SABRINA vol.23
僕がSNS上で絵を投稿していっているアカウントがあってもう半年ぐらい前なのかわかんないんですけど、全ての投稿を英語にしてワールドワイドに活動している方もあってそれがフォロワーとか以前にめちゃくちゃ反応があって面白いんですよ。
日々外国人と日本人の感覚の違いを感じられずにはいられません。外国だと基本的に文章とかって歌の歌詞みたいな感覚で読んでくれていて、僕が書いていて「ここ超パンチラインハマってるよね」みたいな感覚になっているところは綺麗に読んでくれてる人も感情的になって沸いてメッセージを送ってくれます。
この反応の明らかな差をみた上で正直な話こんなことって僕が4年前ぐらいから、もっと言えば中学3年生ぐらいから文章を書いて発表するみたいな活動はしてますから多分とっくの前に何か通用する部分があったと思うんですよ。
いずれ海外でライターの仕事なんか来そうだなとかも最近は思ってます。と言ってる間に最近マガジンを作っている人からメッセージが来たりと本当に実現はしそうだな。
そこで僕が最近お金の話をしたんですよ。
ザックリ内容を言うと「お金になる/する と思ってやるのとやってないのではあまりにもプロセスと戦略的な意味で違うのに思ってない人たち側があまりにも口を挟みすぎる」みたいなことでした。※かなりのざっくり具合
これに結構な反応があって、それでもそれは良くも悪くも僕の意図から少しズレているメッセージもあったと思います。例えば「お金になるのは良いことだけど、それで虚しくなる事もある。」とかね。これはもしかしたら自分が思い描くビジョンとか価値とのギャップなのかもしれないけどそういう類なものです。
僕なりに訂正というかなんなのかもう少し解像度を上げてここで話してみようかなと。
まず第一に僕は自分がやってる活動言ってることやってることどれを取っても世の中が良くなると思ってます。これが今以上の量になればなるほど世の中があるとないとでは全く違うレベルで良くなると思ってます。ここに対してはそうは思わない人も全然いると思うけど、まぁここに関しては完全に僕の主観的な意見です。笑
だから、まず前提条件として儲けたいとは思ってないです。ごちゃごちゃ言う前に世の中がちょっとでも面白くなればいいなと思ってます。まず僕が金が潤うよりめちゃくちゃ面白い毎日が欲しいと思ってる以上ここに関しては疑うべからざる事実です。だからフリーターというわけでもないですが。。笑
ここからが大切なんですけど、あくまでも僕の予想と実体験です。
もしそのビジョンを持って日々活動していたら誰か共感してくれる人が現れるかもしれません、その人はもしかしたら無給でもなんでも良いから手伝ってくれると思います。なぜなら僕の活動に社会的に価値があると思ってるからです。もしかしたら僕が100万でこういう活動をしたいからくださいと言えばくれるかもしれません。
この人が現れるかどうかでさっきのお金の話ってガラリと変わってくると思うんですよ僕はね。
僕は儲かりたいわけではなくて、いつか払わないといけない負債が常にあるわけです。そういうものを僕は恩だと捉えて生きてるわけで、恩に関しては僕もいつまでも何かモヤモヤ感じ取ってしまう人間ですから、そういう意味ではそれから逃れる自分の中の逃げとしてお金の話をしているのかもしれません。
僕を助けてくれる人にもしアルバイトの最低賃金を払うとしても多分なかなかの値段ですよ。もしそれを手伝ってくれたとして受け取らないと言ってたとしてもそれをいつでも払える能力と気迫は絶対に持っとかないといけないと思ってるという話です。
僕の中では自分の人生哲学やクリエイターとしてのポリシーなんかより他人の人生の方がよっぽど重いですよ。
人の人生悪い方向に変えるぐらいなら正直言って自分の制作なんて糞ほどどうでも良いと思ってます。
僕のビジョンに共感して助けてくれる人が出てくる。
これが僕の中でまず自分がやってることに対する価値の指標です。ファーストオプションにお金の話ではないのでそこがかなりのズレを作るんじゃないかな。
でもこんなのって多分クリエイターとしての教養やお金の勉強をしてたら超当たり前の話で普通に考えて村上隆さんが今バイトして稼ぎながら展示会してたら絶対おかしいじゃないですか。あの人もやってくれる人たちにお金を払うために法人になって、まずバジェットがクライアントから落ちてその中でやりくりしてるわけじゃないですか。
お金って絶対大切ですよ。
僕と村上隆は全然話が違うだろうて思う人がほとんどなんだろうけど僕は全然思わないっスネェ〜。
今のスケール感としてはダウンしてるだけで活動の構造や骨組みとしては変わらないと思います。
こんなもんで…はい。
もっと頑張ります!!!
