はまるで人のことを考えられない愚か者だっただろう。

 突然家へと行き、「泊っていっていいですか」とド平日の昼間から本来いるはずじゃない場所にいる事情を説明してから聞くと、彼は何も戸惑うことなく快諾してくれた。

 なんなら一週間くらいいたらいいと言ってくれ、自分も「自然」が必要であることを自覚していたため、結果彼の家に4泊もすることになる。ほとんどの準備無しで。

 そんなこんなで手に入れた療養のための仮宿から私の物語は始まった。

 改めて自らの居場所を確認するために、家の外へと足を踏み出せば転んだら止まらなそうな急斜面と、眼下に広がるいくつかの集落と雄大に広がる山々。

 雲は目線の高さにあった。

 住所の頭には「東京都」とつくのに、近くには映画館も、カラオケも、ボウリング場も、ダーツバーも、自動販売機も、コンビニもない。

 最寄りのコンビニまで徒歩二時間。多分これが疲れた私にとって必要な街との距離だった。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?