【極東見聞録第一部】サラリーマンを1か月で辞めた僕が描く旅行記【前書き】

※注意※

自らの体験を赤裸々に綴るという形式上、特定の人物や団体に対する誹謗中傷を目的としていないものの、当事者の方が不快な思いをされる描写が見られる場合がございます。極力ご迷惑が掛からないよう「名称を伏せる」や「特定に繋がる情報を書かない」など配慮を行っていますが、もし何か問題及び削除するべき内容があった場合はすみやかに当方Twitterまでご連絡ください。

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文章じゃあ勝てない時代

 Youtube、tiktok、instagram、twitter、漫画、映画、ドラマ、MV。

 世の中に情報を伝えるうえで、様々な選択肢が世の中にはある。手軽にみられるから、面白いから、金になるから。そんな中で自分は文章という恐らくメディアの中で一番手に取られにくい媒体を使って、自分の世界を伝えようとしている。

「若者の○○離れ」。

 無責任な大人たちが自分たちとは違う若者を認められなくて、度々取り沙汰されるこの言葉の中に、読書というものが宛がえられたこともあった。

 だんだんと歳を重ね、若者という括りからいつか離れていく中で、私は同年代、もしくはそれより下の若者に伝えたい。

 若者こそ写真や動画で発信してくれと文句を投げるかもしれないけれど、私はここで敢えて文章という方法を取らせてもらう。

 私の中で結論は出ている。

 文章じゃあ勝てない。それでもなぜ私は文章で人に伝えようとするのか。文章なら何が伝えられるのか。逆に文章では何が伝えられないのか。

 それについて前書きとして少し述べてみようと思う。何千何万というメディアがある中で、この私の文章を手に取ってくれた人には申し訳ないが、体験記はもう少し待ってもらう。

月の明るさが故に色が消えたモノクロの世界

 それこそ当初の私にとって、文章で何が伝えられるのか。文章で戦っていけるのか。

 端的に言えば文章の価値というものがわからなかった。

 山々の自然を、川のせせらぎを、遠くにかすかに見える動物の姿を。
 青々と輝く海を、さざ波の音を、水面にきらめく魚の姿を。

 それをより良く伝えられるのはやはり写真で動画だった。少し金をためれば誰にでも手に入るツールを使って、ボタンを一つ押せばある程度のものを残すことは誰にだってできる。

 それどころか多くの人が今手にしているスマホを使えば、カメラを買うことすら必要ないだろう。

 そんな悩みに侵されながら、月日は過ぎ、最初の拠点である檜原神戸かのとの体験を文字に起こすのに、これほどまでの時間がかかってしまった。

 でもそんな悩みを払拭してくれたのもまた檜原神戸であり、その地域が恐らくその名を冠する由縁となった神戸岩が力をくれたのは確かだ。

 今でも鮮明に覚えている。

 都心でのホワイトカラーが自分に向いていないことを、体調を崩してから気付き、自然に身を置こうと思い、最初に辿り着いた場所――東京都檜原村神戸。その最後の夜、日課となっていた神戸岩までの散歩で見たモノクロの神戸岩。

 田舎の夜は暗い。こんな当たり前のことを知らない人は何人いるだろうか。生憎東京の都心生まれで、ずっと東京で育った私はそんな当たり前のことさえ知らないまま生きてきた。

 その理由としてまず家屋が密集していないと言うことも挙げられるのだが、何より街灯が少ない。

 もちろん田舎と言えど国道には街灯が点々と設置されているが、その国道を脇にそれた村道や私道に入るとその数は一気に激減する。それどころか全く無いなんて場合もある。

 神戸岩までの道も例に漏れず全くの街灯を有さずに、墨を垂らしたような漆黒が広がっていた。

 しかしこれこそ地球、ひいては本来の自然の姿であり、火を手にする前の人間はこの中を生きていた。

 そんな暗黒の中でも、周りの景色がはっきりと見渡せるときがある。まあ言わずもがな、満月がその大地を照らしている日には、普段使うスマホのライトすらも必要なくなるほどに、辺りの景色は煌々と照らし出される。

 本来冬の山と言えど、緑や茶色、アスファルトの黒やガードレールの白など様々な色が存在するはずの景色がその白い月明かりによって照らされ、黒か白のみの色に映し出されるのは、人の目の錯覚のようなもので、恐らくこれをカメラで抑えようものなら深い青と、黒、そして月明かりとと、青が表れるはずだ。

 しかしその時私の世界は全て白と黒のみで構成されており、あの瞬間、文章でしか伝えられない世界を知った。

 夏の日の太陽の様に葉の一枚一枚を照らし出す月明かりの荘厳さたるや、それこそ文章でも伝えきれないあの美しさは見てもらうしかない。

 写真や動画で行われる疑似体験ではなく、文章によって欲望を掻き立てる。

 体験記というより自慢話と言おうか。

 私が見てきた素晴らしい日本の風景を文章で、想像を掻き立てるに抑える。もちろん私もYouTubeやnetflixなどが好きだが、電子の世界では感じられない本当の生の世界への一歩を。

 恐らく使命感のようなものを、その景色を見た時に覚えたのだろう。誰もが簡単に美しい写真や動画を撮れるこの時代に私は何を遺せるのか。

 私には十年という月日で研鑽してきたこの文章という力がある。未だ誰にも評価されたことのないちっぽけな力かもしれないけれど、この文章がどこかにいる誰かの感情を引き出すかもしれない。

 差し当って、普通とは違った体験をしてきた私の想い出から、羨ましいと言う感情から導き出せたら。

 そんな私の日本の体験記。

 名前はマルコ=ポーロにちなんで『極東見聞録』。

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