2024/09/02 AM06:18
僕は村上春樹の作品が大好きで、その中でも彼が描く主人公がいつも好きで、少し具体的にいうと、彼が描く主人公は普通の人で自分に何の魅力もないと思ってるけどちょっぴり良いところもあると思ってて、周りの人より物事を丁寧に考えてて、それが人から嫌われてしまったり好かれたりして、決して自分の可能性を過大評価して信じているわけではないけど現状に対して文句も言わずただほんの少し上向きで時間を浴びながら生きようと努めてる。
確かに彼は普通かもしれない。
だけど自分の正直な気持ちと理想に僅かな傾斜をかけるだけで物語が転がっていくあの感じがとても素敵だと思います僕は。
僕の中ではこれを読んだら頑張れるとか心がどうこうとかと言うより、確かに熱くなるとか泣きそうになる場面もあるんだけど、例えば挨拶もう少しちゃんとしてみようとかもう少し丁寧に今日何するか考えてみようみたいな心というよりかは、どちらかと言うと小さな意識のポケットみたいな所に文章が入っていってる気がするんですよ。それが気持ちいいなって思いますね。
2024/09/09 AM08:15
人の恋愛なんて見ても何が良いんだと思ってしまう。
僕は自分の両親を見て思った。家族とはいえ恋愛から始まったものといえばみんな生まれて最初に抱く恋愛のイメージみたいなものは両親から来てもおかしくないななんて思ったりする。
僕から見たらお母さんに対して「よくこんな奴にオヤジは心動いたな」と思って、お父さんに対して「こんな奴より良い男なんぼでもいるだろ」とも思ってた。
僕から見たらお母さんはお父さんに家政婦のように使われ、もっと言えば奴隷のように支配されているように見えた。※多分今でもそうなのだが。
それが専業主婦ならまだしも共働きでお互い同じ量仕事して、なぜか僕の家族の場合離婚してもその関係が続いていて子供ながら僕は奇妙に感じ違和感を覚えた。
お父さんから受けたストレスがお父さんのいないところで子供にぶちまけられ、それを知らずお父さんは帰ってきてからまたお母さんを奴隷のように扱う。
そんなの絶対嫌だろと思うんだけども子供が2人家庭からいなくなってからお母さんは離婚してるのにお父さんと住み出したものだから何を考えているのか本当にわからない。
僕をこの世に生み落としてくれたことは物凄く嬉しいことなんだけど、僕は今25歳で同じような年齢でお母さんは子供を産んでお父さんと家庭を築きその後奴隷のように家事をして離婚した後いきなりこの世に働きに行かされてまたその後も家事は続いていた。それって一体人生何が面白いの?なんて今の僕は感じてしまう。
そんなことは多分インターネットが世の中を動かすまでは当たり前の話で、お父さんは女が家のことは全部やるものだと思ってお母さんは家のことは女が全部やるものだと思い込んでやっていんだろう。
その違和感に気づいた人はやめていって、世の中が進んで行っても受け入れられない人は過去に今もいながら時間を進めているんだろうなと感じたりもする。
いくら少子高齢化が問題だなんて言われてもそんな形でいろんな女性が社会的な世間体に侵されて亡くなっていったなんて何だか切ないし僕には考えられないなと思う。
そんなこと言っても所詮僕と両親の年齢差なんて30歳弱ぐらいなんだから怖いよな。
30年も経てば普通のことだと思ってやってたことでもある人からは奴隷扱いのように見えたり非道徳的な行いに見えたり。だから今から見て僕の両親はそう映っているけど、今から大きくなる子供は多分僕のどこか何かに違和感を感じて今の僕みたいな文章をどこかで書くんだろう。
そう思うとなんだか生きるってなかなか難しいなとか一気に感じたりして困っちゃうな。
