【極東見聞録第一部】山間に眠る大岩は神への御扉『神戸岩』【スポット】
最初、私がこの地に出会ったのは、会社を辞めてから始めたライター業務の片手間、キャンプが好きだから軽くキャンプ場で働けたら面白いかもなと軽い気持ちで、その地にあったキャンプ場に連絡したのがきっかけだった。
しかしそこでの出会いと生活が私を旅人へと変貌させることになるのだから、人生何が起きるか予想できない。
東京都指定天然記念物『神戸岩』
東京都西多摩郡檜原村神戸に恐らく「神戸」という地名の由来となった岩がある。岩と言っても河原に転がっていて、子供が昇って遊んでは怒られるようなそんなサイズの岩ではなく、まさに岩山――それが神戸岩だ。
見上げれば30メートル以上はあるだろう岩山の上には森が茂り、たまに鹿などの動物を見ることが出来る以上、岩という名前を冠していながらも山と言わざるを得ない。
なぜそれが神の戸と言われているかと言うと東京都が詳しく説明してくれているから、そこから一部抜粋しよう。
名前の由来には諸説ありますが、扉のように開きかけている岩の延長線上に神社があることから、ここを神域への入口とみたてて、神の戸、と言うようになったと言われています。
東京都の言葉通り、本来は地続きである山に突然ぽっかりと開いた谷間が現れる。それを現代の感性で見て、扉が開いているみたいと思うのは少し無理があるが、その巨大さや、神戸岩の延長線上に神社があるという事実を合わせれば十分に神の扉と例えられるだろう。
なぜこんなところにこんな谷が出来たのかと言えば、もちろん科学的な理由もあるわけで、この谷間に近づけば山の合間を渓流が流れているのがわかる。
恐らくこの渓流が時間をかけてこの山を削り、このような扉を開いたのだろう。それこそこの神戸岩に行くまでの道から見える河原には、度々三メートルは優に超える巨大な岩石がいくつも転がっているのが見られる。
その岩々がかつて神戸岩を構成していたものの一部だというのは想像に容易い。
川と言えば多摩川を見てきた都心生まれの自分からすると、この神戸岩を流れる川の透明度には驚かされる。
それこそ結構な水深がありそうな場所でも、大雨でない限り水底まで見渡すことの出来る清流は、夏にはいっそ服のまま飛び込んでしまいたくなるほどだ。
もう一度言うがこれが東京にある。都心から車を二時間ほど走らせれば辿り着くことの出来る場所に神戸岩が存在する。
いくら人間が巨大なビルを建てて、河川を埋めて、山を崩しても、東京の端っこには天然記念物に登録されるほどの自然が未だその姿を悠然と残している。
四季を移ろわせる神戸岩
岩と冠されているが岩山であるということは前述した通りだ。
神戸岩の周りには秩父多摩甲斐国立公園に属する日本古来からの原生林が残っており、その植物たちが四季折々の表情を魅せてくれるのも神戸岩に行くべき見所の一つである。
春には鮮やかな若さ咲き誇る新緑が。
夏には青煌めく川魚の大群が。
秋には紅さんざめく楓の嵐が。
冬には全てが白く染まる雪景色が。
その間にも山々を生きる動物たちの姿も変化していく。春は虫や色とりどりの花が咲き、夏はセミの鳴き声が神戸岩に染み入り、秋は餌を求める鹿や猪たちが姿を現し、冬にはこれまで賑やかだった山にひと時の静寂が訪れる。
それらが自らの下を流れる渓流と神戸岩に挟まれた渓谷の先に見える、あの光景は一見するべきだろう。
自分の見たいものがあれば、その季節に赴くのが良いだろうし、一期一会を求めて、ふと寄ってみてもいいかもしれない。しかし一つ言えるのは近くにある二つのキャンプ場のどちらかに泊まらない限り、神戸岩の夜の表情は見ることが出来ないと言うことだ。
山間からこちらを照らす満月の灯りは、手元にあるスマホの懐中電灯を消してしまおうと思えるほどに明るく、道沿いにできるガードレールや自分の影がくっきりと地面に映し出すほどだ。