確かに歴史を勉強していくと色んなすごい人はいるんだけど時代背景含め羨ましいなと思える人なんか滅多にいない。いくら徳川家康が天下を取ったってあまりにも戦争しすぎてるよとか文句なんか何とでも出てくる。
100年後も通用する価値観を今抱くなんて絶対に無理で今感じてる価値観なんてあっという間に古い形になって過ぎ去っていく。それは僕が自分の両親を見て感じた。半世紀だって無理だ。もしかしたら10年も無理かもしれない。
宮崎駿さんが映画にしたように君たちはどう生きるかって選択肢なんて無数にあるんだけど、どれを取ったってどの道何年かすれば古臭いんだ。
嫌なやつだけにはなりたくないからそれって学習がいるから結構めんどくさいんだけど、多分めんどくさがった人たちがみんな思い浮かぶ「あの人」で、その人たちはタイムカプセルみたいに自分の何かを土に埋めたみたいなね。
ロマンチックに聞こえるけど実際は全然そんなことないのが最悪だけどね…。
2024/09/17 PM14:18
僕が1番好きな関係はどんなんだろうとぼんやり暇な時に考えてみたら、近所の飼い主がいるんだろうけど誰かはわからない猫との触れ合いが最も心地よいねなんて思ってみたりした。
別に言葉で何か確認してるわけじゃないから、あの猫はいつも僕のそばに来て体が痒いんだか何だか知らないけどずっと体を僕に当てながらどこかを掻きむしってる。
僕は僕でものすごく可愛いかわいい生き物だと思うから好きなだけ撫で回しているんだけど、しっかり跡が残るぐらい噛みつかれた事もあるし本当に仲が良いかなんて誰にも分からない。
お互いが個人個人やりたいようにやりがら、そう言う意味では利害関係の様なもので結ばれているのかもしれない。多分、いや少なくとも僕には何も期待がない。意思疎通できないが為に僕は期待のしようがない上に勝手により一層好きになったりする。
僕は期待と怠慢は密接に関わりあってると思う。
アニメなんかで出てくる天使と悪魔みたいに僕の頭の上を常にパタパタと浮かんでいる様な気さえする。確か僕はそんな光景をトムとジェリーの中で子供の頃によくテレビで見た気がする。
期待が安心を生み出し、安心が惰性を育て、気が付けば立派な怠慢の花が咲く。
僕はこれまで期待をして良い経験をしたことはあまりない、期待をすると本当に失望とフィフティーフィフティーなのかと疑問を抱いてしまうぐらいいつも綺麗に残念な結果が出る。
逆に言うと僕にとって心配性は一つの才能でもあり、もしかしたらギフテッドと言えるぐらい特別な何かとさえ時々だけど思う。
毎日どれだけやっても心配になるから続いてることの方が圧倒的に多い。
その不安が毎日にスピード感をつけてある日突然おもしろいアイデアが飛び出してきたりする。
この恐怖心がなくなった時多分僕に関しては得るものより失うものの方が多いんだと思う。そしてこれも恐らく環境が僕をこう育てた。
良くも悪くもね。
2024/09/18 AM12:10
僕は最近よく洋書を読んでる。毎日読んでる。
いつもしている大好きな読書が英語の勉強になれば一石二鳥の騒ぎではないぞと閃いてから続けている。
僕は普段読むのがとてつもなく早いからこの作業には大変手を焼いている。
まずオーディブルで英語で音読しているものを洋書で追い、その次に左手に洋書、右手に和書を持ち、交互に読んで行く。
これが鬱陶しいんだが、時々結構文章が結構変わっていたりするとスマートフォンでサクサクと調べてみたりもする。
まず最初に全然読めないことに気づく。
それでも続けていくとだんだん読めないところが大体どういうことが書かれているか傾向が掴めてくる。それでも続けていくと日本語の文章を覚えていくので英語がわからなくても単語の意味が少しずつ分かってくる。
僕は今日また新しい本を開いてみてからまず全然読めないことに気がついた。