月が出ていない時は多くの星がその輝きを取り戻す。もちろん山間部にある地域であるために空は小さく、見える星の数は少ない。しかし小さいが故に、どんどんと山の向こうに消えていく星から地球が回っていると言う事実を体験できるだろう。
空の景色もそうだが、夜には夜行性の動物の鳴き声や姿が森の間に見られることがある。暗い道を蛇が這い、木を素早くリスが昇っていき、ムササビや鹿の鳴き声が山の向こうからかすかに聞こえてくる。
夜は多くの人が活動する昼に対して、静寂として例えられることが多いが、山の夜は騒がしい。多くの動物がたった数十メートルの距離に沢山いると言うことがわかるこの夜の騒がしさは車が多く行き交う大通り沿いでは体験することが出来ないだろう。
心霊スポットとしての神戸岩
私が一番気になる点として、この神戸岩が度々心霊スポットとして取り上げることがあると言うことだ。
ここまでの話を踏まえるならば、神戸岩は天然記念物に指定されているうえに、その由来が神社の延長線上にある神聖なものとすると、神戸岩を心霊スポットと認識して、肝試しを行うのは罰当たりであるということはお判りいただけるだろう。
何よりも先述している渓谷については、渓谷歩きという名目でその間を歩くことが出来るのだが、その道幅は人一人でも狭いくらいの道幅であるために、灯り一つとしてない夜に肝試しを行うのは本当に危険なのでお勧めしない。
恐らく心霊スポットとして神戸岩が取り上げられてしまう最大の理由は渓谷歩きとは別に神戸岩の反対側へ抜けることの出来るトンネルがあるからだと私は思う。
心霊スポットとトンネルというのはもうどうしようもなく、切っても切り離せない関係にあるのは多くの人が認識している通りで、そのトンネルは30メートルほどの長さであるが、電灯がついていないために、夜に訪れるとそれなりの雰囲気がある。
しかし心霊スポットとしての神戸岩を取り上げている記事をいくつか拝見したが全てにおいて、理由付けできそうなものばかりであったということを先に言っておく。
まずトンネルの付近で写真を撮ると心霊写真が撮れると言う話があったのだが、神戸岩のトンネルの入り口近くの斜面からはじわじわと山水が流れ出ており、多くの落石が見られる場所になっている。
心霊写真を撮ろうとそこに長く滞在するのは危険だと言うのは言わずもがなだが、その山水のおかげかトンネルの入り口付近と内部はかなりの湿気に包まれている。
心霊写真で良く取り上げられるオーブというのはフラッシュに反射した埃などであるというのは、多くの人が理解しているだろうが、ここで撮ることの出来る心霊写真も、この湿気から来る霧に反射して写真が変に歪んでしまっているのだろう。
また声が聞こえるなどの話もあるが、神戸岩に行くまでの道の近くには川が流れており、絶えずその音が山間の地面で反響している。何の因果かそれが人の声に聞こえたりするのだろう。しかも先述の通り神戸岩周辺には多くの動植物が息づいており、動物の鳴き声が聞こえてくると言うのは日常茶飯事だ。
もちろん心霊スポットとして肝試しをしたい人を止めるつもりも、咎めるつもりもないのだが、心霊などに対する恐怖と言うのは未知のものに抱く畏怖であり、かつての人間が雷を神の怒りだと勘違いしたようなものに近い。
よくよく考えれば多くの自然現象が重なり合い起きた事象であると言うことが理解できるのだが、これを理解できない人が居ると言うのも理解できる。
寧ろ神聖な場所として崇められてきた神戸岩を冒涜する行為は、この神戸岩を奉ってきた多くの人間の思いに敵対すると言うことになり、それはいるかどうかわからない幽霊を見るより恐ろしいことだろう。
東京で大自然を感じることの出来る神戸岩。是非善き心で一度その目でご覧になっては如何だろうか。
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