読み終わった後に時計を見てみると僕が一時間半で読めたのはたったの15ページ程だった。恐らく僕がいつも通り和書だけを読み進めていればもうすでに一時間半もあれば半分を超えているかもしかしたら読み終えてるかもしれない。
僕はいつも頭の中で考える。
ああ全然読めないな、この話は和書だと200ページ弱か、大体これぐらいだと2時間あれば読めるかなぁ、洋書は1時間半で今は15ページかぁ、じゃあ大体今の僕の英語スキルは日本語で伝えられる領域の18分の1スケールぐらいで進んでいくんだな話すにしても読むにしても、ああ、なるほど、それってかなり信憑性のある数値だな、へー。
僕はこういう瞬間に何か猛烈な快感のようなものを感じる。
やる気が失せるも増すも人それぞれかもしれないけど少しは自分のできる領域を的確に弾き出せた気になる。
自分に対して発見があればすぐに次の手段なんて浮かぶ。
正確に何かをやっていけば少なくともまともな数字が出てくる。
それにどう思おうが知ったこっちゃないけれどまともな数字は僕の中では思ってるより出会えないからなんだか嬉しい気持ちになる。
2024/09/18 PM12:35
もしかしたらいつの時代もかもしれないけど、今の時代よく伸びてるなと思うコンテンツは僕の中では「喧嘩」と「説教」でどちらも学校の中でよく見受けられることなのかもしれない。
もしかしたら、先生がいて何かを教えてもらえるような環境をどこかで求めてるのかもしれないけど大人になって自由が増えるからこそ揺り戻しようのようなことが起きるのかな。
成功の秘訣はなんですか。
恋愛がうまくいく方法ありますか。
お金が簡単に稼げる方法ありますか。
がむしゃらにやって成功するのなんて天才だけだろ、なんて僕よく思うんですけどやっぱり絶対そうですよ。
がむしゃらにやって成功できたらみんな成功できちゃいますから。逆に言うと全部やらないと多分成功しないんじゃないかなんて思いますよ。勉強、仕事、嫌なこと、努力、継続、もうめんどくさいこと基本的に全部やらないと前に進まなそうな気配がビンビンしますよ。
僕の中で一番ダメだなって思うのはやっぱり人の答えを鵜呑みにすることですね。
経営者の成功の秘訣聞いてそれを信じてやるっていうことは他の選択肢を狭めるてことじゃないですか。どう考えてもその人と自分では別の人間なんで必要なヒントなんて絶対違いますから一個一個潰して行くのはいいとして、信じることも時には自分の選択肢を狭めてるなと僕は思ってます。
人の答えを鵜呑みにすることは僕的には近道のように見えて遠回りのようにいつも感じてしまう。
自分が思ったこと感じたことをやってみて、例えそれが成功してる人が言っていることの真逆だったとしてもそれをやってみた方が価値があるんじゃないかと思う。
でもどこまで自分を信じて掘り下げていくかも…それこそセンスですよね。
流れるもよし固まるもよしで選択肢が無限に近いから難しいし後悔するんだろうな。だから多分説教とか方向性を定めてくれるコンテンツが伸びてるんじゃないかな。
俺先生大っ嫌いだったからこんなこと言ってんのかな。笑
2024/09/26 AM05:11
僕は人生で人との出会いが多い方ではないけど、その数少ない節々のポイントで僕の中で重大な言葉を残してくれる人がサクッと現れる。
別に僕がその人について行こうと思うわけでもないんだけど、僕が思い出す人になる場合が結構ある。
僕が社会人になっていくつかの職場を転々としている時にふとアート業界で働いてみようと思って応募した会社があった。その会社では北欧の有名なアーティストが所属している事務所のような物販のような、いわゆるグッズとアートワークをミックスしたような商品を売る事業をしている会社だった。
僕は面接に行った時毎回改まった感じではなくガンガンその人のことや会社がどれぐらい上手く行っているのかどこが上手く行ってないのか聞くようにしてる。
「落ちようが受かろうが勉強になれば今日来たかいがあるだろう」といった感じが僕の基本的なスタンス。
そこの社長のキャリアを聞くとどうやら39歳までフリーターをしていて、1ヶ月日雇いの仕事を詰めにつめてそのあと1ヶ月何もしないみたいな生活をずっと繰り返していたらしい。
何で39歳で起業しようと思ったんですか?と聞くと「フリーターでできることやり尽くしちゃったのとそんなにフリーターやってると入れるところなんてないから起業するしかないよね」みたいな感じで笑っていた。
僕は「なるほどな」と「すごいな」が入り混じった感覚でその人と話を長々と続けて行った。
その後僕がいつもどういう作品が売れると思うんですか?と聞くと「誰かが良いと思うなと思ったものは売れると思ってる。だから別に自分だったら買わないとか自分のセンスにあんまり左右されないのかもね。」と言っていた。
僕の履歴書には自分も絵を描いていることを書いていたんだけど、僕の経験上多くのアーティストを見てきた人や特にそれらを扱ってビジネスをしている人は「見してよ」とはあまり言ってこない。
多分こういうビジネスをしていると見せてくる人が多くいて自分の目も肥えているから正直な感想が顔に出るのを自分でもわかっていてそれが相手にバレると思うのが嫌なんだと思う。
そうやって勝手な妄想で僕も自分の作品は見せなかったんだけど「どういうアーティストが成功すると思いますか?」とパッと聞いてみたら、僕の体感ではものすごく長く感じたんだけど実際は数秒考えた後に「運命づけられてる人じゃないかなぁ。」と言ってくれた。
もしかしたら僕が答えようのない質問を今すぐ答えを求めたからその回答になったのかもしれないけど僕の中でドッシリと重く突き刺さったね。逆に言うとその通りだとも思う。
結局、そのあと僕はその会社に入るんだけどいつも通り続かなかった。確かその職場には僕と社長しか男性がいなくて何となく僕には肌に合わない気がした。
理由はわからないし嫌な人がいたとかでもない。
その場の空気としか言いようがないんだけど、僕からしたらユーモアというか適当さみたいなものが少し薄い空間のように感じられてそこで生活するのが苦しく感じる時が頻繁にあった。僕ができる限り鮮明に答えるとすればこうかなと思う。
2024/09/30 AM05:06
「本当に傷つくのは悲しいことをされた時よりも、自分の中に秘めた何かを察せられた時だ」
一行でまとめるとそういった感じだった。
僕が朝にパイプ椅子に座って洋書と和書を交互に読んでいる時になぜが五行程度の文章がごっそりと抜け落ちているのに気がついた。
もしかしたら抜けていないけど僕が間違えて抜けて見えたのかもしれない、はたまた外国の倫理観にそぐわなかったのかも知らないけど洋書の方にぽっかりと空いた穴をバレずにスッと閉じたかのように後ろの文書を引っ張ってきていた。
その抜けたあたりの話は、かつて出会った女性の話で彼女は自分で25歳で死ぬと言い、のちに主人公が26歳で新聞で交通事故を経て彼女が死んだことを知る。
誰も彼女の詳細を覚えてないらしい。
少しぐらい本に書いてくれたって良いだろうといった具合に抽象的に書くもんだからこっちもなかなか掴めてこない。
その中であえて書かれている些細な、もしからものすごく大切かもしれない数行がぽっかり洋書の中では消えていた。
もしかしたら小説の中の世界でも現実世界で本になって世界に渡るときも彼女は同じようなことをされたんじゃないかと感じて僕は不思議な気持ちになった。
2024/09/30 AM07:17